第64話「星喰らい」
ミレアが、俺の部屋の戸を叩いたのは、地上に戻って、五日目の夜だった。
彼女は部屋に入り、後ろ手に戸を閉め、椅子も勧められないうちに、立ったまま言った。
「時間をあげたつもりよ。五日。……もう、十分でしょう」
何の、とは言わなかった。言う必要がなかった。
「あの広間で、あんたは、矢の雨の中を、目を閉じて躱してた。地面の下の音を聞くみたいに。ドッズを仕留めた後、あんたは、魂の抜けた顔で膝をついてた。傷は、一つもないのに。それから、五日。あんたは、夜、眠ってない。壁越しに分かる。……ねえ、リゲル。あたしは、治療術士なのよ。隊の体のことで、あたしに隠し事が通ると、本気で思ってた?」
俺は、コッツを呼んだ。
一人で話すより、二人で話すべきだと思った。この秘密を、先に受け止めてくれた少年と、一緒に。
そして、話した。
全部だ。星継のこと。涸れ沢の夜のこと。継ぐたびに、消えていくこと。母の顔。村の冬。初めての狩りの夜。そして、五日前――ドッズの五年と、引き換えに消えた、父のこと。
コッツが、要所要所で言葉を足した。俺が言い淀む場所を、先に受け止めた者の言葉で、均してくれた。「おれも、最初は、びった。けど、聞いてくうちに分かるんだ。これ、力の話じゃなくて、失くしものの話なんだって」
ミレアは、一度も口を挟まなかった。
いや――正確には、三度だけ挟んだ。三度とも、治療術士の問いだった。
「継承の直後、脈は」「喪失に気づくまでの間隔は、毎回同じ?」「痛みは。頭、胸、どこかに」
感情の問いは、一つもなかった。まるで、初診の患者を診るように。だが、その事務的な問いの連なりが、俺には、どんな慰めより聞きやすかった。この人は、俺を、化け物としてでも、哀れな男としてでもなく――診るべき体として扱ってくれていた。
聞き終えて、それから、ようやく椅子に腰を下ろした。腰を下ろして、長いこと、自分の掌を見て――それから、静かに口を開いた。
「……一つだけ、確認させて」
「ああ」
「教会の値上げの理由書き。『星喰らいの兆候が相次ぎ報告され』……あの日、あんたが変な顔をしてたのは。あれは」
「……たぶん、俺のような者のことだ」
ミレアは、目を閉じた。
「……そう。繋がった」
それから、彼女は、俺が予想していたどの反応とも違うことをした。
怒ったのだ。
「――この、大馬鹿!!」
部屋が、震えるかと思った。
「なんで、もっと早く言わないの!? あたしを、何だと思ってたの!? 教会が怖い? 妹がいるから? 星喰らいの説話を気にしてたから? ……あのねえ! あたしはね、破門された身なのよ!? 教会の看板の裏がどれだけ薄汚いか、この街の誰より知ってるのよ!? その、あたしが!! 教会のお伽噺を真に受けて、仲間を売るとでも思った!?」
「ミレア、それは――」
「思ったんでしょう! 少しは!」
図星、だった。
ミレアは、荒い息を二つ、三つ吐いて、それから声を落とした。
「……ごめん。怒鳴ることじゃ、なかった。あんたの警戒は正しい。教会は危険よ。本物の危険。……だからこそ、あたしに、早く言うべきだったの。あたしは、あいつらの手口を、内側から知ってる、唯一の隊員なんだから」
彼女は、それから、俺の知らない話をした。
「……見たことが、あるの。十四のとき。リディアの大聖堂で」
声が、一段低くなった。
「護送の列だった。異端審問局の。真ん中に、鎖に繋がれた人がいた。まだ若い男の人。暴れもしないで、ただ、歩いてた。……周りの司祭様たちが、囁いてた。『星喰らいだ』って。『三人分の星を、喰った化け物だ』って。あたしたち見習いは、目を伏せろって言われた。でもあたし、見ちゃったの。その人の、目を」
「……どんな目だった」
「空っぽじゃ、なかった」
ミレアは、まっすぐに俺を見た。
「化け物の目でもなかった。ただ、ものすごく……疲れてて、ものすごく静かで。護送の司祭様に、小さな声で、何か、ずっと確認してた。後で、聞こえた分だけ分かった。『名前は、名簿に、残りますか』って。自分の名前じゃない。自分が『喰った』とされた、三人の名前が、ちゃんと、どこかに記録されるのかって。……それだけを、何度も訊いてた」
部屋が、静まり返った。
名前を気にした継承者。処刑されるだろうその瞬間まで、自分の内に取り込んだ者たちの名を、案じた誰か。
夜ごと名前を唱える、俺と同じ誰か。
「その人が、どうなったかは、知らない。知りたくもなかった。……でもね、リゲル。あの日から、あたしは、教会の説く『星喰らい』を、信じてない。化け物ってのはね、あんな目はしないのよ」
それから、ミレアは、一度目を伏せた。
「……正直に言うわね。今、あたしの頭の中で、算盤が鳴ってる。教会が『星喰らい』を数えてる。あんたは、たぶん、その勘定の中にいる。あたしの妹は、教会の療養院にいる。……あんたの側に立つことが、いつか、リタの立場に跳ね返るかもしれない。その勘定が、ずっと鳴ってるの」
誰も、何も、言えなかった。それは、この部屋で、一番重い天秤だった。ミレアだけが、その両皿の重さを、正確に量れる。
「――でも、決めた」
ミレアは、顔を上げた。
「あたしは、リタに、いつか、胸を張って会いたいの。『お姉ちゃんは、外で、何をしてたの』って訊かれたとき、『困ってる仲間から、目を逸らさなかった』って言える姉で、いたい。……教会に順番を売った大人たちと、同じ側には、二度と立たない。それだけよ」
◇
その晩、ミレアは、帰り際に、二つのことを言った。
一つ目は、事務的に。
「あんたの体のこと、これからは、あたしが診る。継承とやらの前後の、脈、目、体温。全部、記録する。喪失に、体の予兆があるなら、掴みたい。……治療術士として、ね。診察代は、まけとく」
二つ目は、戸口で、こちらに背を向けたまま。
「……ニラちゃんと、コッツと、あんたで、三人の頭に入れてるんでしょう。あんたの記憶。……四人に、しなさい。あたしの頭は、薬草の効能を三百、憶えてる頭よ。あんたの思い出の、十や二十、余裕で入る」
返事を待たずに、戸が閉まった。
コッツが、隣で、へへ、と笑った。
「……な? 言ったろ、兄貴。この隊、脛に傷のねえ奴、一人もいねえって。……傷のある奴ほど、人の傷に、慣れてんだよ」
四人に、なった。
俺の記憶の、証人が。
消えていくものの受け皿が、また一つ、増えた夜だった。
第64話更新です!




