第3話「優しい先輩」
今日は時間があったので2本放出です!
まだ、話数のストックがあるからできる贅沢です笑
冒険者になって最初の十日間で、俺が斬ったものは何もなかった。
一日目、東区の下水路掃除。
二日目、市場の荷揚げ。
三日目、下水路掃除。
四日目、野犬の巣の撤去――これは少しだけ狩りに近かった。
五日目から七日目、城壁外の薬草採取。
八日目、下水路掃除。
灰級の依頼とは、つまり街の雑用のことだった。報酬は一日銅貨四、五枚。宿代と飯代を引けば、手元には残らない。その日暮らしだ。
それでも、得る情報はあった。
下水路では街の地理が頭に入る。水路は大通りの下を走っている。つまり下水路の図を頭に入れれば、街の骨格ごと覚えられる。四日目の野犬の巣では、巣穴の風の通り方と犬の逃げ道を読み違えて、一度噛まれかけた。街の獣は山の獣より人慣れしていて、追い詰め方の間合いが違う。銅貨五枚の依頼で学べたのだから、安い授業料だった。
荷揚げ場では素材の相場を覚える。角兎の毛皮が銅貨八枚、灰蜥蜴の尾が十二枚。大穴のどの層で何が獲れて、いくらで買い叩かれるのか。冒険者たちの愚痴は、聞いているだけで勉強になった。
薬草採取では城壁の外の地形と、魔物の痕跡の見方を確かめられた。大穴から溢れた魔物が、稀に外をうろつくらしい。糞と足跡の癖は、山の獣とそう変わらなかった。まぁ、良く言い換えているだけかも知れないが。
焦らない。狩りは準備が九割だ。
だが、拾えないものも、あった。
街の、視線だ。
下水路の掃除に向かう俺を、同業の冒険者が、鼻で笑う。「星無しの掃除屋」。その呼び名は、この十日で、すっかり定着していた。荷揚げ場の親方は、俺の運ぶ荷を、いちいち検分した。「星無しは、途中でへばって、荷を落とすからな」と。悪気はないのだろう。ただ、この街では、才のない者は、そういう扱いを受けるものだった。
慣れるしかなかった。慣れないと、心がすり減る。じいさんの言葉を思い出す。恐れを隠す狩人から死ぬ。だが、街の侮りは恐れとは違う。あれは、いちいち受け止めていたら、身が持たない。受け流す。獲物の前で、平気な顔をするのと、同じだ。
「――リゲル、はい。今日の報告書、確かに」
十日目の夕方。受付でそう言って書類を受け取ったのは、ニラだった。
研修を終えて、今週から窓口に立っている。制服の襟を几帳面に整えて、羽根ペンを耳の上に挿す癖は、もう板についていた。
「薬草の等級、また上がってる。乾かし方を変えた?」
「採ってすぐ、日陰で茎を潰さないように束ねた」
「ふうん。……メモしとこ」
ニラは報告書の余白に、さらさらと何かを書きつけた。
「おい。公式の書類だろ、それ」
「余白は受付の自由スペースなの」
嘘をつけ。
だがニラのこれは、今に始まった癖じゃない。村にいた頃から、こいつは何でも書き留める。誰が何を言った、空がどんな色だった、先週食べた夕飯、リゲルが今日も無愛想だった――古い手帳は、そういう他愛のない記録で真っ黒になっていた。
一度、なぜそんなに書くのかと訊いたことがある。十二か、十三の頃だ。ニラは手帳から顔も上げずに答えた。
『覚えてたいからに決まってるでしょ。頭の中って、思ってるより物が消えるんだよ。三年前の今日、何があったか言える? 言えないでしょ。でも私の手帳には書いてあるの。……人の頭は忘れるようにできてるから、紙に覚えてもらうの』
あの頃は、暇なやつだと思っただけだった。
今は、少しだけ違うことを思う。この街に来てから、村の景色を思い出そうとして、細部が既に霞んでいることに気づく夜がある。人の頭は、本当に、思っているより物が消える。
「そういえば、聞いた? リゲルのこと、『掃除屋』って呼んでる人たちがいるよ」
「便利な呼び名だ。仕事が回ってくる」
「怒らないんだ」
「事実、掃除をしてる」
ニラはしばらく俺の顔を見て、それから、少しだけ声を落とした。
「……無理、しないでね。ここの受付にいるとね、分かるの。帰ってこない人の依頼書って、最後はぜんぶ私たちのところに戻ってくるんだよ」
未帰還。処理済み。そういう判が押されて。
冗談の抜けた声だった。この十日で、こいつは自分の職場から、この街の命の値段を見ている。
