第67話「留守を守る」
隊長の席を、俺たちは空けたままにした。
「代行だ」と、俺は、ギルドの隊員名簿の書き換えのとき、ニラに念を押した。「隊長の欄は、空欄。俺は、代行。そう書いてくれ」
「……戻ってくるまで、空けておくんだね」
「席ってのは、埋めたら、戻る場所じゃなくなる」
ニラは、頷いて、名簿の隊長欄に、几帳面な字で、こう書いた。『(空席)』。それから、代行の欄に、俺の名前を。空席、という三文字を、わざわざ書き込む受付嬢は、たぶん、この街に、こいつしか、いない。
◇
隊は、三人になった。
三人の〈鉄樹〉は、深場を封印した。第三層まで。稼ぎは細い。だが、細い稼ぎを、丁寧に積んだ。護衛。採取。間引き。それに――同盟の新しい仕事。
新人の引率だ。
灰の同盟の規約の三つ目。飢える新人を、出さない。その実務として、経験のある隊が、新人の隊に、浅層の稼ぎ方を、実地で仕込む。手当は、同盟持ち。雀の涙だが意味は大きかった。
俺たちの受け持ちは、もちろん〈青麦〉だった。
「隊列ゥ! 詰めろ! ミショ、おまえまた、前しか見てねえ!」
第二層の岩廊に、コッツの声が飛ぶ。
引率の現場を仕切っているのは、ほとんど、コッツだった。索敵の目の置き方。投石の間合い。逃げ道を、常に三つ数えておくこと。スラムで生き延びた技術と、鉄樹で仕込まれた技術が、少年の中で、一本の教え方になっていた。
「――なあ、コッツ師匠」と、休憩のとき、青麦のピノが、真顔で言った。「あんた、歳、おれと二つしか違わねえよな。なんで、そんなにいろいろ知ってんだ」
「し、師匠はやめろ」コッツは、顔を赤くした。「……いろいろあったんだよ、いろいろ。おれにも、教えてくれた奴らが、いたんだ。だから、順繰りだ。教わったもんは、次に回す。うちの隊の、決まりみてえなもんさ」
教えの実りは、その日のうちに返ってきた。
帰路の岩廊で、群れからはぐれた灰蜥蜴が一匹、青麦の隊列の、死角から出た。悲鳴が上がりかけた。だが、上がらなかった。
「ミショ! 左、来てる!」
ピノの声だった。前しか見ない、と叱られ続けた少年が、仲間の背中の、その先を見ていた。声を受けたミショが、体を捌き、隣の盾持ちの娘が、半歩、割り込む。稽古でやった通りの、教科書通りの、受けだった。仕留めたのは、コッツの投石だったが――受けたのは、青麦の五人だった。
「で、できた……! なあ、今の、できたよな!?」
沸き立つ少年たちを、コッツは、腕を組んで眺めていた。眺めながら、俺にだけ聞こえる小声で、言った。
「……教えるのって、さ。なんつーか、腹の底が、あったけえな」
「ああ」
「じいさんも、こんな気分だったのかね。兄貴に、狩りを教えてたとき」
その、何気ない一言に、俺はすぐには答えられなかった。
ミレアは、青麦の治療係の娘に、応急手当を仕込んでいた。「いい? 戦闘中の治療はね、腕より先に、順番なの。誰から治すかを、迷った分だけ、人が死ぬ。……順番の決め方を、教えてあげる」――教会が寄進の額で決めていた順番を、この人は、自分の物差しで、決め直して、次に、渡している。
三人になった隊は、細くなった。だが、根はむしろ広がっていた。
◇
夕方、ニラと、市場を歩いた。
買い出しの荷物持ち、という名目のただの散歩だった。
「代行さんは、今日も、お疲れですなあ」と、ニラが、わざとらしい口調で言った。
「……顔に、出てるか」
「出てる出てる。依頼を選ぶ顔が、ガロさんの顔に、なってきてる。眉間のとこ」
図星だった。隊の依頼を選ぶとき、俺は、いつの間にか、稼ぎと危険と三人の体調と、青麦の引率の日程を、同時に天秤にかけるようになっていた。ソロの狩人だった頃は、天秤の皿は、一枚で足りた。今は、五枚でも足りない。
「重い?」と、ニラが訊いた。
「……重い」と、俺は、正直に、答えた。「ガロは、これを、十二年担いでたのか、と思う。片手間の顔で」
「片手間の顔で担ぐのが、うまかったんだよ、あの人は。……で、うまくやりすぎて、重いって言い忘れて、ああなった」
ニラの寸評は、いつも通り、容赦がなくて正確だった。
「だからね、リゲル。あなたは、重いって言いなさい。私にでいいから。月に一回でいいから。……はい、これ、今月分の『重い』、たしかに受け付けました」
受付の口調で、ニラは、ぺこりと頭を下げた。
俺は、少しだけ笑ってしまった。笑えた自分に驚いた。
「――あ。リゲル、あれ」
ニラが、指した先。市場の外れの、水売りの屋台に、大きな背中があった。
ガロだった。
井戸番のついでに、水売りの荷車を押してやっているらしい。俺たちには、気づいていない。荷車の水瓶を、易々と積み替える姿に、屋台の親父が、しきりに、頭を下げていた。
ニラは、少しの間、その背中を見ていた。
「……声、かけないの?」
「まだだ」
「うん」ニラは、それ以上、押さなかった。押さない代わりに、手帳を出して、立ったまま、短く何かを書いた。
「何を書いた」
「『ガロさん、今日も、街にいる』。……それだけ。でも、大事な記録。いなくなってないってことだから。……ね、リゲル。」
受付嬢の人間観察は、今日も、俺より二歩深かった。
帰り道、ニラは、屋台で焼き林檎を二つ買った。星祭りの夜と、同じ、焼き林檎だった。一つを、俺に押しつける。
「はい。……ドルクおじさんの、飴の代わり。二人で食え、って」
二人で食え。
消えた父の、口癖ごと、ニラは、俺に菓子を手渡した。
甘くて、少し酸っぱくて、温かかった。胸の、あの場所が、また、あたたかくなった。記憶は還らない。だが、この温かさは、何度でも、作り直せる。ニラは、それを、証明し続けていた。焼き林檎、一つ分ずつ。
◇
宿に戻ると、ミレアが、手紙を読んでいた。
リタからの、月に一度の、便りだった。読み終えたミレアの顔が、いつもの「分かりやすく機嫌のいい顔」では、なかった。
「……妹の手紙に、変なことが、書いてあるの」
彼女は、丸い癖字の並ぶ紙面を、卓に置いた。
『おねえちゃんへ。おかげんいかがですか。わたしはへいきです。さいきん、りょうよういんに、えらいしさいさまたちが、なんどもいらっしゃいます。わたしたちのほしをはかる、あたらしいすいしょうをもってきて、みんなじゅんばんに、てをかざしました。わたしのばんのとき、しさいさまたちが、ながいことそうだんしていました。なにかのけんさに、うかったのかもしれません。おいわいかもしれないので、たのしみです』
新しい、水晶。
療養院の子供たちの星を、順番に、測って回る、偉い司祭たち。そして、リタの番で、長い相談。
「……星視盤の、巡回検査?」と、コッツが、首を捻った。「療養院で? なんのために」
ミレアは、答えなかった。答えられない、という顔だった。ただ、その指が、手紙の「けんさに、うかった」の一行を、押さえたまま、白くなっていた。
楽しみです、と結ばれた丸い字が、その夜は、ひどく無防備に見えた。
第67話更新でさぁ




