第44話「黄金の報せ」
遺構の噂は、ひと月で、ヴェルデを別の街に変えた。
かつて、大穴で稼ぐのは、命知らずの冒険者だけだった。今は違う。誰もが、遺構を目指した。
一攫千金の報せは、風より速く、大陸を駆けた。近隣の街から、山師が。王都から、投機家が。名も知れぬ辺境から、食い詰めた流れ者が。ヴェルデの城門は、朝から晩まで、欲望に濁った目をした人間で、溢れ返った。
宿は満室になり、宿代が三倍に跳ね上がった。酒場は連日、遺物の値の話で沸き、パン一つの値段が、ひと月前の倍になった。街の物価が狂い始めていた。
「……街が、腐っていくのが、見えるようだ」
ヴァンネスが、遺構帰りの荷を担いだ男たちの列を見ながら、苦い顔をした。
遺物は、確かに桁違いの値で売れた。淡く光る結晶ひとつが、鉄級冒険者の年収に匹敵した。だが、その黄金の報せの裏で、大穴は日に日に、死者の数を増やしていた。
素人が、装備も知識もないまま、深層へ潜る。遺構は第七層の底だ。そこへ辿り着くまでに、いくつもの階層を越えねばならない。灰犬に、引き込みに、岩喰らいに――遺構に辿り着く前に死ぬ者が、後を絶たなかった。
大穴の入り口の壁。未帰還者の人相書きは、もはや貼る場所がないほど、増えていた。
その人相書きの前で、俺は、一人の男を見た。
外から流れてきたらしい、痩せた男だった。人相書きの一枚を、じっと、見つめている。若い男の絵だった。男は、それを指でそっとなぞった。
「……息子さんかい」と、通りかかった買い取り屋が、慣れた調子で、声をかけた。
「三日前に、遺構へ潜ったきりでな」男は、掠れた声で言った。「金鉱を掘り当てたら、家を建てるんだと……笑って出ていった」
買い取り屋は、気の毒そうに、首を振って去った。男は、まだ、人相書きの前に立っていた。
「宝と、災いが、半分ずつ、か」と俺は呟いた。「宝に目が眩んで、災いに気づかない連中で、街が溢れてる」
「……ああいうのを、見ると」と、隣で、ヴァンネスが言った。「三十年、この穴で、飯を食ってきたことが、たまに嫌になる。穴は、いつだってこうだ。誰かの黄金は、誰かの、人相書きの上に乗っかってる」
◇
じいさんからの、返事が届いたのは、遺構ラッシュの、真っ只中だった。
俺が「あんたは何者だ」と問うた、あの手紙への、返事だった。
封を切る手が、少しだけ、こわばっていたのを、覚えている。
『リゲルへ
何者だ、と来たか。はは。
大した謎でもなくてな。がっかりするなよ。
わしは、若い頃、大陸を渡り歩いた狩人でな。北から南まで、獣を追って、ずいぶん歩いた。その頃の、狩り仲間が、まだ、あちこちに、散って生きておる。歳を取って、狩りをやめた連中がな。行商をやったり、宿をやったり、隠居したり。
そいつらが、便りをくれるのよ。あそこの山で、獣がおかしな逃げ方をしておる。あの土地で、地鳴りがする、とな。……狩人の便りは、行商の噂よりずっと早い。ずっと、正確だ。獣は、人より先に、異変を知るからな。その獣を、読む者はなお早い。
大穴の下で星が動く、というのも、そういう便りの、一つよ。ヴェルデの近くに住む、昔の仲間が、「西の山の獣が、根こそぎ、東へ逃げておる」と、報せてよこした。獣が、逃げる。それも大挙して。なら、その逃げる先の、逆側に、獣を追い立てる「何か」がおる。地の底で、それが動けば、地が揺れる。……狩人なら、誰でも読める。わしは、それを、お前より二十日早く聞いただけだ。
種を明かせば、こんなものだ。予言でも、魔法でもない。ただの、古い狩人の耳の早さよ。
お前も、いずれそうなる。獣を、風を、地を読む力は、狩りの年季と共に深くなる。わしの耳は、六十年分だ。お前の耳は、まだ五年分。それだけの差だ。
案ずるな。わしは、ただの耳の早い爺じゃ。
ベテル』
俺は、その手紙を、三度、読んだ。
一度目で、ほっとした。
そうか、狩人の情報網か、と。じいさんは、若い頃、大陸を歩いた狩人だと、前に、聞いたことがある。その伝手が、今も生きている。それなら、遠くの異変を早く知るのも道理だ。獣は、人より先に、異変を知る。その獣を読む狩人なら、なお早い。……俺自身、足の裏で、地の底の「足音」を、拾えるようになってきた。じいさんの耳が、俺の何十倍も鋭いだけの話だ。
筋は、通っていた。
二度目で、少しだけ、引っかかった。
では、器の話は。溢れる水の、行き先を「知っている」ような、あの書き方は。星継という、文献にもない力の代償を、なぜ知っている。……それは、狩人の耳では、説明がつかない。
だが三度目で、俺はその引っかかりを、畳んだ。
