第42話「兵糧攻め」
兵糧攻めは、じわじわと隊の首を絞めた。
ひと月が過ぎる頃には、〈鉄樹〉の稼ぎは、専属を断つ前の、半分近くまで落ちていた。
割のいい依頼は回ってこない。深層の依頼は「安全確認が取れていない」と、なぜか〈鉄樹〉にだけ許可が下りない。素材を売れば買い叩かれ、装備を直そうにも、腕のいい職人は皆、急に多忙になった。
どれも、証拠はない。だが、糸を引いているのが誰かは、街の誰もが知っていた。知っていて、口を噤んだ。バルドー商会に睨まれた隊と関わって、巻き添えを食うのを、誰もが恐れた。
「……こういうのが、一番きついのよね」
ある晩、ミレアが、帳面を睨みながらぽつりと言った。
「殴られるなら、殴り返せる。でも、これは、殴られてない。ただ、みんなが少しずつ、そっぽを向くだけ。抗議する相手もいない。……首を絞められてるみたい」
隊の空気が、重くなっていた。
コッツは、スラムへの仕送りを、減らさざるを得なくなった。「今月は、薪半分でごめんな」と、子供たちに頭を下げる少年の背中を、俺は見ていられなかった。
ミレアは、妹の療養費の支払いを、一度、遅らせた。教会からは、慇懃な催促状が届いた。「星喰らいの脅威に備える聖務のため」という、あの理由書きとともに。
ガロは、隊の備えの金を、少しずつ崩し始めていた。眷属級と裂き腕で稼いだ蓄えが、日々の食い扶持と、隊員の事情を埋めるために、静かに減っていく。
「……なあ、リゲル」
ある夜、ガロが二人きりのときに、俺に訊いた。
「おまえは、後悔してねえか。専属を、断ったこと」
「してない」と、俺は答えた。
「即答だな」
「即答だ。……ただ」
俺は、少し、迷ってから、続けた。
「みんなが、俺の『甘い理想論』のせいで、苦しんでる。それはこたえる。妹に会いに行く自由がどうの、手綱のつかない金がどうのと、俺は綺麗事を並べた。だが、その綺麗事の代金を払ってるのは、俺じゃない。コッツの子供たちで、ミレアの妹だ」
「……そうか」
ガロは、しばらく黙って、それから、俺の肩を大きな手で叩いた。
「リゲル。一つ、教えといてやる。……リーダーってのはな、綺麗事を言う係じゃねえ。綺麗事の代金を、誰より重く背負う係だ。おまえは今、ちゃんとこたえてる。こたえてるってことは、背負ってるってことだ。それでいい」
大男の言葉は、いつも、俺の芯の少し深いところに届いた。
「だがな、」とガロは続けた。「背負い方には、二種類ある。一人で抱え込むのと、みんなで担ぐのとだ。おまえは抱え込む癖がある。ソロの狩人の悪い癖だ。……こういうときこそ、隊で担ぐんだよ。俺たちは、四人だろうが」
五人だ、と、隅で聞いていたヴァンネスが言った。
「六人だよ」と、いつの間にか来ていたニラが、窓口の書類を抱えて言った。
◇
ニラは、その晩思わぬものを持ってきた。
依頼の束だった。
「これ、私が集めた依頼。……小口だけど、商会の息のかかってない依頼ばっかり」
「どういうことだ」と俺は訊いた。
「あのね」とニラは、少し得意げに、しかし、真剣に言った。「兵糧攻めって、要は、依頼の周旋を握られてるってことでしょう。ギルドの中で、割のいい依頼が、商会の意向で〈鉄樹〉に回らないように、細工されてる。……でもね、依頼は、ギルドの掲示板だけにあるんじゃないの」
ニラは束を卓に広げた。
「商会が興味を持たない、小さな依頼。個人からの、直接の頼み事。スラムの人からの、割に合わない護衛。……こういうのは、商会の目が、届かないの。周旋の網の、外にあるから。一件一件は、小さい。でも、数を集めれば」
