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継承者は忘れていく ~才無しと蔑まれた狩人は、敵を狩るたび最強に近づき、大切な記憶をひとつずつ失っていく~  作者: あおあお


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第17話「逆流」


「――〈針顎〉の死骸を、第三層で?」


報告を受けた受付の職員は、書きかけのペンを止めた。止めたが、その顔に浮かんだのは驚きではなく、困惑だった。もっと言えば、「またか」に近い色だった。


「……少々お待ちを。上に確認します」


待たされること半刻。


「報告は受理しました。死骸は回収班が確認します。……ですが、深層種の迷い出は稀に起こる事象です。過度に騒がれませんよう」


「稀に、ねえ」


ギルドを出たところで、ガロが鼻を鳴らした。


「あの受付の顔、見たか。『またか』って顔だ。つまり、うちの報告が初めてじゃねえってことだ」


「じゃあなんで、掲示にも注意書きにも出ないんだ」とコッツ。


「出せねえのさ」答えたのは、背後からの声だった。


振り返ると、右目に古傷のある男が立っていた。ヴァンネス。俺の昇級試験の試験官で、あの日、鉄樹の全滅現場に一緒に立ち会った男だ。


「……つけてたのか」

「おまえらの報告を、たまたま隣の窓口で聞いた。場所を変えるぞ。この話は、ギルドの中でするもんじゃねえ」


◇


場末の酒場の奥の卓で、ヴァンネスは声を落として話した。


「この三月で、深層種の目撃報告は八件。死骸の発見が三件。全部、本来の生息域より二層から四層も上でだ。俺は古い付き合いの連中から報告を集めてる。――俺が勝手に、な」


男は懐から手垢のついた帳面を出し、めくってみせた。日付、場所、証言者、内容。几帳面な字で埋まっている。


「一番嫌な報告を読んでやろうか。先月の十六日、深層屋の〈黒鶴〉って隊が第六層で見たもんだ。――『営巣地がもぬけの殻だった。卵だけが、残されていた。針顎は卵を捨てない。母体は卵を守って死ぬ魔物だ。その針顎が、営巣地に卵を残したまま、巣を捨てた』……どういう意味か、分かるか」


「卵を守って死ぬより、逃げる方がましな『何か』が来た、ってことか」と俺は言った。


「そうだ。獣ってのは、命の次に仔を数える。その順番が崩れるときは、よほどのときだ」


帳面には、他にも似た証言が並んでいた。空の巣。放棄された縄張り。共食いの痕。断片は全部、同じ一つの方向を指していた。


「じゃあなんで、掲示にも注意書きにも出ないんだ」とコッツが繰り返す。


「ギルドはこの件を『個別の迷い出』で処理してる。まとめて『異変』にしちまうと、困る連中がいるからだ」


ヴァンネスは杯を呷って、指を三本立てた。


「一つ、素材相場。大穴に異変あり、と公示された途端、ヴェルデの素材を扱う商会の在庫は値を崩す。二つ、入穴料。ギルドの実入りの三割は冒険者の入穴料だ。潜る人間が減れば、ギルドの財布が細る。三つ、街の沽券。大穴が危ないとなりゃ、隊商が街ごと迂回する。……つまりこの街の偉い連中は全員、異変が『ないこと』に銭を賭けてるのさ」


「その間にも、下から魔物は上がってきてるのに?」


コッツの問いに、ヴァンネスは薄く笑った。


「そうだ。だから性質が悪い。――俺はこの現象を、勝手に〈逆流〉と呼んでる。川の水が逆さに流れるのと同じだ。水ってのは、低い方へ流れるのが道理だろう。魔物も同じで、強いやつほど、深くて豊かな下層に縄張りを張る。それが道理だ。その道理が、ひっくり返ってる。下がよほど住めなくなってなけりゃ、起きねえことだ」


針顎の潰れた爪を、俺は思い出していた。山火事から逃げる獣の走り方を。


「……で、だ。ここからが本題になる」


ヴァンネスは卓に、一枚の依頼書を置いた。ギルドの正規の書式。だが依頼主の欄には、ギルドの名ではなく、個人名があった。ヴァンネス自身の名だ。


「第五層までの実地調査。深層種の痕跡の記録、逆流の規模の見立て。報酬は銀貨二十枚――俺の自腹だ。ギルドを通すと握り潰されるんでな、個人依頼の形を取る。受けてくれとは言わねえ。危険の割に安い。ただ、頼める腕と口の堅さを兼ねた隊が、俺にはおまえらしか思いつかん」


銀貨二十枚。鉄級の古株とはいえ、勤め人ではない冒険者の蓄えから出すには、重い額だ。


「……なんで、そこまでする」と、ガロが静かに訊いた。「あんたの実入りには、一枚もならねえ話だろう」


「三十年、あの穴で食ってきた」


ヴァンネスは、右目の古傷を指でなぞった。


「穴に殺された知り合いの数なら、この街の誰にも負けん。だがな、殺され方には二種類ある。穴の深さに挑んで殺されるのと――知らされてりゃ避けられた死に方をするのと、だ。前者は冒険者の死だ。文句はねえ。後者は、ただの見殺しだ。……俺は残りの人生で、後者の数を減らしてえだけさ」


沈黙が、卓に降りた。


最初に口を開いたのは、ミレアだった。


「割に合わない。深層種と接触する前提の調査で銀貨二十枚は、相場の半分以下。危険手当を乗せて三十枚。それと、負傷時の治療費は依頼主持ち。これが最低線」


「おい、ミレア」とガロが窘めかけたが、ヴァンネスは片手でそれを制した。


「……いや、その女が正しい。三十枚、呑む。治療費も持つ。それでいい、命の値切りはなしだ」


「なら、あたしは受けてもいい」


ミレアはあっさり言った。ガロが目を丸くする。


「割に合わない依頼だから断ると思ったか? 逆よ。値段の話を先に済ませたから、あとは中身の話ができるの。――で、中身の話をすると、この依頼は受けるべきよ。逆流が本物なら、いちばん最初に死ぬのは浅層で稼ぐ新人と、うちみたいな中堅。異変の正体を知ってるかどうかは、そのまま、うちの生存率の話だから」


「おれも行く」とコッツが手を挙げた。「下から何が来るのか分かんねえまま潜るほうが、よっぽど怖え」


ガロは二人の顔を見て、それから俺を見た。


「リゲル。おまえはどうだ」


「受ける。逆流の正体は、俺も知りたい」


「決まりだ」


ガロが卓を叩いた。ヴァンネスは四人の顔を順に見回して、深く頭を下げた。古株の鉄級が、格下の隊に下げる頭ではなかった。


「恩に着る。……出発は三日後。それまでに、頼みたい支度がある」


男は懐から、古びた羊皮紙を取り出した。手描きの、第五層までの地図だった。ところどころに、赤い印。


「この赤印は、この三月の深層種の目撃地点だ。見て、何か気づくことはあるか」


俺は地図を覗き込み――すぐに、気づいた。


気づいて、背筋が冷えた。


赤印は、ばらばらに散ってはいなかった。全て、迷宮の東側に寄っていた。まるで、西側の何かを、避けるように。


第17話更新です!


※ご指摘があり8/2に修正しました。

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― 新着の感想 ―
>針顎の営巣地が、空だった。卵ごと消えていた。 >その針顎が、営巣地に卵を残したまま、巣を捨てた 卵は置き去りにされてたんですよね?
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