第38話「休息日」
裂き腕の討伐から、数日。
ガロが、宣言した。
「――明日は、休みだ。全員、隊の仕事は禁止。装備の手入れも禁止。稽古も禁止」
「は? な、なんでだよ」とコッツが、目を丸くした。
「階層主を獲った直後の隊ってのはな、一番、危ねえんだ」ガロは、大真面目に言った。「気が張ったまんまで、緩め方を忘れてる。そういう隊は、次のしょうもねえ依頼で、しょうもねえ怪我をする。……だから、命令だ。」
◇
俺は、休日の朝を、持て余していた。
狩人に、休みはない。村にいた頃は、猟に出ない日も、罠を見回り、矢を矧ぎ、皮を鞣した。手が空いている、という状態そのものが、俺には落ち着かなかった。
宿の前で、突っ立っていると、通りの向こうから、声が飛んできた。
「あーっ! 〈鉄樹〉のリゲルさんだ!」
見れば、若い冒険者が五人。先頭の、そばかすの少年に見覚えがあった。確か――いつかの帰り道、灰犬に囲まれていたのを、通りすがりに助けた、新人の隊だ。
「〈青麦〉です! あの、灰犬のとき、助けてもらった! 覚えてます!?」
「……ああ。あんたたちか」
「うわ、覚えててくれた! なあ、みんな、覚えててくれたって!」
少年たちは、勝手に沸いた。それから、そばかすの少年――リーダーのピノというらしい――が、意を決したように、頭を下げた。
「あの! お願いがあります! おれたちに、稽古を、つけてください!」
「……稽古?」
「おれたち、この半年で、二回も全滅しかけて。このままじゃ駄目だって、分かってるんです。でも、何が駄目なのかが、分かんなくて。……〈鉄樹〉みたいに、なりたいんです。全員で潜って、全員で帰る隊に」
隊の仕事は、禁止。稽古も、禁止。ガロの命令が、頭をよぎった。
だが――これは、俺の稽古ではない。人にものを教えるのは、休みのうちに入るだろう。理屈は、通っている気がした。
「……半日だけだ」
◇
街の外の岩場で、俺は〈青麦〉の五人を走らせた。
一目で分かった。この隊の問題は、腕ではない。目だ。五人が五人とも、敵だけを見ている。仲間を見ていない。誰がどこにいて、誰が疲れていて、誰の死角がどこか。それを、誰も数えていなかった。
「全員、武器を置け」と、俺は言った。「今日は、一度も、武器を振らせない」
「え!?」
「代わりに歩く。隊列で、この岩場を、一周だ。ただし――前を歩く奴の『次の一歩』を、当て続けろ。右足か、左足か。声に出して、当てながら、歩け」
五人は、面食らいながら、歩き始めた。最初は、まるで当たらなかった。それが、半刻もすると、ぽつぽつと、当たり始める。前を行く仲間の、肩の揺れ。重心の移り。癖。見ようとすれば、見えるものが、体の前にいくらでもあった。
「……なんか、変な感じです」と、休憩のとき、ピノが言った。「敵を見る訓練は、いっぱいしたけど。仲間を見る訓練って、初めてで」
「敵は、殺す気で見なくても、勝手に目に入る」と、俺は言った。「仲間は、見る気で見ないと、見えない。……俺も隊のやつに教わった」
守られ方を知らない、と言われた日のことを、思い出していた。ミレアの、杖の先を。あの窮屈さが、いつの間にか、呼吸の置き場所になっていたことを。
教えながら気づいた。俺は、じいさんの言葉で教えている。獲物の話も、群れの話も、風の読み方も。五年間、あの山で叩き込まれたものが、俺の口から、次の誰かへ流れていく。
じいさんの狩りが、俺を経由して、そばかすの少年の中に、少しだけ住み着く。それは、なんというか、悪くない心地だった。
◇
夕方、宿に戻る道で、市場に寄った。
と、飯屋の軒先から、聞き慣れた声がした。
「あっ、リゲル! こっちこっち!」
ニラだった。それも、一人ではない。ミレアと、二人で、卓を囲んでいた。妙な組み合わせだった。
「……何してるんだ、二人で」
「女子会」とミレアが、平然と言った。「あんたたちが休みってことは、あたしも休みなの。で、暇そうな受付嬢を、拾った」
「拾われました」とニラが、笑った。卓の上には、揚げ菓子と、茶と、そして、ニラの手帳が開いていた。
嫌な予感がした。
「……その手帳、何を書いてた」
「んー? 内緒」
「ミレアさんから、リゲルの隊での様子を、取材してたの」とニラは、悪びれずに白状した。「ほら、私、潜行中のリゲルのことは、書けないから。証人を、増やしてたの」
「あんたの慣らし潜りの初日の話、してあげたわよ」とミレアが、意地の悪い顔で笑った。「隊列を無視して単独で突っ込んで、あたしに怒られた話」
「……おい」
「あと、コッツに『人間っぽい顔』って言われて、固まった話」
「おい」
ニラが、笑いを堪えながら、ペンを走らせている。俺は、抗議を諦めて、隣の席に腰を下ろした。揚げ菓子を一つ口に放り込む。甘かった。
結局、日が暮れるまで、三人で、他愛のない話をした。ミレアの、教会時代の失敗談。ニラの、受付の珍客の話。俺は、ほとんど、聞いているだけだったが、それでよかった。
◇
宿に帰ると、ガロとコッツとヴァンネスが、酒場の隅で、何やら盛り上がっていた。覗くと、卓の上に、木彫りの駒と、手描きの盤。
「お、リゲル! いいとこに来た!」とコッツが手招きした。「爺さんが、変な遊びを教えてくれてんだ。〈狐と鵞鳥〉っての。狐側が一人で、鵞鳥側を、囲んで動けなくしたら勝ち」
「三十年前は、酒場の流行りだったんだがな」とヴァンネスが、笑った。「今の若えのは、誰も知らねえ」
「隊長が、もう三連敗してる」
「うるせえ! 俺は盾使いだ、囲まれる側の気持ちが分かりすぎるんだよ!」
俺も、卓に加わった。狐側を、やらされた。狩人が狐をやるのは、反則だろう、と三戦目あたりで出入り禁止になった。
笑い声の中で、ふと、思った。
こういう一日を、俺は、覚えていられるだろうか。
事件も、戦いも、継承もない。ただ、稽古をつけて、菓子を食って、盤遊びで出入り禁止になっただけの、一日。手帳に書くほどのことも、ない日。
――いや。
書くほどのことが、ない日など、ないのだ。ニラなら、そう言うだろう。現にあいつは今日も、何かを書いていた。
その晩、俺は、いつもの習慣の最後に、今日という日を、丸ごと胸の底へ、沈めるようにしまい込んだ。
強く想ったものは、消えにくい。
なら、この、何でもない一日も。強く、想っておけば。
第38話更新です!




