第22話「代償の二」
討伐から七日目、ヴェルデに初雪が降った。
その前日、〈鉄樹〉は報酬の分配を済ませていた。
討伐報酬の金貨三枚に、素材の売り上げが金貨十一枚と銀貨二十。運び手の雇い賃と道具代を引いて、頭割り。ヴァンネスは「依頼主が取り分を貰ってどうする」と固辞したが、ガロが「あんたも潜った頭数だ」と譲らず、結局、楔の借り賃の名目で受け取らせた。
分配の卓で、面白いものが見られた。金を前にしたときの、それぞれの素顔だ。
コッツは自分の取り分を三つに分け、一番大きな山を布に包んだ。行き先は訊かなくても分かった。冬のスラムだ。「今年は、朝起きてこねえチビをゼロにする」と、少年は誰にともなく宣言した。
ミレアは帳面を出して、取り分をきっちり二分し、片方をその場で仕舞った。「妹の分」と、それだけ言った。教会に預けているという妹の話を、俺たちはまだ、それ以上知らない。訊けば話す気がする日まで、誰も訊かなかった。
ガロは真っ先に隊の借金を返し、残りで新しい大盾を注文して、余りを全部「隊の備え」に回した。自分の懐には、ほとんど何も残さなかった。
俺は――正直、使い道が思いつかなかった。装備は足りている。宿は安いままでいい。結局、大半を宿の親父に預け、少しだけ、村への仕送りに回した。金貨を数える手が、妙に他人事だった。あの壁の一番上に届くために必要なものは、もう金では買えない何かだと、体のどこかが知り始めていたのかもしれない。
「……にしても兄貴、欲がなさすぎだろ」
「欲ならある」
「へえ、何だよ」
「秘密だ」
コッツは「けちー」と笑った。ニラと同じことを言う、と思った。
街は、討伐の余韻でまだ浮ついていた。五層の壁は開通し、深層屋が戻り、素材が流れ、掲示板には依頼が戻った。〈鉄樹〉の名は、一夜で街の隅々まで知れ渡っていた。
そして翌日、初雪と一緒に、村からの荷が届いた。
俺はといえば、宿の前で、その荷を受け取っていた。
村からの荷だった。
油紙を三重に巻いた包み。開けると、灰色の毛糸で編まれた冬着が出てきた。厚手の、山の冬用の編み方。袖口だけ、色の違う毛糸で補強してある。俺が昔から袖口ばかり擦り切れさせるのを、知っている編み方だった。
添えられた手紙は、村の司祭の代筆だった。母は字が書けない。
『息子へ。賞金首を獲ったという噂が、行商から村まで届きました。母は自慢に思うより先に、心配で三日眠れませんでした。無理はしないこと。冬着は早めに着ること。袖口は今年は倍に編んでおきました。ベテル様にもよろしく。 母より』
俺は宿の部屋で、冬着を広げたまま、しばらく座っていた。
袖に腕を通す。寸法は、寸分違わず合っていた。顔は思い出せなくても、この人は俺の腕の長さを、指の先まで覚えている。
……ちゃんと、返事を書こう。
そう思って、窓の外の雪に目をやった、そのときだった。
ふと、思った。村の初雪は、もう根雪になっただろうか。あの村の冬は――
あの村の、冬は。
手が、止まった。
出てこない。
村の冬の景色が、出てこない。雪が積もることは知っている。屋根の雪下ろしをしたことも、囲炉裏で藁靴を乾かしたことも、事実としては言える。だが、その景色が、見えない。雪の白さの質も、囲炉裏の匂いも、朝の戸を開けたときの光も、何もかもが、名札だけ残して中身を抜かれたように、白い。
十五年、暮らした村の冬だ。
それが、母の顔と同じ場所へ、行ってしまっていた。
俺は冬着の袖を握ったまま、長いこと、動けなかった。
◇
その晩、俺はニラの寮の食堂で、それを話した。
ニラは、今度は「私が覚えておく」とは、すぐに言わなかった。
手帳を開いたまま、ペンを持ったまま、じっと俺を見て、それからようやく、低い声で訊いた。
「……岩喰らいの、せい?」
「たぶん。継いだ力が大きいほど、代償も大きい。眷属級は、今までで一番大きかった」
「そう」
ニラはペンを置いた。置いて、両手を膝の上で組んだ。こいつが何かを堪えるときの、昔からの癖だった。
「リゲル。一個だけ、訊いていい」
「ああ」
「消える順番って、あるのかな」
声は静かだった。静かすぎた。
「最初はお母さんの顔で、次が、村の冬。……どっちも、リゲルの『帰る場所』の記憶だよね。次は何が消えるの。村の夏? 家の間取り? それとも――」
それとも。
その先を、ニラは言わなかった。言わない代わりに、組んだ手に、力がこもった。
「……分からない」と、俺は正直に答えた。「選べないんだ、これは。ただ、じいさんの手紙には、強く想い続けているものは消えにくい、とあった。だから」
「だから?」
「だから、大丈夫だ」
我ながら、中身のない大丈夫だった。ニラもそう思ったのだろう。ふ、と息だけで笑って、それから、また手帳を引き寄せた。
「……手帳、二冊目に入ったんだよ」
ニラは鞄から、真新しい手帳をもう一冊出して見せた。
「一冊目はリゲルの分。二冊目は、村の分。私が覚えてる村のこと、全部書く。冬の景色も、夏祭りも、うちの店の埃っぽい棚も、リゲルが川で溺れかけた話も」
「溺れかけてない。あれは飛び込んだんだ」
「溺れかけたの。私が見てたんだから、記録が正しいの」
ニラは笑って、それから、ペンを走らせ始めた。
『アーロイ村の冬。雪は膝まで。屋根の雪下ろしは男衆の仕事で、リゲルは十二の年から大人に混ざってやっていた。囲炉裏の匂いは、松と、干し茸と、ちょっとだけ煙たい』
几帳面な字が、頁を埋めていく。俺はそれを、ただ見ていた。
書かれた村は、確かに俺の村だった。読めば、知識として、全部頷ける。だが、読んでも読んでも、景色は還ってこなかった。ニラの字の向こうに、白い霧が広がっているだけだった。
――覚えることと、思い出すことは、違う。
その距離を、俺はまた一つ、思い知らされていた。
◇
帰り際、寮の玄関先で、ニラが不意に言った。
「ねえ、リゲル。次に強い敵と戦うとき……戦う前に、教えてくれる?」
「なんでだ」
「先に書いておきたいものが、あるかもしれないから」
雪あかりの下で、ニラの顔は笑っていた。笑っていたが、これは作り笑いだ。
俺はそのとき初めて、この記録という営みが、こいつにとってどういう時間なのかを、まともに想像した。俺が何かを継ぐたび、こいつは俺の中から何が消えたかを確かめて、それを紙に写す。それは葬式の支度に、少し似ている。誰のものかも分からない棺に、先回りして花を入れておくような。
「……ああ。約束する」
それだけ言うのが、精一杯だった。
その夜、ニラは寮の自室で、一人、手帳の一冊目を開いていた。
リゲルには見せない、一冊目。彼のことだけを書く帳面。その日の頁に、彼女は、短い行を書き足した。
『初雪。リゲル、村の冬を失くす。お母さんの編んだ冬着は、袖がぴったりだった。――神様。この人から次に何かを取るなら、どうか、私のことは一番最後にしてください』
書いてから、ニラは、その一行を、しばらく見つめた。それから、誰にも読まれないその頁を、そっと、閉じた。
第22話更新です!
ちょいおくれました(__)




