第40話「商会の招待」
招待状が届いたのは、鉄級昇格から、わずか三日後だった。
上等な――言うまでもなく、雪見紙の封書。だが、今度は匿名ではなかった。差出人の名が、堂々と記されていた。
『バルドー商会 ヴェルデ支店。当主グレム・バルドー、御一行を晩餐に招待いたしたく』
「……当主直々の招待、だと」
ヴァンネスの顔が、険しくなった。
「番頭のドレンじゃねえ。グレム・バルドー本人だ。南岸の本店に構える、商会の頭だぞ。そいつが、辺境のヴェルデくんだりまで出張ってきて、鉄級になりたての隊を晩餐に招く? ……妙だ。妙すぎる」
「罠か」とコッツ。
「罠なら、こんな正面からは来ねえ」と俺は言った。「偽依頼で搦め手が通じないと分かった。なら、次は――正面から、だ。断りにくい形で、堂々と」
断りにくい。まさに、それだった。当主直々の招待を、鉄級になりたての隊が無下に断れば、商会に喧嘩を売ったことになる。この街で、商会に喧嘩を売って、無事で済んだ隊はない。
「行くしかねえな」とガロが息を吐いた。「ただし、全員でだ。一人も欠けずに行って、一人も欠けずに帰る。……晩餐会でも、隊則は同じだ」
◇
バルドー商会ヴェルデ支店は、中央区の一等地に構える、白亜の館だった。
通された晩餐の間は、辺境の街とは思えない豪奢さだった。磨かれた大理石、南国の果実、見たこともない色の酒。給仕が音もなく動き、暖炉では香木が焚かれている。冒険者の饐えた酒場とは、まるで別の世界だった。
上座に、その男はいた。
グレム・バルドー。
六十絡み。恰幅がよく、血色のいい、柔和な老人だった。仕立てのいい服も、指の印章指輪も、あくまで上品で、押し付けがましさがない。一目見て、「善良な好々爺」と思わせる風貌。番頭ドレンの綿の声の、さらに奥にある、本物の綿だった。
「ようこそ、〈鉄樹〉の皆さん。まあ、座って座って。堅苦しいのは抜きだ。今日は、ただの、爺の道楽の食事会でね」
グレムは、心底楽しげに、俺たちを席に着かせた。
食事は、進んだ。グレムは商売の話を一切せず、ひたすら、俺たちの冒険譚を聞きたがった。眷属級の狩り。裂き腕の内懐。偽依頼の――いや、それは言わなかった。だが、グレムの目は、その話が出るのを、待っているようにも見えた。
「いやあ、面白い。実に面白い」
グレムは、子供のように手を叩いた。
「特に、そこの狩人さん。リゲル君、だったかね。星無しの判定から、階層主殺しまで。……大した出世だ。まるで、お伽噺のようだよ」
星無し。その言葉に、俺は無表情を保った。この老人は、どこまで知っている。
「才能なんぞ、水晶で測れるもんじゃない、という証明ですな」とヴァンネスが、俺を庇うように言った。
「まったくだ」とグレムは鷹揚に頷いた。「わしも、水晶は嫌いでね。人を、器の大きさで値踏みする。……くだらん。人の値打ちは、器の大きさじゃない。器に、何を、どれだけ注いだかだ。そうは思わんかね?」
器に、何を注いだか。
何気ない一言のはずだった。だが、その言葉は、なぜか、じいさんの手紙の一節と、同じ場所に響いた。器の話。溢れる水の話。
「……面白いお考えですね」と、俺は探るように言った。「では、空っぽの器は、どうです。何も注がれていない、空の器は」
グレムの目が、一瞬、光った。
「空の器か。……それはね、リゲル君。一番、値打ちがあるのだよ」
老人は、葡萄酒の杯を、灯りにかざした。
「なぜなら、空の器にだけは、何でも注げる。満ちた器には、もう、何も入らん。だが、空っぽの器は――無限の、可能性だ。わしは商人でね。空の器を見ると、つい、心が躍る。何を注いでやろうか、とね」
空の器にだけは、何でも注げる。
俺は、無表情を保った。保ちながら、背筋に、冷たいものが走った。星無しの器。空っぽの水晶。それは、欠陥ではなく――何かを注ぐための、余白。
偶然だ、と俺は思った。器の喩えなど、誰でも使う。
だが、その「偶然」は、この夜、二人の男の口から、同じ形で、俺に向けられていた。
◇
食事が終わり、給仕が下がると、グレムは初めて、商売の顔を見せた。
といっても、あくまで柔らかく、だった。
「さて。今日、皆さんを招いたのはね。一つ、提案があってのことだ」
老人は、葡萄酒を一口含んだ。
「〈鉄樹〉の皆さんと、専属契約を結びたい。……商会お抱えの、専属探索隊としてね」
来た。
「条件は、破格を用意した。年俸で、一人あたり金貨五十枚。装備は商会が最高級を支給。負傷の治療費、遺族への補償、すべて商会持ち。……ヴェルデの、どの隊も得たことのない待遇だ」
金貨五十枚。年に。一人あたり。
コッツが、息を呑む音がした。それだけあれば、スラムの子供たちの冬は、何十年分も安泰だ。ミレアの妹の療養費も、一生、心配ない。
「見返りに、皆さんには、商会の指定する探索を優先していただく。深層の希少素材、未踏区画の調査――まあ、要は、商会の目となり、手となっていただきたい。それだけのことだ」
それだけのこと。
綿にくるまれた、その一言の重さを、俺は知っていた。
「――ありがたいお話です」
答えたのは、ガロだった。慎重な、しかし、明確な声だった。
「ですが、即答はできません。隊のことは、隊の全員で決める。それが、うちの流儀でしてね。……一晩、いや、数日、考えさせてください」
「もちろん、もちろん」
グレムは、まったく気を悪くした様子もなく、鷹揚に頷いた。
「即答を求めるような、無粋な話じゃない。じっくり考えてくれたまえ。……ああ、ただ」
老人は、去り際の俺たちに、あくまで柔らかく、付け足した。
「一つだけ、覚えておいてほしい。この街の大穴は、これから、大きく変わる。近いうちにね。……その変化の波に、船なしで放り出されるか、商会という船に乗るか。それは、大きな違いになる。老婆心ながら、ね」
大穴が、変わる。近いうちに。
その言葉を、俺は、胸の内で、何度か、転がした。ただの、商人の、思わせぶりな社交辞令か。それとも――この老人は、何か、確かなことを、知っているのか。
◇
館を出て、夜道を歩きながら、誰も、しばらく口を開かなかった。
最初に沈黙を破ったのは、ミレアだった。
「……気持ち悪い」
「同感だ」とヴァンネス。
「あの爺さん、一度も、脅さなかった。一度も、値切らなかった。ただ、こっちの欲しいものを、全部、正確に並べてみせた。……コッツの子供たち。あたしの妹。ガロの隊の安定。全部、あの金貨で買えるものを、分かった上で、並べた」
ミレアの声は、硬かった。
「あれは、商人の顔じゃない。……あれは、人の弱みを、器の中身みたいに覗き込む顔よ」
器の中身を、覗き込む。
俺は、夜空を見上げた。冬の巨人が、街の屋根の上に、高く昇っていた。
グレム・バルドーの、あの柔和な目。「器に何を注いだか」という、あの言葉。
なぜだろう。俺はその夜、無性にじいさんに会いたくなっていた。あの炉端で、器がどうの、注ぐのがどうのと、話してみたくなっていた。あの人なら、この気味の悪さの正体を、狩人の勘で、ひとことで言い当ててくれる気がした。
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