第8話「師の手紙」
第8話更新です!
ガスが壊れて、お湯がでません。夏で助かった泣
手紙が届いたのは、賞金を受け取った翌々日だった。
宿の親父から渡された封書の、癖のある宛名の字を見た瞬間に、差出人は分かった。ベテルのじいさんだ。村を出てから、まだ一月と経っていない。
部屋に戻り、封を切る。
『リゲルへ
変わりなくやっているか。ヴェルデは飯がまずい街だが、南区の市場の裏に、猪の煮込みを食わせる店がある。婆が一人でやっている。わしの名を出せば、少しは盛ってくれる。
村は変わりない。お前の母親が、お前宛ての冬着を編み始めた。冬までに送るそうだ。礼の手紙くらい書いてやれ。
さて、本題だ。
妙な力に、目覚めたのではないか。
敵を仕留めた夜、何かが流れ込んでくる。覚えのない技が身につき、覚えのない景色が瞼の裏をよぎる。そういうことが、あったのではないか。
驚くな。五年前のあの日、お前をわかった。
よく聞け。それは〈星継〉という。星無しの器に、ごく稀に宿るものだ。倒した相手の星を、継ぐ力。悪いものではない。ただし、遣い方を誤れば、お前をお前でなくす力でもある。
三つ、約束しろ。
一つ。誰にも話すな。ギルドにも、教会にも、酒の席でも。継いだ力は、隠していれば「隠していた才能」で通る。人は、分からんものより、分かった気になれる説明を好む。
二つ。弱いものを狩って数を稼ごうとするな。あれは、強い相手からしか流れてこん。数を焦れば、心のほうが先にすり減る。
三つ。何かを、失っていないか、折々に確かめろ。もし失っていても、慌てるな。それはお前の器が、新しい星の分だけ場所を空けた、ということだ。空けた場所の分、お前は強くなっている。
力のことで訊きたいことがあれば、手紙で寄越せ。わしは多少、昔話に詳しい。
体を冷やすな、体調管理に気をつけろ。刃を研げ。約束を忘れるな。
ベテル』
読み終えて、俺はしばらく、手紙を持ったまま動けなかった。
最初に来たのは、安堵だった。
得体の知れなかったものに、名前がついた。星継。じいさんが知っているなら、これは前例のある、この世の理の内側のものだ。俺は化け物になったわけではない。
二番目に来たのは、疑問だった。
なぜ、じいさんが知っている。
ただの勘だろうか。だが、勘で当てられる中身か、これが。「敵を仕留めた夜、何かが流れ込んでくる」――まるで見てきたような書き方だ。それに、届くのが早すぎる。俺が涸れ沢で初めて力を継いでから、まだ十日と少し。村とヴェルデの間は、早馬の便でも片道六日はかかる。
……いや。
考えて、打ち消した。じいさんは俺が村を出る前から、餞別だ何だと準備のいい男だった。「街で妙なことがあったら報せろ」という手紙を、俺の出発と入れ違いに出していたとしてもおかしくない。行き違いの一通が、賞金騒ぎの噂と一緒に着いただけかもしれない。
何より――疑う相手が、じいさんであるはずがなかった。
俺に飯の食い方と、獲物の狩り方と、生き方の背骨をくれた人だ。父が死んだ冬、山に入ったきり戻らない俺を、夜通し探しに来た人だ。
俺は机に向かい、返事を書いた。
『じいさんへ
手紙、受け取った。図星だ。全部、書いてあった通りのことが起きた。
トーサ街道で、人の形をした何かを狩った。元冒険者だと思う。胸に三つ星の徽章を付けていた。そいつを仕留めた夜に、力が流れ込んできた。大剣の技と、知らない戦場の景色。それから、これは書くべきか迷ったが――俺は母さんの顔を、思い出せなくなった。
器が場所を空けた、とあんたは書いた。そういうものだと、頭では分かる。だが正直に書く。怖い。次に何が消えるのか、俺には選べない。
それでも、この力は手放したくない。俺には、街で一番上まで行く理由がある。だから、あんたの三つの約束は守る。誰にも話さない――一人だけ、ニラには話してしまった。あいつは口が固い。許してくれ。あいつが俺の消えたものを、書き留めてくれることになった。
冬着の礼は、母さんに直接書く。顔は思い出せなくても、手紙は書ける。
猪の煮込みの店には、今度行く。
リゲル』
書き終えて、封をして、それから俺は窓の外を見た。
星継。
じいさんは「昔話に詳しい」と書いた。なら、いつか訊いてみたいことがある。この力の、行き着く先の話だ。あの狂戦士は、力に呑まれた成れの果てに見えた。俺は、ああならずに済むのか。
訊けば、じいさんは答えてくれるだろう。あの人は、俺の問いをはぐらかしたことがない。
◇
手紙を早便に預けた帰り、俺は南区の市場へ回った。
裏通りは、じいさんの言った通りだった。傾いた軒の下に、暖簾とも呼べない布切れが一枚。鍋の湯気と、獣脂と香草の匂い。店番は、腰の曲がった婆が一人きりだった。
「猪の煮込みを。……ベテルの名を出せば増えると聞いた」
婆は皺に埋もれた目を、ゆっくりと俺に向けた。
「ベテルの? ……ああ、あの人の弟子かい。久しぶりに聞く名だねえ」
婆は椀に、たしかに大盛りの煮込みをよそった。骨から外れかけた肉と、根菜と、山の香草。一口食って、驚いた。じいさんの小屋で食った猪鍋と、同じ味がした。
「うまい」
「そりゃそうさ。この味を教えてくれたのが、あの人だもの」
婆は乾いた声で笑った。
「店の先代――あたしの親父に、山の香草の使い方を教えてくれたのさ。ふらっと来て、ふらっといなくなる客でね。何年かに一度、思い出したように顔を出す」
「でも不思議なもんだよ。あの人だけは、いつ来ても、ちっとも変わらないんだ。親父の葬式に来たときも、その二十年後にふらっと来たときも――同じ顔で、同じ声で、猪は脂の乗りが全てだ、なんて同じことを言うのさ」
いつ来ても、変わらない。
妙な言い回しだ、と思った。思っただけで、俺はそれを、老人の記憶の曖昧さの側に片付けた。二十年も間が空けば、人の顔の記憶などいくらでも塗り替わる。現に俺は、十日で母の顔を失った男だ。
椀の底まで食い干して、銅貨を多めに置いた。
「また来る」
「おいで。……あの人の弟子なら、いつでも大盛りだ」
◇
十日ののち。アーロイ村。
ベテルは炉端で、届いたばかりの返事を読んでいた。
一度、二度。皺の寄った指が、文面をゆっくりと辿る。「母さんの顔を、思い出せなくなった」のくだりで、指は止まり、長いこと動かなかった。
やがて老人は手紙を畳み、炉の上の棚から古い木箱を下ろした。
中には、束になった手紙。何十通、いや百を超えるだろうか。宛名の筆跡は、どれも違う。若い字、荒れた字、几帳面な字。差出人の名も、様々だった。
その一番上に、リゲルの手紙が重ねられる。
「……三つ星の徽章、か。そうか、ようやく逝けたのだな。」
老人は安堵の息を吐いて、蓋を閉じた。
炉の火が、赤く爆ぜた。窓の外では、冬の巨人がまだ昇らない北の空に、星々だけが冷たく回っていた。




