第28話「ドッズ再び」
倉庫の中は、死者の持ち物の森だった。
天井まで組まれた棚に、剣、盾、鎧、外套、鍋、靴。値札を付け替えられるのを待つ「拾いもん」が、種類ごとに行儀よく眠っている。裏手の格子窓から中を検分しながら、俺は胸の悪くなるのを抑えていた。ここにある一つ一つに、名前があったのだ。
表では、芝居が始まっていた。
「――ほう、鉄級の隊の遺品を、一式で、ねえ」
バジルは、蛙に似た小男だった。脂の浮いた笑顔で、ヴァンネス扮する「好事家の使い」を上座に据え、揉み手をしている。
「お客様、お目が高い。ございますとも。半年前に全滅した〈鉄樹〉の品、選り抜きで取ってございます。何せあの隊は街の古株、物に『物語』がある。好事家様はそういうのがお好きでしょう」
物語、と来たか。
格子窓の内側で、俺は静かに数を数えた。倉庫内の人間は、バジルと、帳場の若いの一人、荷運びが二人。それと――衝立の奥に、もう一人。気配の据わり方が、他と違う。あれが用心棒だ。
バジルが棚の奥から、筒に入った紙束を持ち出してきた。
「特にこれなぞは逸品で。〈鉄樹〉の斥候が描いた第一層から第四層の実測図。地図屋が金貨を積む品ですが、お客様なら――」
「その地図の出所を、聞かせてもらおうか」
ヴァンネスの声から、芝居が抜けた。
同時に、表の扉が開いて、ガロが入った。大男の顔を見た瞬間、バジルの脂の笑みが凍った。街の顔役だ。〈鉄樹〉の生き残りの顔を、知らないはずがない。
「ロコの地図だ、それは」
ガロは静かに言った。
「回収不能と報告された現場から、おまえの羽虫どもが剥いでいった品だ。……なあ、バジルさんよ。商売の話をしに来た。うちの隊の遺品、全部だ。言い値で買い戻す。その代わり、一つだけ質問に答えろ。――おまえら、あの日、どうやって全滅を知った? 回収班より先に」
バジルの目が、泳いだ。泳いで、衝立の奥へ流れた。
「……おい。お客じゃなかったらしい。摘み出せ」
衝立の奥から、用心棒が出てきた。
革鎧に、使い込んだ長剣。目が合って、俺は裏の格子窓から倉庫に滑り込みながら、思わず声を出しそうになった。
ドッズだった。
銅の鎖のリーダー。俺を森に捨てた男。受注停止を食らって以来、姿を消していた男が、頬のこけた顔で、そこに立っていた。向こうも俺を認めて、一瞬、面白いくらいに固まった。
「……はっ。ははっ。なんだよ、この再会は」
ドッズは乾いた声で笑った。
「星無しの掃除屋じゃねえか。聞いてるぜ、ご出世だそうで。眷属級殺しの英雄様が、揃いも揃って、しがない古物商に何の用だ」
「ドッズ。おまえ、落ちるにしても、落ちる場所を間違えてるぞ」とガロが言った。「死人の追い剥ぎの門番か。銅の鎖の看板が泣くぜ」
「うるせえよ!!」
弾かれたように、ドッズが吠えた。
「看板? 受注停止三月食らった隊がどうなるか知ってるか! 隊員は逃げる、貯えは消える、依頼は戻らねえ! 全部、てめえらのせいだろうが!! 俺はな、食うためにここにいるんだよ! 説教なんざ聞き飽きた――やれ! 摘み出せ!!」
荷運びの二人が得物を掴み、倉庫の空気が割れた。
「殺すな!」とガロが叫び、「言われなくても!」とミレアが杖を構える。
荷運びはガロが盾ごと壁に押さえ込み、帳場の若いのはコッツが足を払って転がした。バジルは裏口へ走り――そこはヴァンネスの槍の柄が待っていた。
残ったのは、俺とドッズだった。
◇
ドッズの長剣は、荒れていた。
最初の三合で、それが分かった。
一合目、袈裟の斬り下ろし。重い。昔より、明らかに重い。腕を上げたのではない。命の惜しみ方を、削ったのだ。二合目、返しの横薙ぎを短刀で受け流すと、三合目が来る前に、砂だ。倉庫の床の埃を、爪先で蹴り上げてきた。目潰し。躱した先に、蹴り。掴み。頭突き。
昔の依頼で二、三度見た太刀筋とは、別人だ。型が崩れ、代わりに、殺気の乗りだけが増している。食い詰めた獣の剣だった。振りは大きいが、躱した先に必ず膝や砂かけの汚い一手が続く。喧嘩剣法に堕ちた、元・銅級。
「昔よりやりにくい」というのが、正直なところだった。
