第20話「狩りの支度」
地上に戻った俺たちの報告を、ヴァンネスは一言も挟まずに聞き終えた。
聞き終えて、白髪頭を深く抱えた。
「第五層に眷属級。しかも、その眷属級すら逃げ出す『何か』が西に――か。……調査依頼は完遂だ。約束の三十枚に、危険手当を上乗せする。文句はねえな」
「もらっておく」とミレアが即答し、それから、珍しく自分から付け足した。「で? この報告、ギルドはまた握り潰すの?」
「潰したくても、潰せなくなった」
ヴァンネスは苦い顔で、一枚の速報を卓に放った。
俺たちが地上に戻った翌日から、事態が動いていた。あの岩喰らいの眷属が、東へ逃げた先――五層の壁の登り口の周辺に、居着いたのだ。壁は第四層と第五層を結ぶ唯一の幹線。そこが大型個体の縄張りになった結果、五層以深で稼ぐ深層屋たちの帰り道が塞がれた。既に二つの隊が接触し、一隊は半壊して逃げ帰った。
「深層屋が上がってこれねえ。深層素材の入荷が三日止まっただけで、商会連中は蜂の巣をつついた騒ぎだ。……皮肉なもんさ。冒険者が何人死んでも動かねえ連中が、銭の道が塞がった途端、揃って『早急な討伐を』ときた」
ギルドの掲示板には、討伐依頼が貼り出されていた。
『五層の壁付近に出没する大型個体一体の討伐。報酬、金貨三枚』
大型個体一体。異変の「い」の字もない、注意深く漂白された文面だった。そして金貨三枚という額は、眷属級の討伐相場としては、はっきりと安い。
「銀級の隊は誰も受けねえ。相場より安い上に、情報がなさすぎるからだ。……だが、おまえらには情報がある。あれと実際にやり合って、生きて帰った唯一の隊だ」
ヴァンネスは俺たちを順に見た。
「受けるかどうかは、おまえらが決めろ。ただ、受けるなら俺も入る。老いぼれの槍でも、頭数にはなる」
ガロが、俺を見た。
「リゲル。おまえの見立てを聞かせろ。……あれは、狩れる獲物か」
俺は目を閉じて、あの岩塊を思い浮かべた。通らない短刀。半瞬の腹。乱れた振動索敵。そして、俺たちを追わず、足音に耳を澄ませていた、あの姿。
「正面からやれば、狩れない。銀級が束になっても、たぶん狩れない」
一拍置いて、続けた。
「だが、罠猟なら――狩れる。あれは強い獣だが、賢い獣じゃない。それに、あいつの一番の強みは、そのまま一番の急所だ」
◇
支度に、三日をかけた。
一日目は、地形だ。
ニラに頼んで、ギルドの書庫から五層の壁周辺の古い測量図を引っ張り出してもらった。
三階の書庫は、紙と黴と蝋の匂いがした。ニラは棚の位置を全部覚えていて、俺が依頼内容を言い終える前に、もう三本の筒を抱えて戻ってきた。
「五層の壁の測量図は、三代あるの。七十年前の初測、四十年前の改測、それと十二年前の部分測量。……新しいのだけじゃ駄目だよ。崩落で消えた旧道は、古い図にしか載ってないから」
「詳しいな」
「受付はね、依頼書の地名が読めないと話にならないの。暇なときに書庫の図を眺めるのが癖になっちゃって……あ、ここ。ほら、この旧登路。十二年前の図では『崩落により廃道』って注記だけど、四十年前の図だと道幅も勾配も全部載ってる」
三代の図を重ねると、現行の地図には存在しない壁の裏側が、浮かび上がってきた。廃道。岩盤の亀裂の記録。歴代の測量士が几帳面に書き残した『岩庇に亀裂あり、崩落の危険。通行禁止』の注記。
「――ここだ」
俺が指したのは、壁の中腹にある岩棚だった。旧登路の途中、頭上に巨大な岩庇がせり出した袋小路。