「……食い繋げる、か」と俺は言った。
「うん。それにね」
ニラは、依頼の一つを、指さした。
「これ、見て。西のスラムの、共同井戸の護衛。魔物じゃなくて水を奪いに来る、よその区画の連中から守る仕事。……報酬は、銅貨と食べ物。安いよ。でもね、この依頼コッツくんの顔で来たの。『鉄樹の兄ちゃんなら』って」
コッツが、はっと顔を上げた。
「商会は、街の『上』を握ってる」とニラは言った。「でも、『下』は握れてない。スラムも、小商いの人も、行商も。……〈鉄樹〉が、これまで誰を助けてきたか。誰の遺品を、探してきたか。誰の子供に、串を奢ってきたか。それが、ぜんぶ、今、依頼になって返ってきてるの」
卓の上の、依頼の束。
一件一件は、些細だった。金にも、ならない。だが、その一枚一枚に、俺たちがこれまで街に撒いてきた、小さな種の芽が出ていた。
コッツの仕送り。ガロの遺品探し。ミレアの無料の点検。……銭に色はない。色を付けるのは、使う人間だ。俺たちが撒いてきたものは、今、こういう形で帰ってきていた。
「……ふ」
ミレアが、笑った。久しぶりに、心からの笑いだった。
「商会の兵糧攻めを、スラムの井戸番の依頼で、しのぐわけね。……最高に、格好悪くて、最高にうちらしいわ」
「格好悪くて、上等だ」とガロが立ち上がった。「よし、全部受けるぞ! 井戸番でも、荷運びでも、なんでもだ! ……銭にならなくても名前は残る。俺たちがこの街の『下』の味方だってことが、一件ずつ、記録に残るんだ」
隊の空気が、変わった。
重く、沈んでいた空気に火が入った。
その火を灯したのは、俺の短刀でも、ガロの盾でもなかった。
ニラの、几帳面な依頼の束だった。
◇
翌日から、俺たちは、小口の依頼、片っ端から受けた。
西のスラムの、共同井戸の護衛は、その最初の一件だった。
依頼主は、あのオルガ婆だった。古着の玉座から、煙管の先で、俺たちを値踏みして、「ドブ鼠の伝手で来たのかい」と悪態をついた。だが、その目は笑っていた。
井戸を狙うのは、魔物ではなく、人だった。隣の区画の、水に困った男たち。冬の渇水で、どこの井戸も涸れかけ、水は命そのものになっていた。俺たちの仕事は、その男たちを、殺さず、傷つけず、ただ、追い返すこと。
「殺すなよ」とガロが釘を刺した。「向こうも、水が欲しいだけの、同じ貧乏人だ。……痛い目は見せるが、恨みは残すな」
それは、階層主の討伐より、ずっと難しい仕事だった。
力の差は、圧倒的だ。鉄級の隊が本気を出せば、渇いた男たちなど、一瞬で叩き潰せる。だが、それをしない。加減して、威圧して、退路を作って、追い返す。相手の面子を、潰しすぎないように。明日も、同じ街で、生きていく相手だから。
コッツが、間に立った。
「よお、あんたら。水が欲しいのは、分かる。おれもドブ育ちだからな。……でも、この井戸は、こっちのばあちゃんたちの命綱だ。取り合いになりゃ、両方、涸れる。東区の外れに、まだ湧いてる井戸がある。案内すっから、な?」
拳ではなく、言葉で。スラムで生き延びた少年の、一番の武器で。
男たちは、渋々、引いた。誰も、血を流さなかった。
報酬は、銅貨五枚と、干し芋が一袋。
だが、オルガ婆は、去り際の俺たちにこう言った。「〈鉄樹〉の名は、覚えとくよ。……この界隈は、恩を、金より長く覚えるんだ」
第42話更新です!




