第30話「幕間・星祭りの夜」
冬のさなか、ヴェルデには、星祭りがある。
一年で、最も夜が長い時季。冬の夜空に高く昇る〈巨人の星座〉を祀り、この長い夜を越えて、やがて日が延びていくことを願って、街をあげて、祝う。
「その日はね、大穴も、休みなの」
ニラが、受付の窓口越しに、そう教えてくれた。
「ギルドが、入穴を止めるんだよ。年に一度だけ。……冒険者さんも、その日は、みんな、地上にいる。だから、街が、いっぱいになるの」
「へえ」
「へえ、って。……リゲル、まさか、行かないつもり?」
ニラが頬を、膨らませた。
「祭りなんて、村にいた頃だって、リゲルは、いつも、じいさんと山に籠もってたじゃない。今年こそ、行くの。ちゃんと。……その、」
ニラは、少し言い淀んで、それから、早口で言った。
「私と。……いいでしょ?」
◇
祭りの夜、ヴェルデは、別の街に、なっていた。
大通りには、無数の灯りが、灯されていた。軒先に吊るされた、星形の紙灯籠。屋台の松明。子供が振り回す、線香花火に似た小さな光。街全体が、地上に降りた星のように、瞬いていた。
待ち合わせた広場に、ニラは、いつもの制服ではない、姿で来た。
濃紺の外出着。髪を、いつもの三つ編みではなく、緩く結い上げていた。耳元で、小さな、星形の耳飾りが揺れていた。
「……どう?」ニラが、少し緊張した顔で、訊いた。「へ、変じゃない?」
変じゃない。むしろ、と、言いかけて、俺は、言葉に詰まった。
うまい言葉が、出てこなかった。狩人の語彙に、こういうときの言葉は、なかった。
「……似合ってる」
それだけ、言うのが、精一杯だった。
ニラは、一瞬、ぽかんとして、それから、耳まで赤くなった。
「……っ、そ、そう。ありがと。……行こ! ほら、屋台、いっぱいあるから!」
ニラは、俺の袖を引いて歩き出した。その足取りが、いつもより、少し速かった。
◇
屋台を二人で回った。
焼いた木の実。蜜をかけた、揚げ菓子。串に刺した、川魚。ニラは、片っ端から、買っては、半分に割って、俺に押しつけた。村を出た日の、荷馬車の上の、蜜菓子のときと同じった。
「リゲルは、ほんと、自分から、何も、欲しがらないんだから」と、ニラは、呆れたように、笑った。「たまには、食べたいもの、言いなよ」
「……特にない」
「そういうとこ! ……はい、これ。焼き林檎。あったかいよ」
ニラの手のひらから、湯気の立つ焼き林檎を受け取った。甘くて、少し、酸っぱくて、温かかった。
祭りの、喧騒の中で。
俺は、ふと、思った。こういう時間は覚えておかなければ、と。
名前を、唱えるように。ニラに、話すように。この、灯りと、喧騒と、焼き林檎の、温かさを。忘れて、しまう前に。
「……ニラ」と、俺は、言った。「今日のこと、覚えておいてくれ。……俺が、もし、忘れても」
ニラの、笑顔が、一瞬、止まった。
それから、彼女は、いつもより、静かな声で、言った。
「……うん。覚えとく。全部。……でもね、リゲル」
ニラは、俺を、見た。祭りの灯りが、その瞳に、いくつも、映っていた。
「今日は、忘れる心配は、しないで。……今日だけは。ただ、楽しんで。それも、大事な記録なんだから」
◇
広場の中央で、星祭りの儀式が始まった。
白髪の、老いた語り部が、篝火の前に立ち、杖を掲げた。街の人々が、その周りに集まる。俺とニラも、人垣の後ろで足を止めた。
「――聞け、ヴェルデの民よ」
語り部の、しわがれた声が夜に響いた。
「冬の夜空を、見上げよ。そこに、巨人が、立っている。天の、王だ」
人々が、夜空を、見上げた。俺も。ニラも。
冬の巨人が、街の、真上にあった。右手の赤い星。左足の青い星。帯の三つ星。
「巨人は、天で燃え続ける」語り部は、語った。「その、右手で、星々を、集める。集めて、集めて、己の内に、蓄える。だから、右手の星は、赤い。老いて、膨らみ、多くを、抱えた、星の色だ」
赤い星。ベテルギウス。じいさんの、名の星。
