↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/156

第36話「裂き腕」


裂き腕が地上近くまで上がってきたのは、それから十日後だった。


報せは、悲鳴とともに来た。


第三層で採取をしていた新人隊が、四本腕の巨影に襲われ、命からがら逃げ帰った。三層。新人の稼ぎ場だ。深層の階層主が、そこまで上がってきた。ギルドは慌てて第三層以深への入穴を止めたが、遅かった。裂き腕は、第三層の広間に居座り、獲物を待ち始めた。


討伐依頼が、緊急で貼り出された。


だが、受け手がいなかった。腕を一本失ってなお、階層主は階層主。銀級の隊が二つ、様子見に潜って、二つとも半壊して帰った。


「――うちが、やる」


ガロが討伐依頼を剥がしたとき、誰も驚かなかった。


「支度は、十日前から始めてる」と俺は言った。「じいさんの手紙の通りだ。上がってきた主は、里の者が獲るしかない。……幸い、相手は俺たちの庭の第三層だ。地形は知り尽くしてる」


◇


準備に、五日をかけた。


裂き腕の情報は、逃げ帰った隊から、ミレアが治療がてら聞き集めた。四本腕――今は三本。各腕の先が鎌状の一枚刃。速い。硬い。だが、岩喰らいのような遠隔索敵はない。目で見て、腕で獲る、単純だが凶悪な捕食者。


「単純な獲物ほど、狩人の腕が出る」と俺は言った。「あれの武器は、四本の腕だ。腕が届く間合いの内側は、死。だが、腕には届かない『死角』が、必ずある。腕の付け根の内懐(うちぶところ)だ。……そこへ入り込めれば、獲れる」


問題は、どうやって内懐に入るか、だった。


三本の鎌が、絶え間なく振るわれる嵐の中を、懐まで。正面からは、無理だ。誰かが囮になって腕を引きつけ、その間に、別の誰かが死角から入る。息の合った、二段構えの狩り。


「囮は、俺がやる」とガロが言った。「盾なら、鎌の一撃くらいは受けられる。三本まとめては無理だが、一本、二本なら逸らせる」


「内懐に入るのは、俺だ」と俺は言った。「短刀の間合いで、腕の付け根の腱を断つ。三本の腱を全部断てば、あれの武器は死ぬ」


「無茶よ」とミレアが言った。「三本の腕の嵐の中を、付け根まで? かすっただけで、腕がもげるのよ」


「かすらせない」


俺は、掌を握った。掌の奥で、岩喰らいの「振動感覚」が、静かに脈打っていた。


「――足の裏で、聴く。あれの三本の腕が、次にどこを薙ぐか。踏み込みの振動で読む。読めれば、嵐の中にも、道は通る」


継いだ力を、初めて、狩りの主軸に据える。それは賭けだった。だが、この賭けに勝てなければ、里に降りた主は獲れない。


◇


決戦の前夜、俺はニラの寮を訪ねた。


約束だ。強い敵とやる前に、教える。


「明日、第三層の主を獲る。……正直に言う。今までで、一番危ない狩りだ」


ニラは手帳を開いて、ペンを構えた。それから、少しの間、手を止めて、俺を見た。


「……先に、一つ、話しておいてくれる? リゲルの中にしかない記憶。この前決めた、あれ」


俺は少し考えて、話した。


十四の冬、初めて狼を仕留めた夜のこと。じいさんと二人、七頭の群れを谷へ追い込んだこと。震える手で、群れの主の喉に刃を入れたこと。じいさんが最後にかけてくれた言葉――「ためらいは獲物への礼儀だが、手を止める理由にはするな」。


ニラは、静かに聞いた。手帳には書かず、ただ、目を閉じて、聞いた。


「……覚えた」と、聞き終えて、ニラは言った。「リゲルの初めての夜。私の中に入れた。……だから、明日、思いっきり狩ってきて。ちゃんと、帰ってきて」


なぜ、この夜、この記憶を話す気になったのか。俺は自分でも分からなかった。ただ、明日という日を前にして、一番古くて、一番大事な狩りの記憶を、誰かに預けておきたかった。


ニラは、預かった、と言うように静かに頷いた。その頷きが、なぜだかひどく心強かった。


◇


決戦は、第三層の広間で行われた。


裂き腕は、広間の中央にいた。


想像を超えていた。体高は岩喰らいより低いが、横幅がある。三本の鎌腕が、それぞれ意思を持つように、絶えず宙を掻いている。腕の一本は、付け根から乱暴にもぎ取られた痕が、生々しく塞がりきらぬまま残っていた。西の何かに、もがれた痕。


