第48話「先客」
星図に見入っていた俺を、現実に引き戻したのは、コッツの鋭い声だった。
「――兄貴! 誰か来る! 東の坑道から! 複数だ!」
足の裏に、意識を戻す。振動。複数の人間の足音。装備の重い音。こちらへ、まっすぐ、近づいてくる。
「商会の探索隊だ」と、俺は言った。「隠れる。……いや、遅い。もう気づかれてる」
東の坑道から、松明の光とともに、一団が現れた。
八人。揃いの、上等な装備。胸に、天秤と樽の紋。バルドー商会の、専属探索隊だった。先頭に立つのは、冷たい目をした、銀級らしき隊長格の男。
「……おや。〈鉄樹〉じゃないか」
隊長格の男は、俺たちを見て、薄く笑った。
「旧坑道から、遺構への不正侵入。……現行犯だな。ご丁寧に、証人が八人もいる。ドレン様の読み通りだ」
やはり、罠だった。俺たちが、旧坑道から遺構に入る、その現場を、押さえるための待ち伏せ。
「掘った遺物は、没収させてもらう。それと、お前たちの『不正侵入』は、ギルドに、報告させてもらう。……〈鉄樹〉の名も、これで、終わりだな。規制破りの、犯罪者集団として」
「――待て」と、俺は言った。「一つ、確認したい。あんたたちも旧坑道から、来たな。同じ不正侵入だ」
「我々は、商会の、正規の探索隊だ」男は、鼻で笑った。「入札で、権利を得ている。旧坑道の、使用許可も、な。……お前たちとは違う」
なるほど。表の道も、裏の道も、商会が握っている。旧坑道を通っても、商会の隊は「正規」で、俺たちは「不正」になる。完璧な仕組みだった。
「悪く思うな。これも、仕事だ」
男が手を上げた。八人が、得物を構える。捕縛か、あるいは、それ以上か。この深さで、俺たちを「事故死」させても、誰も、気づかない。
そのときだった。
◇
地が、揺れた。
あの、大崩落の日と、同じ。地の底からの、突き上げるような衝撃。
だが、今度は、もっと近い。
足の裏が、悲鳴を上げた。遺構の真下。あの、等間隔の「足音」の主が――西のあれが動いた。動いた衝撃で、遺構を支える、岩盤が軋んでいた。
「崩れる!」と、俺は叫んだ。「全員、壁際へ! 中央から、離れろ!」
だが、商会の隊は、動けなかった。突然の揺れに、浮き足立ち、隊列が乱れた。
天井が、落ち始めた。
巨大な岩塊が、空洞のあちこちに降り注ぐ。青白い光が、土煙に遮られる。悲鳴。轟音。逃げ惑う松明の光。
商会の隊長格の男が、落石の下敷きになりかけた。
とっさに、俺の体が動いていた。
男を、突き飛ばし、俺自身は転がって、落石を躱す。間一髪。男は、尻餅をついたまま、呆然と俺を見上げた。
「……なぜ、助けた。俺は、お前たちを、始末しようと」
「後にしろ!」俺は、怒鳴った。「今は、崩落だ! 恨みは、生きて帰ってから、いくらでも聞く!」
空洞は、地獄と化していた。
商会の隊も、〈鉄樹〉も、関係なかった。降り注ぐ岩塊の下で、生き残ることだけが、全てだった。
俺は、叫んだ。
「聞け! 全員だ! 商会も、うちも関係ない! 生きたきゃ、俺の指示に従え! 足の裏で、次の崩落が読める! 東は、駄目だ! そこは、次に落ちる! 西の壁際、あの星図の下だ! そこだけが、この空洞で、一番頑丈だ!」
なぜ、そこが頑丈と分かる、と、問う者はいなかった。誰も、そんな余裕はなかった。ただ、俺の声に、確信があったから、皆従った。
岩喰らいの、振動感覚。裂き腕の、痛みの記憶。俺の中の、継いだ力のすべてが、今、崩落の中に、生きる道を拓いていた。
落石の隙間を読む。次に落ちる場所を読む。安全な、一瞬を読む。
