第23話「報告と黙殺」
支部長室に呼ばれたのは、討伐から十日目のことだった。
呼ばれたのは、〈鉄樹〉の五人――ヴァンネスを含めた討伐の全員。三階の支部長室には、支部長のほかに、見知らぬ男が一人、窓際の上等な椅子に座っていた。
五十絡み。仕立てのいい外套。指に嵌めた印章指輪には、天秤と樽の紋。
「バルドー商会、ヴェルデ支店の番頭を務めます、ドレンと申します」
男は立ち上がりもせず、綿のような柔らかい声で名乗った。
「此度は見事な討伐、街を代表して御礼を。いやはや、商いの道が開通して、皆ほっとしております」
支部長は、恰幅のいい初老の男だった。書類仕事で偉くなった型の男で、俺たちに椅子を勧め、茶を出させ、たっぷりと討伐を労ってから、本題に入った。
「――さて。おまえたちの提出した調査報告のことだ」
卓の上に、俺たちの報告書が置かれていた。逆流の痕跡。空になった営巣地。層ごとの避難。眷属級すら怯えて逃げた、西の「足音」。コッツの石板から丁寧に清書した、隊の十日分の命の記録だ。
「読ませてもらった。実によく書けている。よく書けているが……結論から言おう。この報告は、受理するが、公示はしない」
「――は?」
声を上げたのは、ヴァンネスだった。
「公示しないだと? 層ごと魔物が逃げ出してるんだぞ。浅層で稼ぐ新人どもは、明日にも深層種と鉢合わせるかもしれん。それを報せないと?」
「ヴァンネス。おまえの越権については、別途話がある」支部長は事務的に遮った。「個人依頼の形で支部の頭越しに調査を走らせた件、規約上は問題ないが、心証の上では大いに問題だ」
「心証だと」
「まあまあ」
割って入ったのは、ドレンの綿の声だった。
「皆さま、どうか事を分けて考えていただきたい。第一に――脅威は、討伐されたのです」
番頭は、報告書を白い指でとんとんと叩いた。
「五層の壁を塞いでいた大型個体は、皆さまのお手柄で討たれた。素材は流れ、街は平常に戻った。事実として、目の前の危機は去った。違いますかな」
「あれは異変の原因じゃない。結果だ」と、俺は言った。「あの眷属級も、西の何かから逃げていた。原因は、まだ下にいる」
「『西の何か』」
ドレンは、その言葉を、匙で掬うように繰り返した。
「報告書を拝見しました。その『何か』の記述は――足音、気配、魔物の逃げた方角。以上です。姿を見た者は? おりませんな。正体の見当は? ついておりませんな。つまり現時点でそれは、脅威ではなく、憶測です」
「憶測じゃない。痕跡だ」
「では言い直しましょう。『銭にならない痕跡』です」
番頭は初めて、綿の下の地金を見せた。
「よろしいか。『大穴に正体不明の異変あり』と公示すれば、何が起きるか。素材の先物は崩れ、隊商は迂回を始め、入穴者は減り、ギルドの実入りも痩せる。街の三万の暮らしが、皆さまの『足音を聞いた』という報告一つに賭けられるのですよ。……逆に伺いたい。その責任を、皆さまがお取りになれますかな?」
部屋が、静まった。
卑劣な理屈だった。卑劣で――そして、一分の隙もなく、この街の現実だった。
「公示の判断は支部と、街の評議会が行う」支部長が、締めの口調で言った。「本件は『大型個体の討伐により解決』として処理する。報告書は封緘の上、書庫で保管。おまえたちには箝口を求める。……ああ、無論、タダでとは言わん」
ドレンが、卓の上に小さい布を置いた。開くと、金貨が十枚、行儀よく並んでいた。
「商会からの、報奨でございます。開通のお礼と――ご賢察への、お礼と」
ご賢察。黙っていろ、という意味の、綿にくるんだ言い方だった。
ガロが、ゆっくりと立ち上がった。