「二十年前から崩れる崩れると言われて、崩れてない岩庇だ。……こいつを、俺たちの手で崩す。あの図体を、この下に呼び込んでな」
「呼び込むって、どうやってだよ」とコッツ。
「おまえの耳と、俺の足で、だ」
役割は、その晩のうちに割った。
誘引はコッツと俺。偽の足音を刻んで、奴を旧登路へ引き込む。岩庇の上で楔を抜く役はガロとヴァンネス。石工上がりの隊長と、頭上の岩の機嫌を読める男の二人だ。ミレアは旧登路の中間の岩陰に治療点を置き、全体の時間を数える係を兼ねる。
「時間を数える係って、何よそれ」
「一番大事な係だ」と俺は言った。「罠猟は、待つ猟だ。待ってると、人間は必ず時間の感覚を失くす。焦れて早く動いた側から、獲物に食われる。……全員の『まだ動くな』を握るのが、あんたの仕事だ」
「……ふうん。いいわよ、引き受けた。あたし、人を待たせるのは得意なの」
二日目は、道具だ。
燃料油の樽を四つ。鉄杭と木槌。それから、ガロが古馴染みの石工から借りてきた、岩盤に亀裂を広げるための楔を一式。ミレアは薬屋を三軒回り、気付けと止血と、麻痺毒の解毒薬を人数分の倍、買い込んだ。
「念のためよ、念のため」と言いながら、ミレアは俺の革鎧の右肩――例の縫いの甘い箇所に、自分で補強の当て革を縫い付けた。針の運びは、呆れるほど正確だった。
三日目は、稽古だ。
街の外の岩場で、俺たちは「足音」の稽古をした。
あれの索敵は振動だ。重い足音には突進し、軽い音は無視する。ならば、重い足音を自在に「置ける」なら、あれの突進する先を、こちらが決められる。
やり方は単純で、泥臭い。縄の先に石臼ほどの岩を括り、岩棚の上から振り子のように落として、地面を打たせる。どん、どん、と、大物の足音そっくりの振動が、好きな場所に、好きな律動で置ける。この「偽の足音」で奴を旧登路へ誘い、岩庇の下まで歩かせ、頭上の亀裂に打ち込んだ楔を抜いて――落とす。
「……あのさあ」
稽古の合間、縄まみれのミレアが、心底呆れた声を出した。
「あたし、冒険者のパーティに入ったのよね? 罠張って、縄引いて、偽の足音で獣をおびき寄せて。これ、どう見ても猟師の山仕事じゃない。あんた、戦い方が冒険者じゃなくて猟師なのよ」
「猟師で悪いか」
「悪くないから困ってるのよ。……勝てそうな気がしてきちゃったから」
その晩、宿の寝台で、俺はじいさんの言葉を思い出していた。
十三の冬だったと思う。俺が「熊と正面から戦える強さが欲しい」と言ったとき、じいさんは笑いもせずに答えた。
『阿呆。熊と正面からやり合う強さなんてもんは、この世のどこにもない。あるのは、熊の強さを熊の弱さに変える頭だけだ。いいかリゲル、獲物の一番強い武器を見ろ。牙か、鼻か、耳か。見極めたら、そいつを逆手に取れ。強い武器ほど、獲物はそれに頼り切ってる。頼り切ってるものは、裏切られたとき、一番深く刺さる』
岩喰らいの武器は、振動の索敵と、止められない突進。
なら、それで殺す。
偽の足音に頼らせ、突進の質量ごと、岩庇の下へ。あの強さのすべてを、あの巨体を袋小路へ運ぶための脚に変える。
――見ててくれ、じいさん。あんたの狩りで、階層主の血を獲る。
出発は、明日の夜明けと決まった。
ニラは受付で受注の判を押しながら、いつもの「がんばれ」を言わなかった。代わりに、依頼書の控えの余白に何かを書き付けて、控えごと俺に見せた。
『全員で潜って、全員で帰る。以上、受付からの追加条項』
「……契約違反は、しない主義だ」
俺がそう返すと、ニラはようやく、いつもの顔で笑った。
第20話更新です!




