第9話 予感
人はまだ起きていない出来事を、
なぜか先に感じ取ることがある。
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理由はない。
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根拠もない。
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それでも、
確かに「何かが来る」と分かってしまう瞬間がある。
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十一月下旬。
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夜はもう冬に近かった。
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息を吐くと白くなる日も増えていた。
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あすかは仕事を終え、
いつもの道を歩いていた。
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足取りは軽い。
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以前のような重さはない。
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それでも、
どこか落ち着かない感覚があった。
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理由は分からない。
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ただ胸の奥に、
小さなざわつきがある。
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「人生の交差点」
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扉の前に立つ。
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一瞬だけ、ためらう。
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その理由も分からない。
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カラン。
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扉を開く。
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「こんばんは」
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マスターが顔を上げる。
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「こんばんは」
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いつもの席へ向かう。
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グラスが置かれる。
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静かな夜。
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しかし今日は、
少しだけ違う。
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何かを待っているわけではない。
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それでも、
意識が外へ向く瞬間が増えている。
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扉。
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時計。
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窓。
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そのどれかに、
意味はないはずなのに。
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カラン。
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音が鳴る。
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あすかは反射的に顔を上げる。
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朝比奈だった。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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いつも通り。
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それなのに、
あすかは少しだけ息を整える。
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理由は分からない。
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安心とも違う。
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期待とも違う。
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ただ、
「来た」という事実が、
少しだけ心の中に触れた。
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朝比奈は席に座る。
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グラスが置かれる。
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いつもの流れ。
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しかし今日は、
会話が少し早かった。
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朝比奈が言う。
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「寒くなりましたね」
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あすかはすぐに返す。
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「そうですね」
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間が短い。
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以前よりも。
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そのことに気づく。
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沈黙が怖くない。
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沈黙を埋める必要もない。
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ただ自然に流れている。
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しばらくして、
朝比奈が窓の外を見る。
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「冬が来ると、少し静かになりますね」
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あすかも外を見る。
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街は変わらない。
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けれど確かに、
音は少し減っている気がする。
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「静かな方が、落ち着きますか」
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あすかが聞く。
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朝比奈は少し考える。
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「落ち着くというより」
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言葉を選ぶように続ける。
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「考えやすいです」
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あすかはその言葉を反芻する。
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考えやすい。
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静けさは、
空白ではない。
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思考のための余白なのかもしれない。
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そのとき。
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あすかの中で、
小さな違和感が生まれる。
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以前とは違う感覚。
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朝比奈と話すとき、
少しだけ「続いていく感じ」がある。
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終わらない感じではない。
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切れない感じでもない。
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ただ、
この時間はどこかへ続いていく気がする。
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理由は分からない。
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けれどそれが、
少しだけ心地よかった。
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マスターは何も言わない。
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ただグラスを拭いている。
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その静けさが、
この空気を完成させているようだった。
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やがて時間が過ぎる。
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朝比奈が立ち上がる。
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「そろそろ失礼します」
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「お疲れさまでした」
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あすかが言う。
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自然に。
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朝比奈は軽く会釈する。
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扉へ向かう。
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カラン。
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扉が閉まる。
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静寂。
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しかし今日は、
その静寂が少し違っていた。
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ただの終わりではない。
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余韻が残っている。
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あすかはグラスを見つめる。
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予感。
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それはまだ形になっていない。
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けれど確かにある。
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このまま何かが変わっていく気がする。
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ゆっくりと。
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静かに。
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壊れるのではなく。
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終わるのでもなく。
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ただ、
続いていく方向へ。
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あすかは小さく息を吐く。
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それが悪いことだとは思わなかった。
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むしろ。
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少しだけ楽しみだった。
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(第8章 第10話「秋の入口」へ続く)




