第12話「銭勘定の治癒術士」
ミレアの仕事は、噂通りだった。二つの意味で。
まず、出発前からして噂通りだった。
南門の集合場所に現れた女は、挨拶より先に、俺とガロの装備を上から下まで眺め回した。
「装備の点検、無料でしてあげる。今日一日、あたしの稼ぎに関わるから」
そう言うと、返事も待たずに始めた。
「盾の中の人。左の籠手、革紐が三分の一まで切れかけ。締め直すと今日の中盤で千切れるわよ。予備に替えて。……そっちの狩人。革鎧の右肩の縫い、浮いてる。岩殻虫はね、革の縫い目を狙って噛むの。あいつら目が悪いくせに、糸の匂いだけは分かるのよ」
言われて確かめると、その通りだった。右肩の縫いは、賞金で買ったときから少し甘かった箇所だ。
「詳しいな。治癒術士ってのは、装備も見るのか」
「逆よ」
ミレアは、こともなげに言った。
「治療した傷を千件も並べると、傷の方から装備の穴が見えてくるの。切れかけの革紐で受けた一撃、縫い目から入った毒、留め具の錆で膿んだ傷。……あたしの商売敵は魔物じゃなくて、手入れの悪い装備なのよね」
千件。
さらりと言ったが、日雇いを転々としながら積める数ではない。教会にいた頃の数字だろう。この女の値札の下には、思ったより厚い台帳が挟まっているらしかった。
「点検は無料なんだな」
「予防は無料。治療は有料。……その方が、トータルであたしが楽だから」
理屈は銭勘定の形をしていたが、中身は、どう聞いても職人の矜持だった。
◇
第三層の薬草群生地。護衛採取の依頼は、中盤までは順調に進んだ。灰犬の群れが二度仕掛けてきたが、ガロが受け、俺が仕留め、ミレアは後方から一歩も動かずに戦闘を眺めていた。
「治癒、要る? 切り傷一箇所、銅貨五枚。毒消しは別料金」
「要らねえよ! かすり傷だ!」
「あっそ。じゃあ勘定なし」
こういう調子だった。
だが、三度目の襲撃で様相が変わった。灰犬ではなかった。天井の岩の裂け目から、岩殻虫の群れが雨のように降ってきたのだ。数が多い。ガロの盾で受けきれない分が、採取中の俺の背中に取りついた。
甲殻の顎が、革鎧ごと肩口を噛み破る。
「っ……!」
引き剥がして踏み潰す。だが毒だ。噛み口から、痺れが腕に広がっていく。短刀の握りが、みるみる緩んでいく。
「毒! 岩殻虫の麻痺毒! 放っときゃ半日で抜けるけど、その前に死ぬわよこの数!」
ミレアの声が飛んだ。そして、それに被せて。
「治療するなら銀貨一枚! 返事!」
――この場面で、勘定か。
呆れるより先に、俺は叫んでいた。
「払う! やれ!」
次の瞬間、俺は自分の目を疑った。
後方に突っ立っていたはずの女が、降り注ぐ岩殻虫の下を、姿勢を低くして一直線に駆けてきた。足運びに一切の無駄がない。俺の腕を掴み、噛み口に手をかざす。白い光。痺れが、驚くほどの速さで引いていく。
「三十秒動かないで。……はい、終わり。戦闘継続可」
完全に抜けていた。教会の正規治療院でも、麻痺毒は一晩かかると聞く。それを、戦闘の真っ只中で、三十秒。
痺れの抜けた腕で、俺は群れを削り直した。ガロの盾が壁を作り、俺が崩し、ミレアは――見れば、俺たちの死角に回った個体を、杖の石突きで正確に叩き潰していた。治癒術士の動きではなかった。
群れが引いたとき、ガロが荒い息のまま笑いだした。
「はっ、はははは! おい、銭ゲバ! おまえ、なんだその動きは!」
「銭ゲバ言うな。……前衛の位置取りくらい、見てれば覚える」
ミレアはフードを直して、それから事務的に付け足した。
「治癒一件、銀貨一枚。帰還後精算で」
◇
帰りのギルドで精算を済ませたあと、ガロは単刀直入に切り出した。
「うちに入れ。専属で」
「断る。言ったでしょ、専属はやらない」
「日当を倍にする」
「金の問題じゃない」
「嘘つけ。おまえの札には前金制って書いてあった」
ミレアは、初めて言葉に詰まった。
ガロは畳みかけなかった。代わりに、卓に酒を三つ頼んで、一つをミレアの前に置いた。
「……なあ。今日の毒消しの場面よ。おまえ、値段を叫んでから走り出すまで、半瞬も迷わなかったろ。あれな、値段ってのは建前で、体はとっくに助けるって決めてたんだ。俺には見えてた。盾持ちは、後ろの人間の重心を見るのが仕事だからな」
「……何が言いたいの」
「性根の話だ。おまえは、追い詰められた場面で銭を数えるふりをして、命の方を先に拾う奴だ。うちが欲しいのは、そういう性根だけだ」
ミレアは酒に口をつけず、長いこと黙っていた。
やがて、絞り出すように言った。
「……教会を追われた理由、聞いてないの」
「聞いてない。要るか、それ」
「要るでしょ、普通」
女は酒を一息に半分空けて、吐き捨てるように話した。
「治療の順番を、勝手に入れ替えたのよ。寄進の多い商人が先、って決まりだったのを、先に運ばれてきた坑夫の子供を先にした。商人は死ななかった。でも寄進が一件飛んで、あたしは破門。……笑えるでしょ。人助けの看板の下が、いちばん銭勘定に忠実なの。だったらあたしは、最初から値札を見せる方を選んだだけ」
値札を先に見せるのは、後から裏切らないためか。
誰も何も言わなかった。ガロは黙って自分の杯を掲げ、ミレアの杯に、こつんと当てた。
「前金は要相談、日当は弾む、治療の順番はおまえが決めろ。――どうだ」
ミレアは杯を見下ろして、それから、心底いやそうに笑った。
「……お試し期間、一月。それと、あたしの取り分の計算にだけは口を出さないこと」
「決まりだ!」
◇
その晩、俺は受付の窓口で、ニラに一部始終を報告した。報告書の余白に、ニラのペンがさらさらと走る。
「ミレアさんかあ。窓口でも有名だよ。精算の桁を一度も間違えたことがない人」
「そこか」
「そこ大事だよ? ……ふふ。〈鉄樹〉、三人になったね」
ニラは手帳の新しい頁に、木の枝の絵を描き足した。二本だった枝が、三本になっていた。
「順調、順調」
――そのはずだった。
翌朝、ギルドの倉庫番が青い顔で飛んできた。〈鉄樹〉が借りている装備倉庫の鍵が、こじ開けられていた。中から消えていたのは、金目の武具ではなく――ガロが買い直したばかりの、隊の携行食と、予備の外套が三枚。
「……妙な泥棒だな」
ガロが唸った。金にならないものだけを、選んで持っていく泥棒がいるだろうか。
倉庫の床に、小さな足跡が残っていた。大人のものではなかった。
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