第43話「四通目の手紙」
じいさんからの、四通目の手紙が届いたのは、その凪の底のような日々の、ある朝だった。
『リゲルへ
鉄級になったそうだな。裂き腕を獲ったとも聞いた。腕を一本もがれた階層主だったとはいえ、里に降りた主を、隊で獲った。見事な狩りだ。褒めてやる。
商会に、目をつけられているようだな。これも、行商の噂で聞いた。専属を断ったか。……いい判断だ。手綱は、一度嵌めれば外れん。金より、身軽さを選んだお前を、わしは正しいと思う。
苦しいだろう。稼ぎの道を、細くされて。だが、耐えろ。真綿の攻めは、耐える者にはいつか緩む。焦って、太い金に手を出した者から、沈んでいく。
さて、本題だ。
大穴の下で、近く、大きな星が動く。
意味は、じきに分かる。地が揺れ、道が変わり、今まで閉じていた場所が開く。……そのとき、慌てるな。開いた場所には、宝と、災いが、半分ずつ埋まっている。宝に目が眩んで、災いを掘り起こす者が、必ず出る。お前は、そうなるな。
開いた場所で、古い星の印を見たら――近づきすぎるな。だが、目は、逸らすな。それは、お前がいずれ知るべきものの、入り口だ。今はまだ、入り口を、遠くから眺めるだけでいい。
支度を怠るな。刃を研げ。約束を忘れるな。
ベテル
追伸。母親が、次の冬着を編み始めた。今度は、手袋も付けるそうだ。お前が短刀を握る手を、案じている』
◇
手紙を、いつものように、三度読んだ。
だが、今回は、一度目から、背筋が寒かった。
大穴の下で、近く、大きな星が動く。地が揺れ、道が変わり、閉じていた場所が開く。
予言だ。
これは、慰めでも、助言でもない。予言だ。じいさんは、これから起きることを、知っている。まるで、見てきたかのように。
器の喩え。溢れる水。こぼれた水の行き先を知る者。そして、この予言。
疑いが、また頭をもたげた。今度は、前よりずっと大きく。
――じいさんは、何者なんだ。
ただの、山の猟師が。なぜ、遠く離れた大穴の、これから起きる地殻変動を、予言できる。なぜ、星継という文献にもない力の、代償の行方を知っている。なぜ――。
俺は、疑いをいつものように畳もうとして。
畳めなかった。
予言が、あまりに具体的すぎた。
◇
じいさんの予言は、十日後に的中した。
その日、俺たちは、西のスラムの井戸番の依頼の帰りだった。夕暮れの街を歩いていた、そのとき。
地が揺れた。
最初は、小さく。次に、大きく。立っていられないほどの、縦揺れ。街の建物が軋み、屋根瓦が落ち、人々が悲鳴を上げて外へ飛び出す。
「地震だ! 大穴だ! 穴の方だ!」
誰かが叫んだ。
揺れは、大穴の方角から、来ていた。ドン、という、地の底からの、突き上げるような衝撃。それが、何度も、続いた。
足の裏が、それを、拾っていた。
岩喰らいから継いだ、振動の感覚。それが、地の底で起きていることを、俺に、克明に伝えてきた。深い、深い場所。第七層よりも、さらに下。そこで、巨大な岩盤が、崩落している。何層分もの岩が、一斉に、下へ、落ちていく。
そして、その崩落の中心から――あの、等間隔の「足音」の気配が、一瞬、鮮明に立ち上った。
西の、あれだ。
あれが、動いた。あれが動いた衝撃で、大穴の深部が崩落した。
揺れは、やがて収まった。
街は、騒然としていた。だが、地上の被害は、思ったより軽かった。崩落は、地の底で起きた。地上は、その余波で揺れただけだ。
俺が真っ先に走ったのは、ギルドだった。
ニラ。この時間、まだ、窓口にいるはずだ。
石造りのギルドは、無事だった。中に駆け込むと、ニラは、崩れた書類の山の中で、他の職員と一緒に、避難してきた冒険者の対応に追われていた。無事だった。
「リゲル! 大丈夫!?」
「そっちこそ。……怪我は」
「ないない。書類が崩れただけ。それより、あなたたちこそ――」
ニラは、俺の背後の、ガロたちの無事を確かめて、ほっと息をついた。それから、受付の顔に戻って、てきぱきと、避難者の名を控え始めた。こんなときでも、記録する手が、止まらない。
その几帳面な手を見て、俺は、なぜだか、少し、安心した。
