第26話「拾い屋」
冬の市場は、それでも賑わっていた。
冬至祭を控えた中央区の市。俺たちは翌週の潜行に向けて、消耗品の買い出しに出ていた。松明の油、携行食、ミレアの薬草。荷を分担して屋台の列を歩いていると、先を行くコッツの足が、ふいに止まった。
「……なあ、兄貴。あれ」
少年の目線の先に、古道具の露店があった。
中古の武具が茣蓙の上に並ぶ、どこにでもある店だ。欠けた剣、使い古しの籠手、革の当て物。その隅に――盾が一枚あった。
大盾だ。使い込まれ、縁が焼け焦げている。表の塗装は剥げかけていたが、中央の意匠はまだ読めた。太い幹から枝を広げた、一本の木の紋。
鉄樹の、紋だった。
「ガロの旦那の盾と、同じ紋……いや、旦那のより古い。あれって、まさか」
まさか、だった。
呼びに行くまでもなく、油の樽を担いだガロが、俺たちに追いついて――止まった。
大男は樽を地面に置いた。ゆっくりと露店に近づき、膝をついて、盾を手に取った。裏返す。持ち手の革に、小刀で彫った拙い文字。ガロの唇が、その文字の形に、声もなく動いた。
人の名前だった。
「……ヘズラの盾だ」
やがて、ガロは低い声で言った。
「うちの前衛だった男の盾だ。あの日、第三層で死んだ。……遺体はギルドの回収班が上げた。俺が葬式も出した。だが、装備は『損傷が激しく回収不能』と、報告書にはそうあった」
回収不能のはずの盾が、市場の茣蓙の上で、値札を付けられている。
値札には、銀貨二枚、とあった。
「旦那ぁ、目が高いね! そいつは掘り出しもんだよ、鉄級の隊の……」
揉み手で寄ってきた露店の親父は、ガロの顔を見上げて、言葉を呑んだ。大男は怒鳴らなかった。怒鳴らないまま、静かに訊いた。
「この盾、どこから仕入れた」
「ど、どこって……卸しからだよ。決まった卸しがいるんだ」
「卸しの名前は」
「か、勘弁してくれよ、そういうのは商売の――」
ガロは懐から銀貨を二枚出し、茣蓙の上に置いた。それから、もう一枚。
「盾は買う。三枚目は、名前の代金だ」
親父は銀貨と、ガロの目を三度見比べて、観念したように声を潜めた。
「……〈羽虫〉って呼ばれてる連中だよ。穴で『拾いもん』をしてくる連中さ。死人の出た現場にいち早く潜って、回収班より先に、金目のもんを剥いでくる。……あんたら冒険者は嫌うがね、こちとら仕入れは仕入れだ。文句は羽虫どもに言ってくれ」
◇
「――拾い屋か」
その晩の酒場で、ヴァンネスは吐き捨てるように言った。
その前に、俺たちは宿の〈鉄樹〉の溜まり部屋で、ガロが盾を手入れするのを、なんとなく囲んで見ていた。
大男は油布で、焦げた縁をゆっくりと拭いていた。拭きながら、問わず語りに話した。
「ヘズラってのはな、うちで一番の臆病もんだった」
布が、盾の木の紋をなぞる。
「戦の前の晩は必ず腹を壊す。潜る朝は必ず遺書を書き直す。十二年で百枚は書いたんじゃねえか。……だがな、あいつの盾は、一度も隊列から半歩も下がらなかった。臆病もんが、震えながら一歩も引かねえのが、どんだけ強えことか。俺はあいつに前衛の全部を教わった」
「……他の三人は、どんな奴らだったの」
訊いたのはミレアだった。踏み込んだ問いだったが、声は静かだった。ガロは手を止めず、一人ずつ、答えた。
「メイセンは槍で、飯炊きの名人。……ああ、こないだの塩汁の、あいつだ。ロコは斥候。コッツ、おまえの先輩だ。おまえほど目は良くなかったが、地図を描かせたら地図屋が買いに来た。ジフは魔導士で、無口で、書き物が好きで……ニラの嬢ちゃんと、ちっと似てたかもな。報告書の余白に、いつも変な詩を書いてやがった」
メイセンの名に、コッツが、小さく頷いた。あの塩汁を、思い出したのだろう。会ったこともない男の味を、俺たちは知っている。
名前が、四つ。
部屋の誰も、口を挟まなかった。俺は、隊員探しの頃にガロが言った言葉を思い出していた。人間は、大事だったもんの話をするときは、必ず名前で呼ぶ。
この男は今、四人分の名前で、それをやっている。
「――だからよ」
ガロは盾を布で包み直し、立ち上がった。
「遺品ってのは、ただの道具じゃねえんだ。名前の入れ物だ。それを名無しの『拾いもん』にして銀貨に変える奴を、俺は許さねえ。……行くぞ。ヴァンネスの爺さんに、〈羽虫〉の話を聞く」
◇
「昔からいる稼業だ。未帰還者の装備や持ち物を、迷宮から『拾って』くる。ギルドの規約じゃ、遺品は遺族か隊のもんだ。だが穴の中の所有権なんざ、証明のしようがねえ。『落ちてたのを拾った』と言われりゃ、それまでよ」
「ギルドは取り締まらないの」とミレア。
「表向きはご法度だ。だが実際は黙認よ。回収班の手が回らねえ深さの遺品を、曲がりなりにも地上へ戻してくるのは事実だからな。……ただし、近頃の〈羽虫〉は質が違う。ただ拾うんじゃねえ。死人が出ると、驚くほど早く現場に現れる。まるで、どこで人が死ぬか、先に知ってたみてえにな」
先に、知っていた。
嫌な言い回しだった。
「……なあ。うちの隊の全滅のとき、回収班より先に、誰かが現場に入った形跡はあったか」
ガロが、静かに訊いた。膝の上には、買い戻したヘズラの盾があった。
ヴァンネスは即答しなかった。しない、ということが、答えだった。
「……回収班の報告書は、俺も当時読んだ。『装備の大半が損傷または散逸』。あの手の書き方をするときは、現場が既に漁られてた場合が多い」
ガロの手が、盾の縁を強く握った。
「あいつらの死に場所を、漁った奴がいる」
声はあくまで静かだった。静かなまま、卓の空気だけが冷えていった。俺はこの男の、こういう怒り方を初めて見た。怒鳴るガロは、まだ人間の温度だ。静かなガロは、盾の鉄の温度をしていた。
「ガロ。追うのか、これ」と俺は訊いた。
「追う。ただし、隊の仕事の合間だ。私怨で隊の稼ぎは止めねえ。……だが、追う。ヘズラの盾がここにあったってことは、他の三人の遺品も、どこかの茣蓙の上に並んでるかもしれねえ。それだけは、買い戻す。全部だ」
「なら、効率のいい探し方があるぜ」
コッツが、身を乗り出した。
「古道具の卸しの流れなら、おれの庭だ。スラムの故買屋は全部つながってる。〈羽虫〉って名前も、聞いたことがある。……ただな、一個だけ嫌な噂も知ってる」
少年は声を落とした。
「羽虫どもの元締めは、堅気じゃ手が出せねえって話だ。後ろに、街の『上のほう』がついてるってよ」
上のほう。
十日前、支部長室で見た、綿の声の番頭の顔が、なぜだか頭をよぎった。
窓の外では、冬至祭の飾りつけが始まっていた。楽しげな街の灯りの下を、今夜もどこかで、誰かの遺品が銀貨に変わって流れていく。
ガロは買い戻した盾を布で包み、膝の上でずっと抱えていた。まるで、遅すぎた棺のように。
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