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継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


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第73話「西の足音、ふたたび」


それは、足の裏から始まった。


青麦の引率で、第三層を歩いていたある日のことだった。


岩喰らいから継いだ、振動の感覚。地の底の遠い震えを拾う、その感覚が――久しぶりに、あの、等間隔の「足音」を拾った。


遺構の崩落以来、遠のいていた西の気配。


それが、また上がってきていた。


前より、ずっと近い場所まで。


俺は、足を止めた。青麦の子供たちが、不思議そうに俺を見る。コッツだけが、俺の異変に気づいた。


「……兄貴? どうした」


「……上がってきてる」と、俺は、小さく言った。「西のあれが。……今度は遺構の底じゃない。もっと、上だ。第六層か、下手すると第五層まで」


落とし仔ですら逃げ出した、西の主。逆流の真の、源。それが住処を離れて、地上へ向かって動き始めていた。


◇


ギルドに、報告した。


だが、今度も握り潰される――と、思っていた。かつての、五層の壁の逆流のときのように。


違った。


今回は、ギルドも、放置できなかった。理由は二つ。


一つ。地震だ。西の主が動くたび、地の底で、小さな地震が起きる。それは、地上の誰の足にも、伝わった。俺の、継承の感覚がなくても、街の人間が、体で異変を感じ始めていた。


二つ。審問局だ。


皮肉なことに、異端審問局の存在が、ギルドの隠蔽を封じた。審問局は、〈星喰らい〉の、調査に来ている。大穴の異変を握り潰せば、それは、審問局の調査を、妨害したことになりかねない。ギルドは、審問局の目を、恐れて――今度は、異変を公表せざるを得なかった。


大穴に、緊急の警報が貼り出された。


『深層に、大型の未確認個体の、接近の兆候あり。当面、第四層以深への、入穴を制限する』


街がざわめいた。遺構ラッシュの、悪夢の記憶が、まだ新しい。また、何かが来る。今度は、宝ではなく、災いが。


灰の同盟は、緊急の会合を開いた。ヴァンネスが、リディアへ発った今、同盟をまとめるのは、旗頭代理の、古参の銀級たちだった。


会合の空気は割れていた。


深層を封じられれば、独立系の稼ぎは、また細る。だが、西の主が、本物なら稼ぎどころの話では、ない。逃げるべきだ、という声。街を守るべきだ、という声。組合と手を組んででも、備えるべきだという声。


その中で、一つの意見が静かに、通った。


「――〈鉄樹〉に訊こう」


二年前、西の異変を、最初に報告した隊。眷属級を、階層主を獲った隊。西の空白の地図を描いた隊。


皮肉な、巡り合わせだった。裏切りの醜聞で、旗頭の座を、追われかけた隊が、今、街の命運の相談役に呼ばれている。


呼ばれたのは、俺とコッツだった。


隊長代行として、俺は、同盟の会合に、二年前の記録を持って立った。西の空白。逃げる魔物たち。段階的に上がってくる、足音。……かつて、握り潰された報告書が、今、街を救うための、唯一の手がかりになっていた。


記録は、命より長く残る。


ニラの、ガロの、言葉がこんな形で実を結ぶとは思わなかった。


◇


その晩、俺は、ニラの窓口にいた。


閉店後の、誰もいないギルド。ニラは、封緘書庫から、一冊の、古い記録を持ち出してきていた。


「……これ、見て。かつての、五層の逆流の、調査報告。あなたたちが、書いて封緘されたあの報告書」


二年近く前。眷属級の岩喰らいを討ち、西の異変を報告しそして――握り潰されたあの報告書だった。


「封緘が解かれたの。審問局の要請で。……皮肉よね。あのとき、街が、隠したがった真実を、今、教会の狩人が掘り起こしてる」


ニラは、報告書の、あるページを、開いた。俺たちが、二年前に書いた、西の空白の地図。


「あのとき、あなたが、言ってた。西の何かから、魔物たちが、逃げてるって。……その『何か』が、今、上がってきてる。二年かけて。ゆっくり、ゆっくり、地上へ」


「……二年で、ここまで、上がってきた」と、俺は言った。「なら、あと、どれくらいで、地上に届く」


「分からない。でも」ニラは、地図の、西の空白を、指でなぞった。「一つ、確かなことが、ある。……この『何か』が、地上に出たら。ヴェルデは終わる。眷属級でも、階層主でも、落とし仔でもない。それらが、みんな逃げ出した、大元よ。……街の、冒険者を、全部集めても勝てるかどうか」


沈黙が落ちた。


誰も勝てない災い。それが、二年の時をかけて、着実にこの街の真下ま、迫っている。


「……じいさんの、手紙を思い出す」と、俺は、言った。「階層主が、上がってきたときは、逃げるな。狩れ、と。……あのときは、裂き腕のことだと思ってた。でも、違ったのかもしれない。じいさんが、言ってたのは、もっと、大きな、これのことだったのかもしれない」


支度を怠るな。刃を研げ。


五通の手紙で、繰り返された、あの言葉。まるで、この日が、来ることを知っていたかのような。


「リゲル」ニラが、俺を、見た。「一つ、訊いていい?」


「ああ」


「もし、その『何か』と、戦うことになったら。……あなたは、それを、継ぐの?」


心臓が、一つ、跳ねた。


「眷属級を継いだ。階層主を継いだ。落とし仔にも、痛撃を与えた。……もし、その大元を倒したら。あなたは、それを、継ぐ。……そんな、途方もないものを継いだら」


あなたは、何を失うの。


ニラは、それを、言わなかった。言えなかった。


だが、その問いは、部屋の中に確かにあった。


人ひとりを継いで、父を、失った。なら、あの、途方もない何かを継いだら――俺は、何を失うのか。


母。父。村。狩りの始まり。……次に、消えるとしたら。


俺は、ニラの顔を見た。


見て言葉を失った。


次に消えるのが、もし。


目の前の、この、几帳面な記録係の――。


「……大丈夫だ」と、俺は言った。中身のない、大丈夫だった。「そのときは、そのときだ。……まだ、そいつが、来ると決まったわけじゃない」


「うん」


ニラは、それ以上押さなかった。押さない代わりに、手帳を開いて、いつものように、その日のことを書き留めた。


だが、俺は、見てしまった。


ニラのペンが、書き終えた後、少しだけ震えていたことを。


そして、彼女が手帳の別の頁――一冊目の、リゲルのことだけを書く頁を、そっと指で押さえたことを。


まるで、そこに書かれた記憶が、消えてしまわないように。押さえて確かめるように。


西の足音は、まだ遠い。


だが、確実に近づいていた。


街の破滅と。


俺の次の喪失を乗せて。


第73話更新です


西の主,かっこよくかくぞー

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