第24話「手紙の二通目」
第24話「手紙の二通目」
じいさんからの二通目の手紙は、雪解けを待たずに届いた。
『リゲルへ
眷属級を獲ったそうだな。行商の噂で聞いた。相変わらず、村までの噂は早い。冬着は着ているか。母親が案じていたぞ。袖を通した姿を見せに、いつか帰ってやれ。
さて、前の手紙の返事だ。
母の顔のことを、怖い、と書いてきたな。正直に書けたことを、まず褒める。恐れを隠す狩人から死ぬ。それは山でも、力の道でも同じだ。
その上で、一つだけ教えておく。
消えたものは、無くなったわけではない。場所を、変えただけだ。
器の話を思い出せ。水を注げば、先に入っていた水は縁から溢れる。だが溢れた水は、消えたか? 違う。器の外へ、こぼれただけだ。こぼれた水がどこへ行くのか――それを知る者は、昔からごく僅かだが、いる。いつか、まとめて汲み戻せる日が来るかもしれん。だから、失うたびに一つずつ嘆くな。嘆く暇があるなら、覚えていたい者の名を、毎晩唱えろ。強く想い続けるものは、器の底に沈んで、溢れにくい。前にも書いた通りだ。
それと、本題だ。
大穴の異変のこと、詳しく書いてきたな。逆流。空の営巣地。西の足音。……いいか、リゲル。よく聞け。
その異変に、深入りするな。
西の「足音」の主を、探るな。追うな。近づくな。あれは、今のお前の獲物ではない。獲物ではないものに近づく狩人を、何と呼ぶか知っているな。獲物だ。
ただし――これだけは、逆に約束しろ。
階層主が、上がってきたときだけは、逃げるな。狩れ。
眷属ではない、真の階層主。あれらが縄張りを捨てて上がってくるとき、逃げ場はどのみち無い。浅層で背を向けて食われるくらいなら、支度をして、正面から獲れ。お前の器なら、受け止められる。わしが五年かけて確かめた、お前の器なら、な。
矛盾して聞こえるか? 深入りするなと言い、狩れと言う。だが山の掟と同じだ。「山の主には近づくな。ただし、里へ下りた主は、里の者が獲るしかない」。それだけの話だ。
支度を怠るな。刃を研げ。約束を忘れるな。
ベテル
追伸。体調には気をつけろ。風邪をひくなよ。』
◇
手紙を、三度読んだ。
一度目は、弟子として読んだ。温かかった。恐れを褒められ、嘆き方の代わりに祈り方を教えられ、山の掟で導かれた。いつも通りの、じいさんの手紙だった。
二度目は、頭を冷やして読んだ。
引っかかりは、二つあった。
一つ。「こぼれた水がどこへ行くのか、知る者は僅かだがいる」。……いる? 星継そのものすら文献にない力だ。その代償の行方を知る者が、どこに、誰が? じいさんは、どこまで知っている? 訊けば答えてくれるはずだ、と俺はいつも思う。思うのに、手紙のこの部分だけは、わざと扉を細く開けて、先を見せない書き方をしている気がした。
二つ目。「わしが五年かけて確かめた、お前の器なら」。
確かめた。
その一語が、妙に骨に触った。育てた、鍛えた、なら分かる。確かめた、は――試した、と同じ響きがする。まるで、器の寸法を測りながら、五年間……。
……いや。
三度目は、また弟子として読んだ。言葉尻だ。山の男の手紙に、言葉の綾を求めるほうがおかしい。じいさんは俺の器を「信じている」と言いたかっただけだ。現にこの手紙は、俺の恐れに、まっすぐ応えてくれているじゃないか。
俺は疑いを、畳んで仕舞った。
仕舞えてしまうことが、後から思えば、あの人の仕込みの何よりの証明だったのだが――このときの俺に、それが見えるはずもなかった。
◇
その晩から、俺は一つの習慣を始めた。
