第2話「才無し」
「では最初に、適性検査を行います」
受付嬢がカウンターに置いたのは、拳ほどの水晶が嵌まった銀の台座だった。
「〈星視盤〉です。手をかざしてください。魔力の量と、星資質――才能の器の大きさを測ります」
星資質。
街の人間は、才能のことをそう呼ぶらしい。人は生まれたとき、それぞれの星から力の器を授かる。器の大きい者は魔法を修め、剣に才を光らせ名を成す。そういう話だ。
隣の受付では、俺と同じ頃に登録に来たらしい少年が検査を受けていた。水晶が青白く輝き、受付嬢が「第四区分、立派なものですよ」と声を弾ませ、少年の親らしき男が誇らしげに胸を張る。
あれが、普通なのだろう。
手をかざした。
水晶の奥で、光が生まれる――はず、だった。
「…………」
受付嬢の笑顔が、ゆっくりと困惑に変わっていく。
「もう少し、しっかりかざしてもらえますか」
言われた通りにする。手のひらを押しつけるほど近づけた。
水晶は、暗いままだった。底の方で、豆粒ほどの光が一度だけ瞬いて、消えた。それきり何も起こらない。
妙だった。
隣の少年のときは、水晶が青白く満ちるように光った。器に、水が張られるように。だが俺の水晶は、光が生まれるそばから、吸い込まれるように消えていく。まるで、いくら注いでも底が抜けていて、何も溜まらない器のようだ。
器の話を思い出した。人は星から力の器を授かる、と。なら俺の器は、底が抜けているのか。それとも――ただ、空っぽすぎて、光の掴まる縁すら、ないのか。
そのときの俺は、深く考えなかった。才がない、という結論は、同じことだったからだ。
「……計測完了、です」
受付嬢は書類に目を落とし、事務的な声を作った。
「魔力量、最下位区分。星資質――判定不能。規定により、最低位の【星無し】として登録されます」
星無し。
その言葉が響いた瞬間、隣の受付にいた職員が、乾いた笑いを発した。
「星無しだって。久しぶりに見た」
「ちょっと」
俺の担当の受付嬢が咎めたが、遅い。声は酒場の方まで届いていた。
「おい見ろよ、星無しの登録だとよ」
「よく街まで出てきたなあ。畑でも耕してりゃいいものを」
笑い声。値踏みする視線。カウンターの奥、職員用の通路の入り口で、案内の途中だったニラと視線があう。
――見るな。
そう思ったが、顔には出さなかった。出さない訓練なら、慣れている。
「坊主」
酒場の席から、大柄な男が立ち上がって近づいてきた。使い込まれた革鎧に、鉄級の認識板。四十がらみの、目つきの鋭い男だった。
男は俺の頭からつま先までを眺め回すと、鼻を鳴らした。
「星無しでも、荷物持ちなら日銭は稼げる。俺のとこで雇ってやってもいいぜ。日に銅貨三枚。……剣を振ろうなんて考えるな。三日で死ぬ」
親切のつもりなのだろう。声に嘲りはなく、ただ、道端の石ころに向けるような無関心があった。
「遠慮しておく」
「あ?」
「自分で狩る。そのために来た」
男は目を細め、それから、心底つまらなそうに息を吐いた。
「……大穴は、才能のある奴から順に食っていくんだ。才能のない奴は順番すら回ってこねえ。まぐれで生き延びて、身の程を覚えた頃にまた来な」
男は席へ戻っていった。笑い声はもう、俺への興味を失って、別の話題に移っている。
酒場を、あらためて見渡した。
昼から飲んでいる連中。壁際で武具の手入れをする者。掲示板の前で、依頼の報酬を指で数える者。誰もが、どこか荒んだ目をしていた。命を安く売り買いする街で、長く生きた者の目だ。
あの鉄級の男も、たぶん、悪人ではない。ただ、この街で何人もの新人が三日で消えるのを見てきて、いちいち心を動かすのをやめただけだ。無関心は、この街で長生きするための、たぶん一番の装備なのだろう。
俺は、そうなりたくなかった。ならない自信も、なかったが。
受付嬢が、気まずそうに認識板を差し出した。何の飾りもない、灰色の板。最低位、灰級の証。
「リ、リゲルさん。灰級が受けられる依頼は、掲示板の一番下の段になります。街の雑用が中心ですが、その、実績を積めば昇級も……」