型のある剣は、型で読める。崩れた剣は、殺意でしか読めない。俺は倉庫の狭さを使って棚の間に誘い込み、長剣の振りを封じ、短刀の間合いで組み立て直した。
「ちょこまか、ちょこまか……! 森ん時に、ちゃんと死んどきゃよかったんだよ、てめえは!!」
ドッズが吠え、棚ごと薙ぎ払ってくる。拾いもんの武具が雪崩れ、狭い通路が塞がる。跳び退った俺の足が、転がった鍋を踏んで、一瞬流れた。
そこに、来た。
突き。まっすぐ、喉へ。食い詰めた男の、後先のない本気の突きだった。
俺は仰け反りながら剣身を短刀で逸らし、勢いのまま懐へ入った。取った。左手が奴の襟、右手の短刀は喉元、奴の剣は俺の脇の下で死んでいる。詰みだ。あとは峰で顎を打つか、腕の腱を極めて剣を落とさせるか――
――そのとき、それが囁いた。
殺せば、こいつの五年が手に入る。
思考ではなかった。息を吸うのと同じ深さから、それは湧いた。銅級で五年。護衛の経験。対人の喧嘩剣。この街の裏の顔ぶれ。喉元の刃を、あと指二本分、引くだけでいい。それだけで、こいつの積んだ年月は、そっくり俺の中に――
全身から、血の気が引いた。
俺は今、何を考えた。
半瞬の硬直。その隙に、ドッズの膝が跳ね、俺の腿を打った。体勢が崩れる。奴の剣が跳ね起き、俺は転がって間合いを切り、二人とも、荒い息で睨み合う形に戻った。
――違う。今のは、俺じゃない。
いや。
俺じゃない、と言い切れるのか? 囁きの声は、狂戦士のものでも、岩喰らいのものでもなかった。あれは、俺の声だった。俺の中に積まれた「継ぐ」という仕組みが、俺の声で、最短の道を教えてきた。それだけだ。
それが、一番恐ろしかった。
「……どうした、英雄様。顔が白えぞ」
ドッズが嗤う。嗤う声も、膝も、剣先も、全部が震えていた。俺は短刀を握り直し、深く、長く、息を吐いた。
狩人の呼吸。恐怖は道具だ。研ぎ澄ませて、使え。――今度は、俺自身への恐怖を、だ。
「終わらせる」
次の打ち合いは、三合で終わった。
一合目で長剣を棚の柱に噛ませ、二合目で柄頭を手首に落として剣を毟り、三合目、峰に返した短刀を、首筋に、寸止めした。
今度は、囁きは来なかった。来る前に、終わらせた。
ドッズは膝から崩れ、両手を床について、それきり動かなくなった。折れたのは体ではなく、もっと真ん中の何かのようだった。
縄を打たれる間、男は一度も暴れなかった。ただ、引き立てられていく間際、首だけをこちらへ捻って、掠れた声で言った。
「……なあ、掃除屋。さっき、一回、俺を殺せたよな」
俺は答えなかった。
「殺しときゃよかったんだ。俺なら、殺してた。……次に会うときまでに、そういう半端は直しとけよ。じゃねえと――てめえのその甘さに、いつか、てめえの隊が払わされるぜ」
負け犬の捨て台詞、と片付けてしまえば、それまでだった。
それまでのはずなのに、その言葉は、あの囁きと同じ場所に落ちて、嫌な音を立てた。
◇
「――ぜ、全部話す! 話すから!」
縛り上げられたバジルは、ヴァンネスが帳場から引き抜いた一冊の帳簿を見た途端、蛙の顔を土気色にして喚いた。
帳簿には、仕入れの記録が並んでいた。日付、現場の層と場所、回収した品、売り値。そして所々に、別筆の走り書き。
『十七日、第三層東岩廊、五名、夕刻までに』
ヴァンネスの指が、その行で止まった。
「……この書き付けは、何だ」
「じょ、情報料の控えだよ! 売り込みが来るんだ、『今日、どこそこで隊が沈む見込みだ』って! うちはそれを買って、羽虫を先回りさせるだけで――」
「沈む『見込み』だと?」
ガロの声が、地を這った。
「未帰還の報せなら、沈んだ『後』に来る。見込みってのは、沈む『前』に知ってるってことだ。……誰だ。誰が売り込みに来る」
バジルは首を竦め、絞り出した。
「し、知らねえ! 顔は見たことねえんだ! 文が届くだけだ、いつも同じ、上等な紙の――」
上等な、紙。
倉庫の埃の中で、その言葉だけが、妙に冷たく浮いていた
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