星継のことは、じいさんが、俺に狩りを教える中で、気づいたのかもしれない。あの人は、俺を五年そばで見ていた。俺が、何かを継ぐたび何かを失うのを、一番近くで、見ていたのは、じいさんだ。だから、代償のことも経験として知っている。……そう考えれば、筋は通る。
通る。
通ってしまう。
その、あまりの通りの良さが、後から思えば、奇妙だった。だが、そのときの俺は、答えが返ってきたことに安堵していた。
疑いたくなかったのだ。
母の顔を失っても、村の冬を失っても、俺の背骨で、あり続けてくれたあの字を。
俺は、手紙を油紙に包んで、荷の底に仕舞った。
それで、この件は片付いたはずだった。
◇
〈鉄樹〉も、動いていた。
兵糧攻めは、遺構ラッシュで、実質崩れていた。商会が握っていた「割のいい依頼」の価値が、遺物の前では、無意味になったからだ。誰も、地道な護衛や採取など、見向きもしない。街中が、遺構という一つの的を、狙っていた。
「うちも、遺構を狙うのか?」と、コッツが訊いた。
その目には、隠しきれない欲が、光っていた。無理もない。遺物ひとつで、スラムの子供たちの冬が、何十年も安泰になる。ミレアの妹の療養費も、一生、消える。
だが、ガロは、慎重だった。
「……焦るな。俺は、この手の『皆が同じ的を狙う』ってのが、一番嫌いだ。前の隊で覚えた。人が殺到する場所には、必ず、殺到する人間を狙う奴が湧く」
「けど、隊長。他の隊は、みんな遺構で稼いでる。うちだけ乗り遅れたら――」
「乗り遅れる、って考え方が、もう、罠に半分嵌まってるんだよ、コッツ」
ガロは、静かに言った。
「いいか。遺物の値は、今が異常なんだ。街中が浮かれて、値を吊り上げてる。だが、こういうバブルは、必ず弾ける。掘り尽くされるか、供給が増えて値崩れするか、あるいは――『災い』が、掘り起こされるか。俺たちは、その、弾けた後まで、生き残らなきゃならねえ」
弾けた後まで、生き残る。
それは、十二年、隊を続けてきた男の、経験の言葉だった。
「だが、まったく手を出さないのも、違う」と俺は言った。「遺構には、俺の気になるものがある。……あの、地の底の『災い』の正体だ。あれが何なのか、遺構が、何か手がかりを持ってる気がする」
じいさんの手紙の言葉が、頭にあった。開いた場所で、古い星の印を見たら――近づきすぎるな。だが、目は逸らすな。
俺は、あの遺構を、この目で見なければならない。宝のためではなく、俺自身の中で進んでいる何かの、正体を知るために。
◇
その晩、ニラが、深刻な顔で、俺たちの卓に来た。
「……相談があるの。〈鉄樹〉に、じゃなくて、リゲル個人に」
珍しいことだった。ニラは、いつも、隊全体に話す。俺一人を名指しするのは、初めてだった。
「今日ね、遺構帰りの隊の、報告書を受け取ったの。……その中に、変な記述があって」
ニラは、報告書の写しを、卓に置いた。
「遺構の最深部。壁一面に、星の図が刻まれてるって。……それだけならいいの。古代の遺物だもの、星図くらいあるでしょう。でもね」
ニラの指が、報告書の一行を、辿った。
「『中央に、大きな人型の星座。右手に赤い印、左足に青い印。帯に、三つの星』……これ」
俺の、心臓が、跳ねた。
「巨人の星座だ」と、俺は言った。
「うん」とニラは頷いた。「冬の巨人。私たちの村でも、見えた、あの星座。……リゲルの名前の、青い星。ベテルギウスの赤い星。それと」
ニラは、自分を指さした。
「三ツ星の、真ん中。私の名前の、星」
遺構の、最深部の壁に。
百年前の、厄災戦争の時代の遺構に。
俺たちの、名前の星座が、刻まれている。
「……偶然、だよね?」とニラが、不安げに訊いた。「巨人の星座なんて、大陸中で見える、有名な星座だもの。遺構に刻まれてても、おかしくない。……そうでしょ?」
俺は、答えられなかった。
偶然。器の喩えも、偶然だと思った。じいさんの予言も、偶然の一致だと思おうとした。そのたびに、俺は疑いを畳んできた。
だが、偶然が五つ、六つと、重なったとき。
それは、もう偶然とは呼ばない。
「……行こう」と、俺は言った。「その遺構に。この目で、確かめる」
じいさんの手紙。グレムの器の話。遺構の星座。地の底の災い。俺の中で、失われていく記憶。継いでいく力。
全部が、一本の、見えない糸で、繋がり始めている。
その糸の先に、何があるのか。
まだ、何も、見えない。見えないまま、俺は、その糸を、手繰り始めていた。
それが、聡明な選択ではないことを、狩人の勘は、告げていた。
――近づきすぎるな。
だが、俺は、もう、目を逸らせなくなっていた。
第44話更新です!
まさか予約投稿できていなかったとは(;´д`)