「ありがとう。十分だ」
板を受け取る。ずしりと重い――わけではない。呆れるほど軽い、ただの灰色の板だ。
これが今の俺の、全部だった。
◇
ギルドを出ようとしたところで、職員通路の陰から袖を引かれた。
ニラだった。研修の途中で抜けてきたのか、書類の束を抱えたままだ。
「……リゲル。あのね、さっきのは」
「聞こえてたか」
「聞こえてた。というか、見てた。全部」
ニラは唇を結んで、それから、怒ったような顔で言った。
「悔しくないの」
「悔しい」
「じゃあなんで、あんな平気な顔してるの」
「平気な顔をするのも、狩りのうちだ。獲物の前で震える狩人に、獲物は狩れない」
ニラは呆れたように息を吐き、抱えた書類を持ち直した。
「……変なの、ほんと。昔っから」
そう言って職員通路へ戻りかけ、一度だけ振り返った。
「夕飯、うちの寮の食堂は部外者も銅貨一枚で入れるから。安いよ」
それだけ言って、行ってしまった。
銅貨一枚。今の俺の財布には、ありがたい話だった。
◇
その夜。
冒険者向けの安宿〈木賊亭〉の狭い部屋で、俺は寝台に腰かけ、短刀を研いでいた。
砥石を滑る刃の音だけが、部屋に響く。
星無し。判定不能。三日で死ぬ。
昼間の言葉を、ひとつずつ、砥石で研ぐように反芻した。悔しくないと言えば嘘になる。だが、予想はしていた。俺に魔法の才がないことなど、村にいた頃から分かっていた。火起こしの初歩の術式すら、俺は最後まで使えなかった。
『才能がないな、リゲル』
じいさんは、十歳の俺にはっきりそう言った。慰めも、励ましもなしに。
『泣くな。狩りに才はいらん。獣より速く走れる人間はいない。獣より鼻の利く人間もいない。人間は最初から、才能では獣に負けている生き物だ。――それでも人間が獣を狩れるのはなぜだと思う』
答えられなかった俺に、じいさんは言った。
『考えるからだ。待つからだ。仕掛けるからだ。一晩じゅう風下で待ち、通り道に罠を張り、群れから一頭を切り離す。才能の要る仕事はひとつもない。そこに要るのは、獲物より一日長くしぶとくあれるかどうか、それだけだ』
それから五年、俺はじいさんの狩りを叩き込まれた。
罠の張り方。風の読み方。血の匂いの消し方。急所の突き方。夜の山の歩き方。熊を、猪を、冬には飢えた狼の群れを、俺たちは二人で狩ってきた。
十四の冬を、今でも覚えている。七頭の群れを相手に、じいさんと二人、三日かけて崖沿いの谷へ追い込んだ。餌で釣り、遠吠えの応えで数を数え、一頭ずつ群れから引き剥がした。最後に残った群れの主は、俺の張った足縄にかかった。
『仕留めろ』とじいさんは言った。『お前の罠にかかった獲物だ。お前が終わらせてやれ』
震える手で、初めて狼の喉に刃を入れた。あの夜、じいさんは一言だけ言った。――『それでいい。ためらいは獲物への礼儀だが、手を止める理由にはするな』
魔物と獣は違う。それも分かっている。
だが、命のやり取りの理屈は、たぶんそれほど変わらない、と思う。
「……才能が要らない狩りの仕方は、あの人に教わった」
研ぎ上がった刃を、灯りにかざす。刃紋が、静かに光を返した。
明日から、一番下の依頼を拾う。掃除でも、草むしりでも何でもいい。銅貨を数え、装備を整え、街と大穴を覚える。焦らない。狩りと同じだ。仕留める日まで準備を積む。
壁の一番上の、あの黒鉄色の板。
あそこまで行く。行って、それから――
短刀を鞘に納めたとき、約束の記憶が、胸の奥で小さく疼いた。
◇
同じ夜。
ギルドの裏手、酒樽の並ぶ路地で、男が二人、声を潜めて話していた。
「――で、例の依頼、頭数が足りねえんだろ」
「ああ。まともな奴は誰も受けねえ。条件が条件だからな」
「今日、ちょうどいいのが入ったぜ」
男の一方が、にたりと嗤った。
「新入りの星無し。後ろ盾なし、身元は田舎の村。……あれなら、消えても誰も騒がねえ」
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やっぱりなかなか書き始めると、気づかないうちに変な誤字しますね笑




