第76話「決戦、開幕」
スピカが動いたのは、決戦の支度が整った、その翌朝だった。
まるで、こちらの準備が終わるのを待っていたかのように。
第四層で脈打っていた白い光が、上昇を始めた。足の裏がそれを拾う。第四層から第三層へ。ゆっくりと、しかし確実に。星辰の獣が、地上を目指して動き出した。
「――来る!」
俺の号令が、防衛線を駆けた。
大穴の道という道に、街の全戦力が配置についた。同盟の独立系。組合の専属隊。審問局の審問官たち。ギルドの職員。そして――逃げなかった、街の住民の有志。
敵味方も、身分も、垣根も越えて。ただ、この街で生き延びるという一点で揃った、寄せ集めの大隊だった。
◇
第三層の狭隘部が、第一の防衛線だった。
そこで、それは初めて姿を現した。
白い光。
人の背丈の三倍ほどの光の塊。形は定まっていなかった。ある瞬間には乙女のシルエットに。次の瞬間には砕けて、無数の光の破片に。星の力の澱、というヴェイユの言葉が正しいことを、その掴みどころのなさが証明していた。
そして、その光の中心から。
白い槍が放たれた。
速い。
見えない。ただ、第一防衛線の先鋒が三人、声を上げる間もなく貫かれた。
「盾ォ!! 光を正面から受けるな! 逸らせ!!」
コッツの罠が火を噴いた。狭隘部の天井から油が落ち、火が放たれる。スピカの周囲が炎に包まれた。
だが、効かない。炎は白い光に触れた瞬間、吸い込まれるように消えた。
「……熱が、効かねえ!?」
「あれは火じゃない! 星の力だ!」と、俺は叫んだ。「物理も炎も、あれ自体には通らない! ……だが!」
通らない、なら。
なぜ、あれは二年もかけて、地の底から上がってきた。眷属級を、階層主を、落とし仔を追い立てながら。もし無敵なら、そんな悠長な真似はしない。
あれには目的がある。器を探すという目的が。
目的があるということは――弱点がある、ということだ。
「コッツ! 火計は止めろ、効かない! 防衛線を下げる! あれを深追いさせて、第二防衛線まで引き込む!」
街の全戦力がじりじりと後退した。スピカを狭隘部から、次の罠の待つ場所へ。獲物のふりをして、獲物を誘い込む。狩人のいつものやり方で。街の規模で。
◇
第二防衛線で、俺は初めてスピカに近づいた。
白い光の槍が、雨のように降り注ぐ、その中を。足の裏で、槍の放たれる位置を拾いながら。
槍は規則性がない。星の力の澱が、気まぐれに放つ。だが――放たれる直前に、光の密度がその一点に集まる。地の底の振動が、その収束を俺に伝えた。
見える。
スピカの槍が、次にどこを貫くか。
走った。
光の雨の隙間を縫う。眷属級の感覚で地を読む。裂き腕の間合いで、光の届く円を測る。狂戦士の勘で、収束の嘘と真を見分ける。ドッズの足で最短を選ぶ。
継いできた全ての死者の力が、今、この白い光へ俺を運んでいた。
懐に入った。
白い光の中心。乙女のシルエットの、その核。そこに――あった。
一点。
渦の中心に、ひときわ濃い、小さな光の核。心臓のように脈打っている。
あれだ。あれがスピカの芯。星の力の澱が凝った、一番深い場所。
短刀では届かない。長剣でなければ。腰の片手半を抜く。三尺の、死者たちの剣を。
「――ここだ」
核へ、突き入れた。
手応え。
白い光が絶叫のように膨れ上がった。街全体が震えた。シルエットが砕け、無数の破片が四方へ飛散する。
効いた。
澱にも芯がある。突けば、効く。
だが、倒れない。
飛散した破片が、再び集まり、渦を巻き直す。核が、俺の剣を押し出す。スピカは再生していく。一撃では殺せない。もっと深く。もっと何度も、あの核を。
「リゲル! 引け! 再生する!」
ガロの声。跳び退った。
シルエットが、再び乙女の形に戻る。そして、その中心の核が――ぐるりと、こちらを向いた。
まるで、初めて俺を認識したかのように。
二年、探し続けた器を、ついに見つけたかのように。
白い光の全部が、俺一点に収束し始めた。街の、他の誰にも目もくれず。ただ俺だけを。
引き寄せられている。
俺の空の器に。星辰の獣が引き寄せられている。
ヴェイユの言葉が正しかった。スピカをこの街に呼んだのは、俺だ。そして今、あれは、俺という器を見つけた。
「――こっちだ」と、俺は剣を構えた。
全戦力を下がらせ、スピカの意識を俺一点に集める。それが勝ち筋だった。あれが俺に引かれている、その間に、他の全員であの核を削り続ける。俺が囮であり、同時に切り込み隊長だった。
だが、その勝ち筋には、一つ、致命的な問題があった。
スピカを討つのが、俺であるなら。
討った、その瞬間。
俺は、あれを継ぐ。
星の力の澱、そのものを。
◇
決戦は、続いた。
一日では、終わらなかった。
核を削り、再生させ、また削る。俺が囮になり、切り込み、街の全戦力が支える。じりじりとした消耗戦。街の防衛線は少しずつ削られ、後退し、それでも持ちこたえた。
ガロの最終防衛線は、まだ破られていない。避難民は、まだ無事だった。
だが、俺の体は、限界に近づいていた。
スピカに引かれる、器の感覚。継承の力を、全開にし続ける、消耗。指の先が、痺れている。視界の縁が、時々、白く飛ぶ。息を吸うたび、肋の奥が、軋む。踏み込むたび、膝が遅れて追いてくる。
剣を握る手が、もう、自分の手では、ないような気がする。
何度、核を突いた。数えられない。突くたびに、体のどこかが、一枚ずつ剥がれていく。継いだ力を、燃やして、燃やして、燃やし尽くして、その灰で、また、次の一歩を踏む。
そして――核を突くたびに、俺の中に、流れ込んでくる、微かな「何か」。
スピカの核を突くたびに。星の力の澱が、ほんの少しずつ。俺の、空の器へ。
流れ込んで、きていた。
まだ、継承とは呼べない。ほんの滴。だが、確実に。あれの一部が、俺の中へ注がれ始めていた。
空の器が初めて。
満たされ始める、その感覚を。
俺は、恐怖と共に感じていた。