大男は袱紗を見下ろし、それから丁寧な手つきで、布を金貨ごと畳み直して、ドレンの前へ押し返した。
「討伐の報酬は、依頼の額面通りに貰う。それが冒険者の筋だ。……筋の外の銭は、受け取ると、次から筋の外の仕事を断れなくなる。うちはそういう商売はしねえ」
「……ほう」
ドレンは怒らなかった。怒らずに、初めて、値踏みの目で俺たち一人一人を、ゆっくりと眺め回した。帳簿に書き付けるような目だった。
「結構。では報奨は、なかったことに。――ですが〈鉄樹〉の皆さま、覚えておいでください。この街で商会と『筋』の話ができる隊は、そう多くない。当会は、筋の通った方々が好きですよ。ええ、とても」
◇
支部長室を出た廊下で、ヴァンネスは壁を、拳で一度だけ打った。
「……すまねえな、おまえら。俺が依頼した調査だ。まさか、封緘まで行くとは」
「あんたのせいじゃない」と俺は言った。「それに、無駄でもない。報告書は消されたわけじゃない。書庫に、封はされても、残ってる」
「残ってる、ねえ。封緘文書なんざ、誰の目にも触れねえよ」
「触れる日が来る。異変が本物なら、必ず」
俺は、ニラの言葉を思い出していた。記録はどっちの味方もしない。ただ、嘘の味方もしない。封をされた報告書は、いつか封を切られた日に、「この街は知っていて、黙った」という証拠に変わる。
「――それまで、俺たちは俺たちで数え続ける。あんたの帳面、まだ付けるんだろ」
ヴァンネスは俺の顔をまじまじと見て、それから、ふっと古傷を歪めて笑った。
「ああ。付けるとも。……ったく、嫌な新人だぜ、おまえは。三十年目の俺より、この街の汚え仕組みの使い方を分かってやがる」
◇
その晩の酒場は、通夜のようだった。
「金貨十枚かあ……」
コッツが、卓に顎を乗せて呻いた。
「別に、貰やよかったとは言わねえよ? 言わねえけどさ、金貨十枚だぜ。冬のスラムの薪が、何年分買えると思う」
「なら、貰えばよかったって顔ね」とミレア。
「してねえよ! ……ちょっとしか」
ガロは手酌で呷って、コッツの頭に、大きな掌をぽんと置いた。
「コッツ。ああいう銭はな、値札の付き方が逆さまなんだ」
「逆さま?」
「普通の銭は、働きに値が付く。あれは違う。俺たちの『これから』に値が付いてる。金貨十枚で買われたのは、今日の沈黙だけじゃねえ。次に商会が筋の悪い頼み事をしてきたとき、断りにくくなる俺たちの『次』ごと、まとめて買われるとこだった。……ああいうのはな、受け取った瞬間は貰った気になるが、帳簿の上じゃ、こっちが借りてるんだよ」
「……隊長、たまに商人みてえなこと言うよな」
「商人と長く付き合う稼業だからな」
笑い話の形に収まりかけたところで、ミレアが、酒も飲まずに言った。
「でも、覚えときましょ。今日のあれで、うちは商会の帳簿に載った。『筋の話が通じない隊』としてか、『いずれ高く買える隊』としてかは知らないけど。……ああいう手合いは、断られた相手ほど、忘れないものよ」
教会で寄進台帳の裏側を見てきた女の言葉には、嫌な実感があった。
誰も、それに反論できなかった。
酒場の窓の外では、雪が降り続いていた。
白い雪の下で、街は今日も、何も知らないまま回っている。知らないまま回るように、金と判子で、丁寧に整えられている。
その整え方を、俺はこの日、初めて間近で見た。
そして、整えた側の男が去り際に俺たちへ向けた、あの帳簿のような目つきも――しばらくの間、忘れられそうになかった。
第23話更新です!
感想、レビューお待ちしております。
車のバッテリーがあがって散々な一日でしたので、ストックを書いて心を落ち着かせるのです。




