第65話「切り離された手」
詮議の結末は、始まる前から見えていた。
捕えた傭兵は、二人とも、同じことしか言わなかった。口入れ屋を通した、日雇いの護衛仕事だった。雇い主の顔は、知らない。指示は全部、ドッズから受けていた。そのドッズは死んだ。
線は、そこで切れていた。
綺麗に切れるように、最初から作られていた。
「――当会は、本件と、一切の関わりがございません」
詮議の席で、商会の代言人は、悲しげな顔さえ作ってみせた。
「亡くなられたドッズなる人物が、過去に当会の関係先で用心棒をしていた事実は、ございます。ですが、それをもって当会の関与を疑うのは、あまりに、乱暴なお話。……むしろ、当会は、被害者ですらある。〈鉄樹〉の隊長が、行程表を漏らした相手が、当会の名を騙っていたのだとすれば、これは、当会の信用への、重大な毀損です」
名を、騙っていたのだとすれば。
どこまでも白かった。白すぎて、吐き気がした。
俺は知っている。ドッズの記憶の中に、白亜の館があった。綿の声があった。銅の鎖の看板を、後ろ盾で掲げ直してやる、という、あの取引の言葉があった。
だが、それは証拠ではない。
誰にも、見せられない。「殺した男の記憶を継いだ」などと、口にした瞬間、崩れるのは、商会ではなく、俺だ。教会の異端審問と、商会の「回収」の、両方の網の中へ、自分から飛び込むことになる。
俺は、詮議の席でそれを飲み込んだ。
飲み込んだ真実は、腹の底で鉛のように冷たかった。
ドッズの死は、正当な防衛と認められた。仲間の命への、明白な危害の瞬間。他に手段のない状況。傭兵たちの証言すら、それを裏付けた。裁定官は、事務的に読み上げた。「――よって、リゲルの行為に、咎はない」
咎は、ない。
紙の上では、それで終わりだった。
だから、俺は、終わる前に手を挙げた。
「……一つ、記録に、加えてほしいことがある」
裁定官が、怪訝な顔をした。
「死んだドッズは、元は、この街の正規の冒険者だった。銅級。〈銅の鎖〉という隊の、リーダーだった。……賞金首でも、流れの傭兵でもない。この街の台帳に、名前のあった男だ。それを、今回の記録にも、残してくれ」
「……被害者側が、加害者の経歴を、酌んでやる謂れは」
「謂れの話じゃない。事実の話だ」
裁定官は、しばらく俺を見て、それから、書記に頷いた。羽根ペンが走った。『ドッズ。元・銅級冒険者。〈銅の鎖〉隊長』――たった一行。だが、その一行がなければ、この男は、記録の上で「正体不明の襲撃者」として、終わるところだった。
名前の入れ物は、遺品だけではない。記録もそうだ。
それを教えてくれた奴らの顔を思い浮かべながら、俺は席に戻った。
◇
裁定は、こう出た。
襲撃者二名、大穴内での傷害と拘束未遂により、鉱山労役五年。死亡した首謀者ドッズの背後関係は、「特定に至らず」。
そして――ガロ。
行程表の漏洩は、依頼上の守秘義務違反として、受注資格の停止、一年。刑罰としては、それだけだった。被害を受けたのが自分の隊で、その隊が告訴を望まなかったからだ。
だが、本当の裁きは、法の外で下った。
話が、街に流れたのだ。それも奇妙に詳しく。〈鉄樹〉の隊長が、商会からの借金と薬欲しさに、身内の行程を売った――という形で。ドッズの名も、傭兵の数も、俺が人を殺したことも、その話からは、綺麗に、抜け落ちていた。残ったのは、「身内を売った隊長」の醜聞、ただ一つ。
「……手際が、良すぎるだろ」
酒場で、コッツが吐き捨てた。
「詮議の中身が、こんなに早く、こんなに『選ばれて』外に漏れるかよ。……流してる奴が、いるんだ。うちの評判を、一番安く壊せる形に、切り貼りしてよ」
灰の同盟の中にも、動揺は走った。旗頭候補だった隊の、内輪の裏切り。組合側は、その話を、丁寧に、丁寧に、撒いて回った。ほらご覧なさい。独立独歩などと言ったところで、しょせんは、あの程度――。
ヴァンネスは、同盟の会合で、正面から、受けて立ったという。
「――ああ、その通りだ! うちの身内から、裏切りが出た! 隠しゃしねえ!」
樽の上で、老兵は吠えたそうだ。
「だがな、聞け! そいつは、矢の雨ん中で、寝返って、隊の前に立ち直して、腹に剣を貰った! 裏切って、庇って、洗いざらい吐いて、自分から隊を出てった! ……なあ、教えてくれ! 組合の旦那がたの中に、しくじりを自分の腹で払った奴が、一人でもいるかい!? 銀貨で払った奴なら、大勢知ってるがなあ!!」
倉の中は、笑いと拍手で割れたという。
醜聞は消えなかった。だが、同盟は割れなかった。
◇
ガロは、井戸番をしていた。
西のスラムの、あの共同井戸。オルガ婆の口利きだという。報酬は、銅貨と、日々の飯。かつて金貨で専属に誘われた男の、新しい持ち場だった。
俺は、一度だけ遠くからその姿を見た。
大男は、井戸の脇の石に腰掛け、水を汲みに来る老婆の桶を、黙って、引き上げてやっていた。右腕は、もう、盾を持たない。持たない腕で、桶を引く。子供が水を零せば、汲み直してやり、順番で揉めれば間に座る。
スラムの連中は、事情を知っているはずだった。裏切りの話は、ここまで届いている。それでも、婆たちは、当たり前の顔で、桶を預けていた。
「――この界隈はね、恩を、金より長く覚えるんだ」
いつか、オルガ婆の言った言葉が、井戸端の光景の、そのままの説明になっていた。遺品を探し回った男の恩は、まだ、この界隈の帳面から消えていなかった。
俺は、声をかけずに帰った。
まだ、かける言葉が、俺の中で、形になっていなかった。恨みではない。それは確かだ。だが、赦しの言葉を口にするには――俺の中には、ドッズがいた。ガロの写した行程表が、巡り巡って殺させた男が、俺の中にいた。
その男の分の言葉を、俺はまだ持っていなかった。
◇
ニラの封筒は、また厚くなった。
詮議の記録の写し。流れた醜聞の、文言の採録(「話の切り貼りの形も、証拠になるの。切り貼りには、切った人の意図が残るから」)。傭兵の口入れ屋の名。そして、商会の代言人の「名を騙っていたのだとすれば」という、仮定の形をした予防線の一句。
「……ねえ、リゲル」
封をし直しながら、ニラが、ふと言った。
「敵はね、たぶん思ってる。今回も、うまく切り離せた、って。手足を切って、頭は無傷で、評判まで、こっちから奪えたって。……でもね、私の帳面の上では、違うの」
ニラは、封筒を軽く叩いた。
「今回、初めて、『切り口』が増えたの。ザッハさん。労役に行った傭兵二人。口入れ屋。ドッズさんの過去を知る人たち。……切り離された手足は、痛みを、覚えてる。いつか、痛みは、証言になる。……だから、負けてない。今回も、まだ、負けてないから」
まだ、負けてない。
その言葉を、こいつは、鉄樹が一番暗い時期に、一番静かな声で言うのだった。
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