第66話「得物」
「――おまえの体は、もう、短刀の体じゃねえ」
ヴァンネスが、そう言ったのは、街外れの岩場での稽古の日だった。
ガロの抜けた穴を、どう埋めるか。前衛の要を失った隊の、立て直しの稽古だった。俺が前に出て、コッツが遊撃に回り、ミレアが下がる。新しい形を、体に馴染ませる。
その打ち込みを半日見ていた老兵の、第一声がそれだった。
「……どういう意味だ」
「言葉の通りさ。見てて、気味が悪いんだよ、おまえの短刀は」
ヴァンネスは、俺の手から短刀を取り上げた。
「踏み込みは、大剣の深さだ。腰の回しは、長剣の回しだ。肩には、四本腕の獣みてえな、妙な連動が入ってる。……その全部を、一尺半の刃に、無理やり、押し込んでやがる。樽の中身を、杯に注いでるようなもんだ。こぼれてる分が、もったいねえどころじゃねえ。……いつか、こぼれた分に、足を取られるぞ」
図星だった。
ドッズを継いでから、それはひどくなっていた。狂戦士の大剣。ドッズの長剣。俺の短刀。三人分の剣の理屈が、俺の体の中で、常に、席を奪い合っている。打ち込みの一本ごとに、どの型で振るかを、選び直している。選ぶ半瞬が、そのまま遅れになる。
そして、席を奪い合っているのは、頭の中だけではなかった。
「……見て、これ」
稽古の休みに、ミレアが、記録の帳面を開いた。約束通り、彼女は俺の体を診続けていた。
「あんたの肩と前腕の、筋の付き方。この一月の写し絵。……ここと、ここ。太くなり方が、おかしいの。短刀の稽古量じゃ、こんな場所は育たない。これはね、重い得物を、両手で振る人間の筋の育ち方よ」
帳面の上に、線の細い、几帳面な人体図が、並んでいた。そこに引かれた印は、稽古の量では説明のつかない速さで、俺の体が、作り替わっていることを示していた。
「体はね、正直なの」と、ミレアは言った。「頭がどれだけ『俺は短刀の五年だ』って言い張っても、体はもう、次の得物の支度を、始めてる。……薬で作り替えられたガロの腕と、あんたの継承と根っこは、同じよ。中身が変われば、器も変わる。……嫌な言い方で、ごめん。でも、これが診立て」
中身が変われば、器も変わる。
その言葉に、俺は、しばらく自分の前腕を見下ろしていた。
「……試しに、これを、振ってみろ」
ヴァンネスが、荷から出したのは、一振りの剣だった。
刃渡り三尺弱。短刀の倍。大剣より、二回り細い。片手でも両手でも握れる柄。
「同盟の鍛冶が、打った試し物だ。……いいから、振れ。一本でいい」
俺は、柄を握った。
革を二重に巻いた柄は、掌に、しっとりと吸いついた。重心を確かめる。短刀の、手首で操る軽さとは違う。大剣の、全身で担ぐ重さとも違う。腕と、腰の、ちょうど中間で釣り合う重さ。
半歩引いて、間合いを取った。
岩場の風が、止んだ気がした。
そして、一本、振った。
――かちり、と音がした。
骨の音でも、剣の音でもない。俺の中の、三人分の剣の理屈が、初めて同じ席に収まった音だった。大剣の踏み込みは、両手持ちの深さに。長剣の腰は、片手持ちの回しに。短刀の細やかさは、剣先の三寸に。三つの型が、奪い合いをやめて、一本の軌道の上に並んだ。
振り抜いた剣先が、狙った岩の稜線を、寸分違わず撫でていた。
コッツが、口笛を吹きかけて、やめた。ヴァンネスは、腕を組んだまま、何も言わなかった。何も言わない老兵の目が、全てを言っていた。
ぞっ、とした。
気持ちが悪いほど、手に馴染んだ。生まれてから今日まで、これを振って生きてきたかのように。
俺は、剣をヴァンネスに突き返した。
「……短刀で、いい」
「リゲル」
「俺の五年は、短刀の五年だ。じいさんに教わったのは、短刀の狩りだ。……これは」
これは、俺の技じゃない。
死んだ男たちの技だ。狂戦士の。ドッズの。俺が殺して、奪った連中の。この剣が手に馴染むということは、俺の体の中で、俺の五年より、奪った連中の年月の方が、もう、幅を利かせているということだ。
この剣を、正式に、帯びたら。
俺は、どこまでが、俺なんだ。
「――逆だと、思うぜ。おれは」
口を挟んだのは、稽古を見ていたコッツだった。
「兄貴はさ、その剣が『借り物の体の証拠』みてえに言うけどよ。……逆じゃねえの? バラバラの借り物を、一本にまとめられる持ち主が、兄貴なんだろ。樽と、杯の話ならさ。中身に合わせて器を替えるのは、中身に負けたんじゃなくて、中身を、ちゃんと引き受けたってことじゃねえのかな」
中身を、引き受ける。
「……それにさ」と、少年は、少しだけ、声を落とした。「兄貴が、非殺で詰めきれなかったのは、短刀の間合いが、深すぎるからでもあるだろ。あの広間で。……間合いが、もう半歩、外にあれば。峰で止められる場面が、増えるんじゃねえの。……おれを助けるために、兄貴に人を殺させちまった、おれが言うのも、変だけどよ」
少年は、ずっと、それを抱えていたのだ。
俺がドッズを殺したのは、コッツを守る、あの一瞬に、非殺の手が、届かなかったからだ。短刀の間合いは、近い。近すぎる間合いは、選べる手を、削る。もう半歩、遠くから、制圧できる得物があれば――次は、殺さずに、済むかもしれない。
殺さないための、剣。
その理屈でなら、俺は、これを、握れる気がした。
◇
「……預かる」と、俺は言った。「帯びるかどうかは、まだ、決めない。だが、稽古はする。短刀と、両方だ」
「上等だ」ヴァンネスは、笑った。「得物ってのはな、体に訊くもんだ。頭で決めるもんじゃねえ。……ま、じっくり揉め」
その晩、俺は、宿の部屋で長剣を鞘のまま、壁に立てかけた。
短刀は、いつも通り、枕元に。
枕元の短刀を手に取って、しばらく眺めた。柄の革が擦り切れて、じいさんと張り替えた痕。五層の岩喰らいの血を吸った染み。刃こぼれを研ぎ直した、波打つ刃文。この一尺半には、俺の五年が、傷の形で、全部、刻まれている。
初めて狼を仕留めた夜の記憶は、もうない。だが、その夜にこの柄を握っていた掌の形だけは、革の擦り切れ方が、覚えていてくれている。
道具は、記憶の入れ物だ。遺品が、名前の入れ物であるように。
だから、捨てない。長剣を帯びる日が来ても、こいつは、腰から外さない。
二つの得物を、交互に見た。
一尺半の五年と、三尺の、死者たち。
名前を唱える儀式の、その晩の最後に、俺は、初めて、こう付け足した。
――あんたたちの技は、預かってる。使い方だけは、俺が決める。
誰への言葉なのか、自分でも分からなかった。狂戦士へか。ドッズへか。それとも、いつか俺を満たしていく、まだ見ぬ全ての相手へか。
壁の長剣は、答えず、ただ、灯りを消した部屋の暗がりで、静かな輪郭のまま、立っていた。
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また、21時ごろに更新します!!
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