第8話 違和感
安定しているものは、
壊れないのではなく、
壊れていることに気づかれにくいだけかもしれない。
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十二月下旬。
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冬は完全に街を支配していた。
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夜は長く、
光は少しだけ遠い。
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「人生の交差点」。
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カラン。
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扉が開く。
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あすかは顔を上げる。
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朝比奈だった。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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短い挨拶。
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いつも通りのはずだった。
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しかしその夜、
あすかは少しだけ違う感覚を持っていた。
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理由は分からない。
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ただ、
空気のどこかがわずかにズレている。
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朝比奈は席に座る。
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グラスが置かれる。
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マスターはいつも通り沈黙している。
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何も変わっていない。
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それなのに、
あすかの中だけが少しだけ落ち着かない。
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しばらくして朝比奈が言う。
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「最近、少し忙しくて」
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あすかは顔を上げる。
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「そうなんですか」
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「はい。でも問題はないです」
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それだけの会話。
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しかしその“問題はない”という言葉が、
なぜか少しだけ引っかかった。
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問題はない。
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それは本当にそうなのか。
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それとも、
そう言っているだけなのか。
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あすかは自分でも理由の分からない違和感を持て余す。
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しかし表には出さない。
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この関係には、
深入りしない暗黙の距離がある。
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それを壊したくないという感覚もある。
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やがて沈黙が続く。
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以前なら安心だった沈黙。
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今日は少しだけ違う。
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静かすぎる。
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整いすぎている。
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あすかは思う。
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関係が安定するとき、
何かが見えなくなることがある。
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それは安心か、
それとも停滞か。
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分からない。
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ただ、ほんの少しだけ胸の奥がざわつく。
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朝比奈は本を開いている。
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いつも通りの動作。
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しかしその姿が、
今日は少し遠く感じる。
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理由は分からない。
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距離が変わったわけではない。
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なのに遠い。
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あすかは気づく。
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これは関係そのものの問題ではない。
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自分の認識の問題だ。
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変わったのは朝比奈ではない。
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自分の見え方だ。
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それでも、その違和感は消えない。
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やがて朝比奈が本を閉じる。
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「そろそろ帰ります」
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あすかは少し遅れて答える。
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「お疲れさまです」
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朝比奈は軽く会釈する。
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扉へ向かう。
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カラン。
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扉が閉まる。
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静寂。
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しかしあすかはすぐにはグラスを見ない。
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扉の閉まった方向を、
しばらく見ている。
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違和感。
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それは大きなものではない。
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壊れる予兆でもない。
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ただ小さなズレ。
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しかしそのズレは、
無視できない種類のものだった。
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あすかは思う。
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この関係は、
安定しているように見える。
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しかし本当に安定しているものは、
こんな感覚を持つものなのか。
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それとも、
安定しているように見えるだけなのか。
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答えは出ない。
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ただ一つだけ分かる。
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このままでは、
何かが静かに変わっていく。
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良い方向か、
そうでない方向かも分からないまま。
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あすかはゆっくりと息を吐く。
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グラスの中の氷が、
小さく音を立てた。
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(第9章 第9話へ続く)