「……揺れの直前、変な感じがしたの」と、ニラが手を動かしながら言った。「大穴の方から、ドクン、って。心臓みたいな音。気のせいかな」
気のせいではなかった。だが、俺は「気のせいだろ」と答えた。足の裏で拾った、あの地の底の崩落と、西の気配のことは――まだ、誰にも、言えなかった。
だが、大穴の中は――変わっていた。
◇
翌日には、話が、街を駆け巡っていた。
大崩落によって、大穴の深部に、新しい区画が露出したのだ。
第七層の岩盤が、大規模に崩れ、その下から――古代の遺構が現れた。
いち早く潜った先行組が、持ち帰ったものが、街を狂わせた。
遺物だ。
見たこともない金属の器物。淡く光る、水晶に似た結晶。文字とも模様ともつかない紋様が刻まれた、石板。それらは、素材としても、骨董としても、桁違いの値で売れた。一つの遺物が、鉄級冒険者の、一年分の稼ぎに匹敵した。
ヴェルデに、ゴールドラッシュが来た。
「……開いた場所には、宝と、災いが、半分ずつ埋まっている」
俺は、じいさんの手紙の一節を、呟いた。
宝は、目の前に溢れ出していた。
では、災いは――どこに埋まっているのか。
◇
遺構の噂は、俺たちの兵糧攻めを、一夜で、無意味にした。
街中が、遺構に殺到した。商会が握っていた「割のいい依頼」など、誰も見向きもしなくなった。誰もが、遺構を目指した。冒険者も、山師も、外から流れてきた傭兵も。一攫千金の匂いに、街の秩序が、緩み始めた。
「……皮肉なもんだな」とガロが笑った。「商会の兵糧攻めが、遺構ラッシュで、ぶっ飛んだ。これで、うちも稼げる」
だが、俺は笑えなかった。
その夜、俺は、一人で大穴の入り口まで来ていた。
遺構へ向かう冒険者たちの、松明の列が、夜通し、穴へ吸い込まれていく。欲望の行列だった。
足の裏に、耳を澄ませる。
地の底、遠い西。崩落で、あれの気配は、一時、遠のいていた。だが、消えてはいない。それどころか――崩落で開いた道を通って、あれの気配は、以前より、ほんの少し上に近づいていた。
宝を掘る行列と、上がってくる、災い。
その二つが、いずれ、遺構の底で出会う。
俺には、それが見えるようだった。じいさんの言った「災い」の在り処が。
じいさんの、四通目の手紙。あの予言。
なぜ、あの人は、これを知っていた。
俺は、夜空を見上げた。冬の巨人が、大穴の上に、高く昇っていた。赤い星が、地の底の、開かれた古い扉を、じっと見下ろしていた。
まるで、この日を、ずっと、待っていたかのように。
――近づきすぎるな。だが、目は、逸らすな。
手紙の言葉が、耳の奥で、響いた。
俺は、松明の行列に背を向けて、宿へ歩き出した。
だが、俺の狩人の勘は、告げていた。この遺構から、目を逸らすことは、たぶんもうできない。
遺構の壁に刻まれているという、古い星の印。ニラが報告書で見つけた、あの、巨人の星座。それが、なぜ、百年前の遺構に。なぜ、俺たちの名前の星が。
その謎が、松明の灯りよりも、ずっと強く、俺を地の底へ手招きしていた。
◇
その夜、俺は、じいさんに、返事を書いた。
いつもより、ずっと短い返事だった。
『じいさんへ。
あんたの言った通りに、なった。大穴の下で、大きな星が動き、地が揺れ、閉じていた場所が開いた。古い星の印も見た。
一つ、教えてくれ。
なぜ、あんたは、これを知っていた。遠く離れた辺境の村で、なぜ、ヴェルデの地の底で起きることが、分かった。
じいさん。あんたは、何者だ。
リゲル』
書いて、封をして、それから、しばらくその封筒を見ていた。
訊いていいのか、と、迷いがあった。
……いや。訊く。あの人は、俺の問いを、はぐらかしたことがない。母の顔を失ったと書いたときも、正面から、答えてくれた。今度も、答えてくれるはずだ。
俺は、翌朝、その手紙を村行きの行商に託した。
答えが返るまで、二十日。
その二十日を、待つ気持ちが、俺の中で、二つに割れていた。
早く答えが欲しい気持ちと。
答えを聞くのが怖い気持ちと。
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