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あすかの幸せについて  作者: こうた
第8章 静かな再生

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第9話 予感

人はまだ起きていない出来事を、


なぜか先に感じ取ることがある。



---


理由はない。



---


根拠もない。



---


それでも、


確かに「何かが来る」と分かってしまう瞬間がある。



---


十一月下旬。



---


夜はもう冬に近かった。



---


息を吐くと白くなる日も増えていた。



---


あすかは仕事を終え、


いつもの道を歩いていた。



---


足取りは軽い。



---


以前のような重さはない。



---


それでも、


どこか落ち着かない感覚があった。



---


理由は分からない。



---


ただ胸の奥に、


小さなざわつきがある。



---


「人生の交差点」



---


扉の前に立つ。



---


一瞬だけ、ためらう。



---


その理由も分からない。



---


カラン。



---


扉を開く。



---


「こんばんは」



---


マスターが顔を上げる。



---


「こんばんは」



---


いつもの席へ向かう。



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グラスが置かれる。



---


静かな夜。



---


しかし今日は、


少しだけ違う。



---


何かを待っているわけではない。



---


それでも、


意識が外へ向く瞬間が増えている。



---


扉。



---


時計。



---


窓。



---


そのどれかに、


意味はないはずなのに。



---


カラン。



---


音が鳴る。



---


あすかは反射的に顔を上げる。



---


朝比奈だった。



---


「こんばんは」



---


「こんばんは」



---


いつも通り。



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それなのに、


あすかは少しだけ息を整える。



---


理由は分からない。



---


安心とも違う。



---


期待とも違う。



---


ただ、


「来た」という事実が、


少しだけ心の中に触れた。



---


朝比奈は席に座る。



---


グラスが置かれる。



---


いつもの流れ。



---


しかし今日は、


会話が少し早かった。



---


朝比奈が言う。



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「寒くなりましたね」



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あすかはすぐに返す。



---


「そうですね」



---


間が短い。



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以前よりも。



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そのことに気づく。



---


沈黙が怖くない。



---


沈黙を埋める必要もない。



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ただ自然に流れている。



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しばらくして、


朝比奈が窓の外を見る。



---


「冬が来ると、少し静かになりますね」



---


あすかも外を見る。



---


街は変わらない。



---


けれど確かに、


音は少し減っている気がする。



---


「静かな方が、落ち着きますか」



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あすかが聞く。



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朝比奈は少し考える。



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「落ち着くというより」



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言葉を選ぶように続ける。



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「考えやすいです」



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あすかはその言葉を反芻する。



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考えやすい。



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静けさは、


空白ではない。



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思考のための余白なのかもしれない。



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そのとき。



---


あすかの中で、


小さな違和感が生まれる。



---


以前とは違う感覚。



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朝比奈と話すとき、


少しだけ「続いていく感じ」がある。



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終わらない感じではない。



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切れない感じでもない。



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ただ、


この時間はどこかへ続いていく気がする。



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理由は分からない。



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けれどそれが、


少しだけ心地よかった。



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マスターは何も言わない。



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ただグラスを拭いている。



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その静けさが、


この空気を完成させているようだった。



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やがて時間が過ぎる。



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朝比奈が立ち上がる。



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「そろそろ失礼します」



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「お疲れさまでした」



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あすかが言う。



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自然に。



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朝比奈は軽く会釈する。



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扉へ向かう。



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カラン。



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扉が閉まる。



---


静寂。



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しかし今日は、


その静寂が少し違っていた。



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ただの終わりではない。



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余韻が残っている。



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あすかはグラスを見つめる。



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予感。



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それはまだ形になっていない。



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けれど確かにある。



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このまま何かが変わっていく気がする。



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ゆっくりと。



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静かに。



---


壊れるのではなく。



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終わるのでもなく。



---


ただ、


続いていく方向へ。



---


あすかは小さく息を吐く。



---


それが悪いことだとは思わなかった。



---


むしろ。



---


少しだけ楽しみだった。



---


(第8章 第10話「秋の入口」へ続く)

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