「無理はしない。約束する」
「……うん」
その言葉に、ニラがどこか安心したように頷いた、そのときだった。
「――よお。あんたが噂の『掃除屋』か?」
振り返ると、男が三人立っていた。
先頭の男は三十絡み。人好きのする笑みを浮かべ、胸には銅級の認識板。後ろの二人も同じく銅級。揃いの意匠の外套には、鎖を模した紋が縫い取られていた。
「俺はドッズ。銅級パーティ〈銅の鎖〉のリーダーをやってる。あんた、リゲルだろ? 最近よく名前を聞くぜ。灰級の依頼を、片っ端から丁寧に潰してる新人がいるってな」
「……それはどうも」
「いやいや、皮肉じゃねえ。下積みを舐めねえ奴は伸びる。俺はそういう新人が好きでね」
ドッズは屈託なく笑い、カウンターに肘を置いた。
「で、本題だ。明後日、俺たちは商隊の護衛依頼を受ける。行き先は南のトーサ村、片道二日。……なんだが、一人急に抜けちまってな。頭数が足りねえ」
男は俺を指さした。
「あんた、入らねえか。臨時でいい。報酬は正規の頭割り、銀貨二枚だ」
銀貨二枚。
今の俺の、半月分の稼ぎだった。
「灰級に護衛依頼は受けられない」
「そこは問題ねえ。受注は俺たち銅の鎖。あんたは『荷役補助』の名目で連れていく。よくあるやり方さ。実務で経験を積ませて、昇級の推薦も俺が書いてやる」
うますぎる話だ、と頭のどこかが言った。
十日前、ギルドで俺を笑った連中と、目の前の男の笑顔が、うまく重ならない。星無しの新人に、わざわざ正規の頭割りを払う理由がどこにある?
だが――。
理由なら探せばあった。護衛は頭数が信用に直結する。急な欠員は依頼ごと流れることもある。それに、街に来て十日の俺には、この街の「よくあるやり方」の相場が分からない。疑う材料も、信じる材料も、同じくらい足りなかった。
何より。
銀貨二枚あれば、革鎧が買える。薬草採取で見た、城壁の外。あそこを装備なしでうろつく日々から、一段だけ上がれる。
灰級の依頼を丁寧に潰して、一日銅貨五枚。革鎧まで到底間に合わない。城壁の外で運悪く魔物に出くわせば、布の服と共に俺はそこで終わる。安全に見える道が、実は一番細い綱の上ということもある。
危険の匂いのする銀貨二枚と、確実に細っていく銅貨五枚。
狩人なら、どちらの獣道を選ぶ。
「……分かった。受ける」
「よし、決まりだ!」
ドッズは俺の肩を、遠慮なく叩いた。
「明後日の朝、南門に集合な。期待してるぜ、掃除屋!」
三人は笑いながら、酒場の方へ歩いていった。
カウンターの向こうで、ニラが依頼台帳をめくっている。〈銅の鎖〉の受注記録を確かめているらしい。やがて顔を上げて、小さく言った。
「……登録は五年前から。違反歴、なし。依頼の達成率も悪くない」
「なら、問題ないだろ」
「うん。……問題、ないんだけど」
ニラは羽根ペンの先を唇に当てて、少しの間、黙った。それから台帳の余白に、日付と、〈銅の鎖〉の名と、俺の名前を書き並べた。
「一応、書いといた」
「何のために」
「何のためでも」
◇
二日後の朝は、よく晴れていた。
南門前。幌馬車二台の商隊に、銅の鎖の三人と俺。荷役補助の名目通り、俺の位置は最後尾の馬車の脇だった。
街道を半日。トーサ村への道が森に入る頃、ドッズが隊列に指示を出した。
「よし、ここから森だ。並びを変えるぞ。ガキ――じゃねえ、リゲル。おまえは殿だ。隊列から二十歩下がって、後ろを見てろ」
「……殿を、新入り一人にか?」
「後ろは襲われねえよ、ここらは。念のためってやつだ」
ドッズは笑った。
二十歩下がると、木々に遮られて、馬車の幌はもうほとんど見えなかった。
森の匂いが変わった。
山育ちの鼻ではそれが分かる。街道の森にしては、獣の匂いが濃い。それも、健康な獣ではない。手負いか、飢えた何かの匂い。そして――鳥の声が、しない。
じいさんの声が耳の奥で、蘇った。鳥が黙る森には、鳥を黙らせる何かがいる。
俺は、前を行く馬車の、遠ざかる幌を見た。じわじわと、その距離が開いていく。念のためにしては、下げすぎだ。まるで、群れから一頭を切り離すときと、同じ間合いの取り方だった。
誰が、群れで。誰が、切り離される一頭なのか。
俺の頭は、冷静にその答えを出そうとしていた。
感想や誤字報告、レビューお待ちしてします!




