第25話「メイセンの塩汁」
冬が深まっていた。
眷属級を討ってから、〈鉄樹〉は、少しだけ、稼ぎに余裕が出た。
とはいえ、大金ではない。討伐報酬と素材の売り上げは、隊の借金の返済と、次の装備の支度で、大半が消えた。それでも、その日の夕方、ガロが宿の溜まり部屋に、大きな包みを抱えて帰ってきたときには、少し、驚いた。
「今日は、飯だ」
大男は包みを卓に、どんと置いた。開けると、山ほどの根菜と、塩漬けの猪肉の塊、それに、香草の束が出てきた。
「久しぶりに、まともに稼いだからな。……たまには、ちゃんとしたもんを、食おうと思ってよ」
「作るの? 隊長が?」とコッツが、目を丸くした。
「おう。……といっても、俺のレシピじゃねえ」
ガロは、少し、遠い目をした。
「メイセンの、塩汁だ」
◇
メイセン。
その名を、俺はまだ知らなかった。前の〈鉄樹〉の隊員――全滅した、四人のうちの一人。ガロが、その名を口にするのは、初めてだった。
「うちの、槍使いだった」
ガロは、大鍋を火にかけながら、話し始めた。根菜を、無骨な手つきで、しかし、丁寧に刻んでいく。
「腕は、まあ、中の上ってとこだ。だがな、飯だけは、隊で一番だった。……いや、大穴で一番だ。あいつの作る塩汁を食いたくて、他の隊の連中が、わざわざ第三層まで、匂いを嗅ぎに来たくらいでな」
「塩汁って、ただの、塩味の煮込みだろ?」とコッツ。
「そう思うだろ。だが、違うんだ」
ガロは、塩漬けの猪肉を、湯に放った。
「メイセンは、塩の加減に、命を懸けてた。『塩ってのは、素材の味を消すためじゃねえ。引き出すためにあるんだ』ってな。……ひとつまみ、多くても、少なくても、あいつは作り直した。迷宮の底で、そんなことに、こだわりやがって。俺はよく、笑った。『そんな暇があったら、槍を研げ』ってな」
火が鍋の底で、揺れた。
「……でも、あいつの塩汁を食った夜は、みんな、よく眠れたんだ。どんなに、ひでえ潜行の後でも。……不思議なもんでな」
ミレアが、香草の束を手に取った。
「これ、山椒に似てるけど、違うわね。……ああ、〈鈴蘭木の芽〉。北の山でしか採れない。臭み消しに使うのね。ガロ、あんた、これをどこで」
「南区の、婆の店で取り寄せてもらった」ガロは、照れ臭そうに言った。「メイセンの塩汁には、これが要るんだ。……レシピを、全部は覚えちゃいねえ。あいつは、目分量でやってたからな。でも、この香草だけは、覚えてる。あいつが、『これがないと、締まらねえ』って、口癖みたいに、言ってたから」
◇
鍋が煮えるまで、しばらくかかった。
その間ガロは、ぽつり、ぽつりと、メイセンの話をした。
塩汁のために、迷宮に香草を採りに行って、遭難しかけた話。新人が入るたびに、まず塩汁を食わせて、「これより不味いもんは、この隊にはねえから、安心しろ」と言った話。自分の槍より、鍋を大事に磨いていた話。
笑い話ばかりだった。だが、その笑い話の一つ一つに、ガロの、失った日々が、滲んでいた。
コッツは、竈の火の番を買って出た。スラム育ちの少年は、火を熾すのが、誰より、うまい。「薪をケチって暖を取る技術なら、おれの右に出る奴はいねえぜ」と、得意げに、火加減を調整した。
ミレアは、香草を選り分けていた。「これは、えぐみが出るから、後入れ。……こっちは、煮すぎると、香りが飛ぶ」と、薬草園仕込みの知識で、ガロの目分量を補った。「あんた、放っておくと、全部、一緒くたに鍋に入れるでしょ。素材にも、入れる順番ってもんがあるの」