最初の合図で、六人が走った。頭上を、岩塊が掠める。二人目の集団が走りかけて――俺は、怒鳴った。
「待て! 三つ数えろ!」
全員が、凍りつく。一。二。彼らの走るはずだった道筋に、家ほどの岩が、落ちた。土煙。三つ数えなければ、四人が消えていた。
「――今だ! 走れ!」
誰も、もう疑わなかった。商会の男たちが、先刻まで始末しようとしていた俺の声を、命綱にして、走った。ミレアが、腰の抜けた商会の若い隊員の襟首を掴んで、引きずるように走った。ガロが、砕けかけた盾を、それでも頭上に掲げて、殿の二人に、屋根を作った。
最後の一人――足を挫いた商会の斥候を、コッツが、肩を貸して引きずり込んだ。
「な、なんで、助ける……俺たちは、あんたらを……」
「うるっせえ! 崩落ん中じゃ、敵も味方も、あるかよ!」
少年の怒鳴り声が、轟音の中で、妙にまっすぐに通った。
俺の合図で、商会の隊も、〈鉄樹〉も、星図の壁の下へ、殺到した。
一人の死傷者も、出さなかった。
◇
崩落が、収まったとき。
星図の壁の下に、身を寄せ合っていたのは、〈鉄樹〉の五人と、商会の隊の八人だった。
敵同士が、肩を並べて、荒い息を吐いていた。
出口は塞がれていた。東の坑道も、俺たちが来た旧坑道も、崩落で埋まっていた。閉じ込められた。それも、敵と味方がまとめて。
「……妙な、ことに、なったな」と、商会の隊長格の男が、掠れた声で言った。
男は、しばらく、俺を見ていた。それから、ばつが悪そうに、言った。
「……助けられた、ばかりか、生き延びる道まで、示された。仇にな。……お前たちを、始末しようとした、この俺が」
「礼は、要らない」と、俺は言った。「ただ、一つ、頼みがある。……生きて帰れたら、今日のことを、ありのまま、証言してくれ。〈鉄樹〉が、旧坑道に入ったのは、ガロの借金のためだったこと。そして、崩落の中で、商会の隊を見捨てなかったこと。……それだけ、記録に残してくれ」
男は、俺の顔を、まじまじと見た。
「……記録、か。妙なことを、言う奴だ。命が懸かってる時に」
「記録は、命より長く残る」と、俺は言った。「俺たちが、ここでどう振る舞ったか。それが、残れば……いつか、真実の証拠になる」
それは、ニラの受け売りだった。そして、ガロの受け売りでもあった。正義は、どっちが長く覚えているかの、勝負だ。
男は、長いこと、黙ってそれから頷いた。
「……いいだろう。生きて帰れたら、証言する。俺は、ザッハ。商会の専属だが……今日のことは、専属の、命令より重い」
◇
閉じ込められた、空洞で。
俺たちは、脱出の道を、探し始めた。敵と、味方が、協力して。奇妙な休戦だった。
コッツが、崩れた岩の隙間を、調べる。ミレアが、両隊の負傷者を、分け隔てなく、治療する。「治療費は、後で商会に請求するから」と言いながら。ガロとザッハが、脱出経路を相談する。
俺はその間、もう一度、星図の壁を見上げていた。
巨人の星座。赤い宝石の、右手。青い宝石の、左足。三ツ星の、帯。
この壁の下で、俺たちは、生き延びた。敵と、味方の、境界が崩落で溶けた。
皮肉なものだ。俺の名前の星座が、俺たちを守った。
だが、俺は知っていた。この星図は、守護の印ではない。
これは、星継の生まれた場所の印だ。
そして、その星座が、俺と、じいさんと、ニラの、名前であることの、意味を――俺は、まだ、掴みきれずにいた
掴みかけて、指の間から、こぼれる。まるで、失われていく記憶のように。
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