第53話「星無しと呼ばれた日々の終わり」
遺構ラッシュは、じいさんの予言通り、弾けた。
きっかけは事故だった。遺構の浅い区画で、大規模な崩落。素人の探索者が、二十人以上、生き埋めになった。街は震撼した。ゴールドラッシュの熱狂が、一夜で冷めた。
ギルドは遺構の全面閉鎖を決定した。「安全が確認されるまで」という名目で。
だが、俺は知っていた。本当の理由を。
足の裏が告げていた。あの崩落は自然のものではない。落とし仔が――いや、落とし仔すら逃げ出した、あの西の「何か」が。遺構の真下で、また動いた。その余波が崩落を引き起こした。
災いは掘り起こされ始めていた。宝のすぐ隣で。
◇
遺構の閉鎖で、街は潮が引くように静かになった。
外から来た山師や投機家は、去っていった。物価は少しずつ元に戻った。ヴェルデはまた、元の地味な迷宮都市に戻ろうとしていた。
だが、〈鉄樹〉には、まだ問題が残っていた。
ガロの借金。金貨二十枚。返済の期限は、あと半月。遺構が閉じた今、返済の当ては完全に絶たれた。
だから、俺たちは動いた。
起死回生の一手。それは意外にも、ミレアが持ってきた。
「……教会の伝手を、使うわ」と、ミレアは言った。「破門された身だけど、療養院には、まだ、あたしに恩を感じてる人が、何人かいる。その伝手で、聖教国リディアの薬種商に繋いでもらう。……月鈴草の上物。ヴェルデでしか採れない、上薬の材料よ。リディアじゃ、ヴェルデの三倍の値がつく」
「それを、卸すのか」
「そう。遺構の遺物なんかより、地道だけど、確実。……〈鉄樹〉がこれまでコツコツ採ってきた月鈴草の目利き。ミレアの、教会の伝手。それを組み合わせれば、金貨二十枚は――届く」
それは、〈鉄樹〉がこれまで積んできた、すべての集大成だった。
リゲルの狩人の目利き。ミレアの薬草の知識と、教会の伝手。コッツの故買筋の、流通の知恵。ニラの契約書の読み込み。そして、ガロの――信用。
遺物ラッシュの狂乱に乗らず、地道に街の「下」の味方をしてきた〈鉄樹〉の評判。それが、リディアとの取引の後ろ盾になった。
俺たちは半月をかけて、月鈴草の大口の卸し取引をまとめた。
それは簡単ではなかった。
商会は当然、妨害してきた。ヴェルデの正規の交易路は、商会が握っている。月鈴草をリディアへ運ぶには、その路を通らねばならない。商会は運び手に圧力をかけ、〈鉄樹〉の荷を運ばせないようにした。
だが、ここでも〈鉄樹〉が街に撒いてきた種が、芽を出した。
運んでくれたのは、行商人たちだった。かつて〈鉄樹〉が街道の護衛をした、小商いの行商人。スラムの井戸を守ってやった恩を覚えていた者たち。彼らは商会の圧力を承知の上で、荷を運んだ。「商会の睨みより、鉄樹の恩のほうが、重い」と。
銭に色はない。色を付けるのは、使う人間だ。〈鉄樹〉が地道に撒いてきたものが、また、こういう形で帰ってきた。
金貨、二十二枚。
ガロの借金を返して、なお余りが出る額だった。
◇
借金の完済を報告しに、俺たちは治療院のガロの病室へ向かった。
全員で。ニラも、ヴァンネスも。
ガロは寝台の上で、俺たちの報告を聞いた。
金貨二十二枚。借金の完済。商会の手綱は外れた。ガロは専属の「駒」にされずに済む。
大男は長いこと、黙っていた。
それから、包帯の吊るされた右腕を震わせ、無事な左手で顔を覆った。
「……ばかやろう」
声が掠れていた。
「俺の、借金だぞ。俺が勝手に作った借金だ。それを……おまえらが、みんなで……」
「隊の借金だ」と、俺は言った。「あんたが隊のために作った借金だ。なら、隊で返す。……当たり前だろ」
「全員で潜って、全員で帰る」と、ミレアが言った。「借金からも、全員で帰るのよ。あんたの隊則でしょ」
「……ずるいぞ、それを使うのは」
ガロは笑った。笑いながら、泣いていた。
大の男の涙を、誰もからかわなかった。ただ、コッツがそっと串焼きを差し出し、ヴァンネスが下手な冗談を言い、ニラが手帳に、この日のことを書き留めた。
『鉄樹、ガロさんの借金を、完済。全員で、返した。ガロさん、泣いた。いい涙だった』
◇
その帰り道。
俺はふと気になって、一人、病室に戻った。
手帳を忘れた、と言うニラの使いだった。
病室の扉を開けようとして――俺は、また足を止めた。
いや、今度は声ではなかった。
扉の隙間から、見えた。
ガロが寝台の脇の荷袋を開けて、中の何かを見つめていた。
上等な、紙。
上等な――雪見紙の封書。
商会の私製便箋。あの偽依頼の依頼書と、同じ紙。そして封蝋には、天秤と樽の紋。
借金は返した。手綱は外れた。
なのに、なぜ、ガロの荷袋に、商会の便箋があるのか。
それも――封を、切られた、便箋が。
ガロはその便箋をじっと見つめ、それから、そっと荷袋の奥に仕舞い直した。その横顔は、俺の知っているガロの顔ではなかった。
何か、思い詰めた。何か、隠した。
俺は、扉を開けられなかった。
声を、かけられなかった。
――信じるのと、見て見ぬふりをするのは、違う。
ニラの言葉が蘇った。
今、扉を開けて、訊くべきだった。「その便箋は、何だ」と。ガロがまだ商会と何か繋がっているのか、確かめるべきだった。
だが、俺は。
俺は、扉からそっと離れた。
見なかったことにした。
借金は返した。手綱は外れた。ガロは俺を庇ってくれた。だから、大丈夫だ。あの便箋は、きっと返済の書類か何かだ。
そう自分に言い聞かせて。
俺は、まだ、何も見なかったことにした。
それが、どれほど、高くつくかも知らずに。
◇
星無しと呼ばれた日々が、終わろうとしていた。
俺はもう、星無しの掃除屋ではなかった。眷属級を、階層主を、そして落とし仔にすら痛撃を与えた狩人。隊は鉄級になり、借金を返し、街の「下」の信頼を得た。
何もかも、順調に見えた。
だが、その順調さの裏で。
遺構の底で、災いは目を覚まし。ガロの荷袋で、商会の便箋が息を潜め。そして、俺は大事なことから、目を逸らし続けていた。
冬が終わり。
春が来ようとしていた。
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