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継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


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第55話「旗頭」


火がついたのは、入穴料の告示だった。


『大穴管理組合の発足に伴い、入穴料を改定する。灰級・銅級、従前の二倍。鉄級以上、従前の三倍。なお、素材の買い取りは、今後、組合指定の窓口に一本化する』


二倍と、三倍。そして、買い取りの独占。


潜って稼ぐ者の、入り口と出口の両方に、関所が建った。入るときに搾られ、売るときに買い叩かれる。浅層で日銭を稼ぐ新人ほど、打撃は深い。灰級の一日の稼ぎから倍の入穴料を引けば、手元にはパンの一つも残らない日がある。


それが絵空事でないことを、俺は翌日、目の当たりにした。


大穴の入り口で、〈青麦〉のピノが仲間と、財布の中身を数えていた。


「……リゲルさん」俺に気づくと、そばかすの少年は無理に笑った。「参りました。今日の五人分の入穴料を払うと、松明の油が買えなくて。油をけちって浅いとこだけ回ると、今度は、納品が入穴料に届かなくて」


「潜るほど、減るのか」


「はは。……変ですよね。潜るほど減るんです」


少年は笑ったまま、言った。笑うしかないのだろう。教わった通りに、仲間を見て、隊列を組んで、真面目に潜って――それでも、算盤の上で沈んでいく。腕でも性根でもなく、関所の高さで。


「〈青麦〉だけじゃ、ねえ」と、後でヴァンネスが言った。「この半月で、灰級の登録抹消が、十七件だ。例年の三倍。……飢えて辞めるか、無理して深場に潜って死ぬか。若いのが、その二択に追い込まれてる」


「殺す気か、って話だよなあ!」


その晩の酒場は、荒れていた。


卓という卓で、独立系の冒険者が告示の写しを叩き、酒を呷り、吠えていた。新人だけではない。中堅も、古株も、だ。組合に――商会に飼われる道を選ばなかった全ての潜り屋にとって、この告示は宣戦布告に等しかった。


「なあ、ヴァンネスの旦那! あんた、古株の顔役だろ! なんとか言ってくれよ!」


「支部長は組合の言いなりだ! 誰が俺たちの声を、上に届けるんだ!」


酒場の視線がヴァンネスに集まり――それから、その隣の、俺たちの卓に流れた。


「……〈鉄樹〉が、いるじゃねえか」


誰かが言った。


「眷属級を獲って、階層主を獲って、商会の専属を蹴って、偽依頼を罠ごと噛み返して、崩落じゃ商会の隊まで助けて――それでまだ、潰れてねえ隊が」


「〈鉄樹〉なら、商会に、ものが言える」


酒場が、妙な熱を帯び始めた。


旗頭。


その言葉の形が見える前から、空気の中にあった。


◇


「――受けるな、とは、言わねえ」


帰り道、ヴァンネスが低い声で言った。


「独立系がまとまるのは、正しい。ばらばらの砂利のままじゃ、組合の水に流されて終わる。固まって、石になるしかねえ。……ただな、リゲル。旗ってのは、一番、風を食らう場所だ。一番目立って、一番、狙われる」


「分かってる」


「分かってねえよ」老兵は俺を横目で見た。「おまえには、目立っちゃならねえ理由が、あるだろう」


心臓が、一つ、跳ねた。


「……教会が、『星喰らい』の兆候とやらを、数えてる。商会は、おまえの戦い方を探ってる。そこへきて、独立系の旗頭なんぞに祭り上げられてみろ。おまえの名前と顔は、この街の外まで届く。……届いた先に、何が待ってるか、俺には分からねえ。分からねえのが、一番、怖え」


ヴァンネスは、俺の秘密を知らない。知らないまま、この老兵は正確に、俺の急所の位置だけを言い当てていた。


「……それでも、だ」と、俺は言った。「入穴料の告示は、放っておけば、新人から死ぬ。浅層で日銭を稼ぐ、あのへんの若いのから。……知ってて避けられた死に方をさせるのは、見殺しだって、教えてくれたのは、あんただろ」


ヴァンネスは長いこと、黙って歩いた。


それから、古傷を歪めて笑った。


「……ったく。嫌な弟子だぜ、おまえは」


◇


数日後、思わぬ男が接触してきた。


ザッハだった。


場末の酒場の、一番奥の卓。商会の専属隊長は、フードを目深に被ったまま、前置きなしに切り出した。


「……時間がねえ。一度しか言わねえから、よく聞け」


声が硬かった。


「商会の中で、おまえたちの――正確には、リゲル、おまえの扱いが変わった」


「変わった?」


「今までは『排除』だった。目障りな独立系の、締め出し。潰し。……それが、あの崩落の後から変わった。今は――『回収』だ」


回収。


物の言い方だった。人ではなく、物の。


「上の方の指示らしい。『鉄樹の狩人は、傷物にするな。無傷で、回収しろ』とな。……妙な言い回しだろ。俺も、又聞きの又聞きだ。だが、この言い回しだけは、聞き間違えようがなかった。無傷で、回収」


傷物に、するな。


器を、扱う言葉だ。


グレム・バルドーの、あの柔和な目を思い出した。空の器を見ると、心が躍る。何を注いでやろうか、と。


「排除なら、まだ分かる」と、ザッハは続けた。「商売の邪魔者を消す。汚えが、商人の理屈だ。だが、回収は違う。回収ってのは、値打ちを認めた、ってことだ。……いいか、リゲル。おまえの何かに、商会は、金貨の山より高い値をつけた。俺には、それが何かは分からねえ。だが、あの商会が、損得抜きで動いたのを、俺は二十年で、一度も見たことがねえ」


金貨の山より、高い値。


俺の中で、それに該当するものは、一つしかなかった。誰にも話していない、あの力。あるいは――その力の入っている、この、空の器。


「……なんで、俺にそれを教える」と、俺は訊いた。「あんた商会の専属だろう。ばれたら、ただじゃ済まない」


「借りは、返す主義なんだ」ザッハは短く言った。「崩落の借りは、詮議の証言で返した。……これは、その先の話だ。あんたは、敵の俺を、三つ数えて、生かした。なら俺は、あんたが『回収』される前に、三つ数える分の時間をやる。それで、貸し借りなしだ」


男は立ち上がり、去り際に、一度だけ振り返った。


「気をつけろ。回収ってのは、正面からは来ねえ。……一番、疑わねえ手から、来る」


◇


一番、疑わない手。


その言葉を胸の中で転がしながら、宿に戻ると――溜まり部屋が、妙に明るかった。


「おい、リゲル! 見ろ、見てくれ!」


コッツが興奮した顔で、手招きしていた。その視線の先。


部屋の中央で、ガロが立っていた。


右腕の布が、外れていた。


そして、その右手が――床に置かれた、水の入った桶を掴み、持ち上げていた。震えながら。だが、確かに、持ち上げていた。


「……動いたんだ」と、ガロが掠れた声で言った。「今朝から、急に。……指が、動きやがった」


ミレアが、その腕を掴むように取って、検分していた。


その横顔から、喜びの色が、すとん、と抜け落ちていくのを、俺は見た。


第55話更新です!


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