「――行くぞ。全員で潜って、全員で帰る」


ガロの号令で、狩りが始まった。


まず、コッツの投石が、裂き腕の目を狙った。届かない。だが、注意は引いた。三本の鎌が、投石の方角へ薙がれる。その隙に、ガロが盾を鳴らして正面へ躍り出た。


「こっちだ、四本腕! ……三本か、今は!」


裂き腕の鎌が、ガロへ殺到した。


一本目。ガロの盾が、火花を散らして受け流す。二本目。盾で逸らす。三本目――逸らしきれない。鎌が、ガロの肩当てを、革ごと削いだ。血。


「ガロ!」

「浅い! 続けろ!」


ミレアの白い光が、即座にガロの肩を塞ぐ。ガロは怯まず、盾で三本の鎌を、一本ずつ、順に受け続けた。囮の役割。三本の腕の意識を、全部、自分に。


――今だ。


俺は、走った。


裂き腕の側面へ。三本の鎌がガロに向いている、その死角へ。だが、囮に集中しているはずの鎌の一本が、俺の接近を察知して、横薙ぎに来た。


見えた――のではない。聴こえた。


足の裏に、裂き腕の右前脚が沈む振動。腕を薙ぐための、体重移動。岩喰らいの記憶が、その一手を、俺に「先に」教えた。


俺は、薙ぎが来る空間を、半歩外していた。


鎌が、俺のいた場所を裂く。風圧が頬を打つ。だが、当たらない。読めている。三本の腕の、次の一手が、足の裏から、順番に流れ込んでくる。右、次に中央、次に左。嵐の中に、確かに、道が通っていた。


俺は、その道を駆けた。


一本目の鎌の薙ぎの下を潜り、二本目の突きの内側へ回り込み、三本目が来る前に――内懐に、入った。


三本の腕の、付け根。すべての鎌が届かない、たった一つの死角。裂き腕の、心臓にも等しい場所。


「――一本」


右腕の付け根の腱を、短刀が断つ。鎌が一本、力を失って垂れる。


「二本」


中央の腱を、断つ。


裂き腕が、初めて絶叫した。残る一本の鎌が、狂ったように内懐へ折り返してくる。俺の背後から、俺自身の胴を刈るために。


――見えている。


「三本、だ」


折り返しの軌道の、その内側へ、さらに深く入り込んで、俺は最後の腱を断った。


三本の鎌が、すべて垂れた。


裂き腕の武器が、死んだ。


あとは、狩りの作法通りだった。武器を失った獲物の、喉へ。ガロが盾で頭部を押さえ、俺が、露わになった喉の急所へ、短刀を根元まで突き入れた。


階層主の巨体が、ゆっくりと、崩れ落ちた。


◇


そして、流れ込んできた。


三度目のそれは、痛みだった。


腕を失う痛み。西の暗がりで、途方もない「深さ」に、片腕をもぎ取られたときの、灼けるような痛み。逃げても逃げても追ってくる、あの底なしの気配。仲間を、縄張りを、全部捨てて逃げた、獣の絶望――。


そして、力が。四本の腕で敵を裂く、剛腕の記憶。膂力。獲物の急所を、一撃で断つための、間合いと呼吸。


継承の熱が引いたとき、俺は膝をついていた。


だが、今回は――違った。


何かが、消えた感覚が、なかった。母の顔のときも、村の冬のときも、継承の直後に、胸のどこかに「切り抜かれた白さ」が生まれた。だが、今回は、それがない。


……消えなかったのか?


いや。


その考えは、甘かった。喪失は、いつも少し遅れてやってくる。俺がそれに気づくのは、この夜、宿の寝台で、いつもの習慣――名前を唱える儀式を始めたときのことだった。


「……大したもんだ」


ヴァンネスが、崩れた階層主を見上げて、掠れた声で言った。


「腕の嵐の中を、付け根まで。……坊主。おまえ、あの鎌の軌道が、見えてたのか」


「勘だ」と俺は答えた。いつもの、嘘だった。


だが、ヴァンネスは、今回は「勘ねえ」とは言わなかった。老兵は長いこと俺を見て、それから、ぽつりと言った。


「……勘で、階層主の腕を三本、順番に外す人間は、いねえよ。リゲル。おまえ、いったい――」


その先を、ヴァンネスは言わなかった。言わない代わりに、右目の古傷の下の視線が、いつになく、長く、俺の顔に留まった。


この男は、気づき始めている。


俺の「勘」が、勘ではない何かであることに。


足の裏では、裂き腕から継いだ「痛みの記憶」が、遠い西の深さを、また一つ、鮮明に拾い上げていた。近づいている。あの、途方もないものが、確実に。


そして俺の胸の内では、まだ気づいていない喪失が、その夜、静かに、牙を研いでいた。


第36話更新です!


週末は2話更新できてよかったです

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。