第9話 選択の芽
選択は、いつも大きな決断として現れるわけではない。
---
むしろその前に、
気づかないほど小さな“分岐の芽”として現れる。
---
十二月下旬。
---
年の終わりが近づいていた。
---
街は慌ただしいはずなのに、
この場所だけは変わらず静かだった。
---
「人生の交差点」。
---
カラン。
---
扉が開く。
---
あすかは顔を上げる。
---
朝比奈だった。
---
「こんばんは」
---
「こんばんは」
---
いつもの挨拶。
---
しかしその夜は、
あすかの中に少しだけ違う感覚があった。
---
“来ることが当たり前になっている”
---
その事実を、
初めて意識してしまった。
---
朝比奈は席に座る。
---
グラスが置かれる。
---
沈黙。
---
その沈黙の中で、
あすかは自分の思考に気づく。
---
もし今日、朝比奈が来なかったらどうだったか。
---
以前なら考えなかった問い。
---
しかし今は、
それが自然に浮かぶ。
---
答えは出ない。
---
ただ一つだけ分かる。
---
少しだけ空白ができるということ。
---
それだけで十分だった。
---
朝比奈が言う。
---
「年末は少し忙しくなりそうです」
---
あすかは顔を上げる。
---
「そうなんですね」
---
「はい。でも問題はないです」
---
またその言葉。
---
問題はない。
---
あすかはその言葉を反射的に受け取る。
---
しかし以前ほど流せない。
---
問題はないという状態は、
本当に“安定”なのか。
---
それとも、
見えていないだけなのか。
---
思考が少しだけ深くなる。
---
しかしあすかはそれを止める。
---
今ここで答えを出す必要はない。
---
この関係はまだ、
答えを必要としていない。
---
朝比奈は本を開く。
---
いつも通り。
---
しかしあすかは少しだけ違う見方をしている。
---
この人は、
いつも“ここにいる”。
---
それは事実だ。
---
しかし、
それが永遠かどうかは分からない。
---
その考えに触れた瞬間、
胸の奥がわずかに動く。
---
不安ではない。
---
喪失の予感でもない。
---
ただ“認識”だった。
---
関係が続くという前提が、
いつの間にか自分の中にできていた。
---
それに初めて気づいた。
---
やがて朝比奈が言う。
---
「そろそろ帰ります」
---
あすかは少し間を置く。
---
「お疲れさまです」
---
その言葉は自然だった。
---
しかし少しだけ重さを持っていた。
---
朝比奈は軽く会釈する。
---
扉へ向かう。
---
カラン。
---
扉が閉まる。
---
静寂。
---
あすかはすぐにグラスを見ない。
---
今日の違和感が、
まだ残っている。
---
選択の芽。
---
それは何かを決めるものではない。
---
ただ、
気づいてしまったという事実だった。
---
関係は続いている。
---
しかしそれは、
無条件ではない。
---
あすかはゆっくり息を吐く。
---
そして初めて少しだけ思う。
---
この関係は、
このままでもいいのか。
---
それとも、
何かが変わるべきなのか。
---
まだ答えは出さない。
---
しかしもう、
見ないふりはできなかった。
---
(第9章 第10話へ続く)