「うるせえな。メイセンも、そんなこと言ってた気がするぜ」
「なら、その人、正しいわ」
ヴァンネスは、卓の隅で酒の支度をしていた。「飯には、酒だ。……安酒だがな」と、欠けた杯を、人数分並べる。ニラはその様子を手帳に、書き留めていた。「隊のみんなで、ごはん。……いい絵だなあ」と呟きながら。
誰も大した働きはしていない。ただ、鍋を囲んでいるだけだ。それなのに、その狭い溜まり部屋が、妙に温かかった。
「……なあ、ガロ」と、俺は、訊いた。「辛くないか。その、メイセンの鍋を、作るのは」
ガロは手を止めて、少し考えた。
「辛いさ」と、正直に答えた。「作るたびに、あいつが、いねえことを思い知る。……でもな、作らねえと、この味が、この世から、消えちまう。メイセンの塩汁が、どんな味だったか、覚えてるのは、もう、俺だけだ。俺が作らなきゃ、あいつの味は、あいつの名前ごと消える」
消える。
その言葉が、俺の胸の奥で、疼いた。母の顔。村の冬。俺が、失ってきたもの。
「だから、作るんだ」ガロは、鍋をかき混ぜながら、言った。「不器用でも、目分量が違ってても、な。……味を、繋ぐ。それが、生き残った奴の仕事だ」
味を、繋ぐ。名前を、繋ぐ。記憶を、繋ぐ。
ニラの、手帳を思い出した。俺の消えたものを、書き留める几帳面な字を。
ガロの鍋も、ニラの手帳も、同じことをしているのだと、気づいた。忘れられていく何かを、この世に、繋ぎ止めようとする営み。
◇
塩汁はできた。
一口、啜って――俺は、言葉を失った。
うまい、という言葉では足りなかった。素朴で、滋味深く、体の芯に、染み渡る味。猪肉の脂と、根菜の甘みと香草の微かな苦み。そして、それらを絶妙に繋ぐ、塩。
「……うまい」と、コッツが、呟いた。「なんだ、これ。……おれ、こんな、うまいもん、初めて食った」
「そうだろう」ガロが、誇らしげに、笑った。「……いや。まだ、メイセンには、負けてる。あいつのは、もっと塩が決まってた。俺のはちょっと、薄い。……なあ、そう思うだろ、みんな」
誰も、答えなかった。
代わりに全員が、黙々と塩汁を、啜った。ミレアも。コッツも。ヴァンネスも。ニラも。俺も。
うまかったからだ。それと――ガロの「薄い」という言葉が、たぶん嘘だったからだ。
この塩汁は十分すぎるほど、うまかった。ただ、ガロはそう言わずに、いられなかった。「まだ、メイセンには、負けてる」と。そう言うことで、あいつはいなくなった友を、この食卓に繋ぎ止めていた。
その夜、俺は、宿に帰ってから、いつものように、名前を唱えた。
母。親父。じいさん。ガロ。ミレア。コッツ。ヴァンネス。ニラ。
そしてその日、一つ、名前が増えた。
メイセン。会ったことのない、塩汁の名人。ガロの鍋を通して、俺の中にもその名が残った。
会ったことのない人間の名前を、覚えることができる。
味を通して。話を通して。誰かの、繋ぐ営みを、通して。
なら――俺が、失っていくものも。誰かが、繋いでくれるなら、この世から、消えはしないのかもしれない。
塩汁の温もりが、まだ、腹の底に残っていた。
その夜は、久しぶりに、夢を見ずに眠れた。母の顔を探す夢も見なかった。
メイセンの塩汁を食った夜は、みんな、よく眠れた――ガロの、言葉の意味が少しだけ、分かった気がした。
第25話更新です!
書いてて思ったけど、めちゃくちゃうまい塩汁くってみたくなりました(笑)