手紙の教えの通りだ。眠る前に、覚えていたい者の名を唱える。
寝台に腰かけ、灯りを消して、声には出さずに、一人ずつ。
――母さん。名はセラ。目尻が下がっていて、左の頬にほくろがあって、怒ると眉だけ動く。俺の腕の長さを、指の先まで覚えている人。
――親父。名はドルク。五年前、冬山で死んだ。日に焼けた顔は、まだ思い出せる。
――じいさん。ベテル。俺に生き方の背骨をくれた人。
――ガロ。ミレア。コッツ。ヴァンネス。全員で潜って、全員で帰る、俺の隊。
――ニラ。
最後の名前のところで、俺はいつも、少しだけ時間をかけた。
名前と一緒に、覚えていることを数える。栗色の髪。羽根ペンを耳に挿す癖。怒りながら飯を寄越すところ。手帳の字。「私が覚えておく」と言ったときの声。それから、丘の――
丘の。
……丘で、何かを。
数え終わる前に、いつも、そこで指が止まる。丘の上の記憶には、確かに何かがあるはずなのに、輪郭が霞んで掴めない。消えたのではない、と思う。消えたときの、あの切り抜かれたような白さとは違う。ただ、古すぎて、遠すぎて、手が届かない。それが幼い日の何だったのか、俺は思い出そうとして、毎晩、思い出せないまま眠りに落ちた。
器の底に沈んだものは、溢れにくい。
じいさんの手紙のその一文だけを、俺は信じることにしていた。沈んでいてくれ、と願いながら。それが何なのかも、分からないままで。
◇
返事は、その翌晩に書いた。
眷属級の狩りの仔細。罠と油と、二十年もった岩庇のこと。継いだ「岩の感覚」のこと。代償に村の冬が消えたこと。ニラが手帳を二冊にしたこと。西の足音には近づかない、と約束すること。ただし階層主の件は、隊のみんなを巻き込む話だから、いざそのときは自分の判断でやる、と生意気も書いた。
最後に、少し迷ってから、一行足した。
『じいさんは、こぼれた水の行き先を、知っているのか』
封をして、俺は窓の外の冬空を見た。晴れていた。この街に来て初めて見るほどの星空で、東の低い空に、あの星座が昇り始めていた。
巨人の星座。
右手の赤星と、左足の青星。俺の名の星は、まだ屋根の陰で見えなかったが、赤い方は、もう夜空にあった。老いた星は、冬の初めに、若い星より先に昇る。じいさんが昔、そう教えてくれた。
◇
二十日ののち。アーロイ村。
ベテルは炉端で、届いた返事を読んでいた。
眷属級の狩りの仔細のくだりで、老人は何度か、満足げに頷いた。罠の組み方。油の使い方。撤退の判断。「いい狩りだ」と、独り言が漏れた。それは演技ではなく、猟師としての、本物の賛辞のようだった。
最後の一行で、指が止まった。
『じいさんは、こぼれた水の行き先を、知っているのか』
炉の火が、爆ぜた。
老人は手紙を膝に置き、長いこと、火を見ていた。
リゲルは、二通目の返事に、こう書いてよこした。こぼれた水は、どこへ行くのか。失くした記憶は、本当に、どこかにあるのか、と。
「……さあて、な」
誰もいない小屋に、低い声が落ちた。
「わしにも、分からんよ。……ただ、そうであってほしい、と、願うだけじゃ」
願う、という言葉を、老人は奇妙に、噛みしめるように言った。
それから、窓の外へ、目を向けた。村の夜空に、巨人の星座が昇っている。
「西の空が、騒がしいな」
老人の目が、細められた。狩人の目だった。長年、山で、風と獣の気配を読んできた者の。
「……あの子の行った先か。早いのう。獣どもが、何かに、追われて騒いでおる」
赤い星が、じっと大地を見下ろしていた。
第24話更新です!
華金だー!今日頑張りましょう~~!!




