第80話「間に合わなかった」
ミレアと、ヴァンネスが帰ってきたのはスピカ戦から、半月後だった。
街の門を、くぐった二人を俺たちは、迎えに出た。
二人は痩せていた。ヴァンネスの、外套は旅の埃に、白く汚れていた。ミレアの目の下には、深い隈があった。
そして。
二人の、後ろには誰もいなかった。
「……リタは」
コッツが、訊いた。
ミレアは、しばらく、答えなかった。
それから、掠れた声で言った。
「……間に、合わなかった」
◇
話は、その晩宿の溜まり部屋で聞いた。
ミレアは湯を一杯飲んでそれから、淡々と語り始めた。淡々と語る、ということ自体がこの人がどれだけ堪えているかの、証明だった。
「療養院に、着いたときにはもう、いなかったの。……三日前に、リディアの大聖堂へ、移送されたって。〈星の間〉へ」
「面会は」
「申請した。三度。……三度とも却下。理由は、『選抜された子供の療養に外部の接触は、望ましくない』。……療養。療養ですって」
ミレアの、指が卓の縁を白くなるほど、握りしめていた。
「それで、あたし伝手を辿ったの。療養院の昔の同僚。破門された、あたしにまだ口を利いてくれる、数少ない人。……その人が、教えてくれた」
息を、吸って。
「〈星の間〉に、集められてる子供は今、四十七人。全員、十歳前後。全員、体が弱いか生まれつき何かの病を、持ってる。……そして、全員星視盤の新しい検査で、『同じ結果』が出た子」
「同じ、結果?」
「――測定不能」
部屋が、凍った。
測定不能。
星無し。空の器。
「新しい水晶は、旧来の星視盤より、精度が高いの」ミレアは続けた。「旧来の盤では『才が乏しい』としか出なかった子の中から、本当の『空の器』を、選り分けられる。……教会はそれを大陸中の療養院と、孤児院で、やってる。星視盤の、巡回検査という名目で」
空の器を探して。集めて。
「あたし、大聖堂の門の前まで、行ったの」ミレアの声が低くなった。「〈星の間〉に、続く地下への門。……そこで、荷車が入っていくのを見た」
「荷車?」
「積んでたのは、子供の寝台よ。小さい療養用の。……三台。空の、寝台が三台出てきて、代わりに子供を乗せた寝台が四台入っていった」
出ていく空の寝台。入っていく子供。
「出ていった寝台は、どこへ行ったんだ」とガロが、掠れた声で、訊いた。
「訊いたわ。門番に。『あの寝台は、どこへ?』って。……門番は、こう言ったの。『療養が、済んだ子のものです』って」
療養が、済んだ。
ミレアは、そこで言葉を切った。切って、両手で、顔を覆った。
「……あの中に、リタがいるの。順番を待って。……次に出てくる、空の寝台があの子のものじゃないって、誰が保証してくれるの」
「……集めて、何をする」と、俺は訊いた。
ミレアは答えなかった。
答えたのは、ヴァンネスだった。老兵は、旅の埃に汚れたままの顔で低く言った。
「〈星の間〉ってのは、大聖堂の、地下だ。俺も、傭兵時代に一度だけ噂を聞いた。……教会が、『星の力の澱』を封じてる場所だ、と」
澱。
スピカと、同じ言葉。
「地の底に溜まった澱を、教会は集めて封じてる。地上に湧いて、獣になる前に。……だが、封じるってのは要はどこかに、溜めるってことだ。溜めた澱は、いつか溢れる。溢れれば、〈星の間〉がスピカになる」
老兵は、卓の上に指で、器の形を描いた。
「――だから、器が要る。溢れる前に、澱を移し替える器が」
沈黙が、部屋を満たした。
四十七人の、空の器。
病弱で、才のない身寄りの薄い子供たち。
澱を、注ぐための生きた壺。
「……冗談じゃ、ない」
コッツが、震える声で言った。
「そんなの、生贄じゃねえか。教会が。星辰教会がそんなことを――」
「証拠はない」ミレアは遮った。「全部、推測。同僚の話も又聞きの又聞き。……でもね、コッツ。あたしは、教会の内側にいたのよ。あそこは、寄進の額で、治療の順番を決める場所。……大陸中の、星の力を管理する『正義』のためなら、四十七人の名前も知られてない子供くらい勘定に入れると思う?」
誰も、答えなかった。
答えは、全員の胸の中にあった。
◇
ミレアは、それから、俺を見た。
「……リゲル。あんたに、話さなきゃならないことが二つある」
「ああ」
「一つ。……あんたは、四十七人の仲間よ」
分かっていた。だが、他人の口から言われると重さが違った。
「測定不能。空の器。……もし、教会があんたを見つけたら。ううん、審問局はもう見つけてる。……あんたが、〈星の間〉に招かれるのは時間の問題」
「招かれる、ね」
「それか、〈星喰らい〉として処断される。どちらでも、あいつらの都合次第。……大人の空の器は、扱いにくいから、たぶん後者。子供の器の方が、素直に注げるから」
素直に、注げる。
商会の言葉と、同じ響きだった。空の器にだけは、何でも注げる。グレムはそう言った。
教会と商会が。
同じ言葉で、同じものを欲している。
「……二つ目は」と、俺は訊いた。
ミレアは少しためらってから、懐から一枚の紙を出した。
リディアの、大聖堂の写しの地図だった。手描きの粗い写し。
「……〈星の間〉の、位置。同僚が、命がけで写してくれた」
「ミレア、あんた」
「あたしは、行くわ」
きっぱりと、彼女は言った。
「リディアに、戻る。……妹を連れ出す。四十七人、全員は無理かもしれない。でも、リタは連れて帰る」
「一人でか」
「一人で、行けるとは思ってない」ミレアは俺を見た。まっすぐに。「だから、頼んでるの。……あんたたちの、力を貸して。〈鉄樹〉の、力を」
それは初めて、ミレアが隊に「頼む」と、言った瞬間だった。
値札のない、頼み事だった。
◇
その夜、俺は宿の窓辺で街を見ていた。
スピカを退けた街。三十一人の、名前を失った街。俺が二年暮らした街。
この街を出ることになる。
それが、はっきりと分かった。
教会が、空の器を集めている。俺は、その一つだ。ここに留まれば、いずれ審問局が俺を連れて行く。ニラも、コッツも、ガロも、巻き込まれる。
そして――〈星の間〉には、四十七人の俺と同じ子供がいる。
澱を、注がれる日を待って。
リタが、その中にいる。
行くしかない。
だが、行けば。
ニラは。
俺の、記憶を埋め直そうと、毎日通ってくるあの人は。
置いていくのか。それとも、連れていくのか。
どちらも、この人を傷つける道だった。
窓の外の、春の夜空に冬の巨人はもういなかった。西の地平の、その下へ赤い右手から、沈んでいったのだ。
三ツ星も、青い左足も、一緒に。
星が沈んでも。
紐だけは残っていてくれと。
誰かがそう願っていた気がした。
誰だったかは思い出せなかった。