星々を集める、右手。
俺は、なぜか背筋が、寒くなった。
「そして、巨人は、その、左足で、大地を、歩む」語り部は、続けた。「若く、青く、燃える足で。天を、離れ、地を、行く。だから、左足の星は、青い。若く、激しく、燃える、星の、色だ」
青い星。リゲル。俺の、名の星。
大地を、歩む、左足。
「では、帯の三つ星は、何か」
語り部は、声を、落とした。
「あれは、巨人が、歩いた道を、忘れぬために、結んだ、紐だ。真珠を、繋いだ、紐。……巨人は、あまりに、長く、天を、歩む。だから、時に、己の、来し方を、忘れる。忘れぬように、道の、要所に、星を、結んだ。それが、三つ星だ」
三つ星。真珠の紐。
ニラの、名の星。
忘れぬために、結んだ、紐。
俺は、隣のニラを見た。ニラも俺を見ていた。
二人とも、気づいていた。この、伝承があまりに俺たちの名前と役割に、似ていることに。
集める、赤い、右手。歩む、青い、左足。そして、忘れぬために、繋ぐ、真珠の、紐。
「……偶然、だよね」と、ニラが、小さな声で、言った。
その声は、震えていた。
「巨人の星座なんて、大陸中で、見えるもの。伝承だって、どこにでも、ある。……私たちの、名前が、たまたま、その星から、取られただけ。……そうでしょ?」
俺は、答えられなかった。
遺構の星図を、思い出していた。あの壁に刻まれた、巨人の星座。赤い宝石の右手。青い宝石の左足。三ツ星の帯。
偶然が、また一つ、重なった。
だが――今夜だけは。
俺は、その疑いを畳んだ。今夜だけは、ニラの言う通りにしようと思った。今日は、忘れる心配も、疑う心配もしない。ただ、この祭りの夜を楽しむ。それも、大事な記録だから。
「……偶然だ」と、俺は、言った。「ただの、偶然だ」
ニラは、ほっとしたように、笑った。
◇
祭りの、終わり。
人々がめいめいに、家路につく中、俺とニラは、街外れの小高い丘に登った。祭りの灯りが遠く、街に瞬いているのが見えた。その上に、冬の巨人が高く昇っていた。
「……綺麗だね」と、ニラが、言った。
「ああ」
「なんかさ」ニラは、街の灯りを見下ろして、言った。「こういう丘、村にもあったよね。見送りの丘。……村を出る人を、みんなで、手を振って、送る」
俺の胸の奥が微かに疼いた。
村の丘。手を振る母。あの日の朝。……そして、それよりもっと前あの丘で、俺はニラと――何か。
掴もうとして、またこぼれた。器の底に沈んで、手の届かない、一番古い記憶。
「……あの丘で」と、俺は、言いかけた。「昔、俺たち、何か……」
「え?」
「……いや」
思い出せなかった。だから、言葉にもならなかった。
ニラは、不思議そうに俺を見て、それからまた星を見上げた。
「あのね、リゲル」ニラは言った。「三つ星の真ん中。……あれが、私の星なんだって。お母さんが教えてくれた。青い星と、赤い星のちょうど間で光る星」
ニラは少し笑った。
「間で光るって、いいなって思うの。……どっちにも、偏らないで。ただ二つを繋いで、そこにいる。……なんか、私の仕事みたい。受付で、依頼する人と受ける人を繋ぐみたいな」
俺は、その横顔を見ていた。
祭りの灯りと、星あかりに照らされた横顔を。
この夜を覚えておこうと、また思った。
だが、それを言葉にする代わりに、俺はただ隣に立っていた。ニラも、何も言わなかった。
二人でしばらく、街の灯りと星を見ていた。
それだけの、夜だった。
何も、起こらない。何も、進まない。ただ隣にいるだけの夜。だが、その「それだけ」が俺には、ひどく得難いものに思えた。
だから、この夜のことを俺はニラに話した。宿に帰る道々ぜんぶ。焼き林檎の味も。語り部の声も。丘から見た街の灯りも。
ニラが聞いて、頷いて、そして笑った。
二人の頭に、この夜を残すために。
たとえ、片方が、いつか、忘れても。
第30話更新です!
もっとあまずっぺー話にしたかったけど、二人にはこれくらいがよろしいのでは!笑




