第8話 自分の話
人の話を聞くことと、
自分の話をすることは違う。
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聞くことはできても、
話すことは難しい。
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なぜなら、
話すということは、
自分の中にあるものを誰かへ渡すことだからだ。
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十一月中旬。
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夜。
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「人生の交差点」。
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店の窓には薄く夜景が映っている。
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街路樹の葉も少しずつ減り始めていた。
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冬が近い。
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あすかはいつもの席に座る。
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グラスを持つ。
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以前より、
この時間が好きになっていることに気づいていた。
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理由は分からない。
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いや。
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本当は分かっているのかもしれない。
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ただ認めていないだけで。
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カラン。
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扉が開く。
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朝比奈だった。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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自然な挨拶。
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自然な距離。
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自然な時間。
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それらが少しずつ積み重なっている。
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朝比奈は席に座る。
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マスターがグラスを置く。
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静かな夜が始まる。
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しばらくして。
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朝比奈が本を閉じた。
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栞を挟む。
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そして珍しく言った。
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「最近、本はどうですか」
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あすかは少し驚く。
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自分に向けられた質問。
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以前なら短く答えて終わっていた。
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しかし今日は違った。
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「面白いです」
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そう答えた後、
少しだけ続ける。
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「昔はもっと読んでたんですけど」
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言葉が続いた。
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自分でも少し驚く。
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朝比奈は急がない。
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続きを促さない。
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ただ待っている。
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だから話せた。
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「いつの間にか読まなくなってました」
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静かな声。
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「忙しかったんですか」
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朝比奈が聞く。
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あすかは少し考える。
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忙しかった。
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それもある。
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でも本当は違う。
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もっと曖昧な理由だった。
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「余裕がなかったのかもしれません」
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そう答える。
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その瞬間。
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第7話で朝比奈が言った言葉を思い出した。
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余裕がなかった。
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同じ言葉。
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朝比奈は小さくうなずく。
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「そういう時期ありますよね」
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それだけ。
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それ以上聞かない。
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だから助かった。
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悠真のことは話していない。
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別れについても話していない。
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苦しかった時間についても話していない。
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それでも。
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何かは伝わった気がした。
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説明しなくても。
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理解されたわけではなくても。
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否定されないだけで十分だった。
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しばらく沈黙が流れる。
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以前なら、
その沈黙は重かった。
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今は違う。
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穏やかだった。
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朝比奈が窓の外を見る。
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あすかも見る。
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街灯が光っている。
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車が通る。
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人が歩いている。
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世界は変わらず動いている。
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そのことが少し嬉しかった。
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やがてマスターが新しいグラスを置く。
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「最近、表情が柔らかくなったね」
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突然だった。
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あすかは少し驚く。
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朝比奈も視線を向ける。
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マスターは笑う。
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「最初の頃は、もっと遠くを見てた」
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あすかは言葉を失う。
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否定できなかった。
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確かにそうだった。
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ずっと遠くを見ていた。
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もう戻らないもの。
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もう届かないもの。
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そんなものばかり見ていた。
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けれど今は違う。
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少なくとも。
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目の前を見る時間が増えている。
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マスターはそれ以上何も言わない。
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朝比奈も何も言わない。
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それがありがたかった。
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説明も分析もいらない。
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ただ、
そうなのかもしれないと思えた。
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帰る時間になる。
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朝比奈が立ち上がる。
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「お先に失礼します」
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「お疲れさまです」
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あすかが言う。
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自然だった。
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朝比奈は軽く会釈する。
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扉が開く。
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カラン。
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そして閉まる。
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静かな店内。
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あすかはグラスを見つめる。
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今日は少しだけ自分の話をした。
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大した話ではない。
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過去も語っていない。
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秘密も話していない。
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それでも。
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自分の中の何かを少しだけ外へ出した。
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それは以前ならできなかったことだった。
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冬が近づいている。
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そしてあすかの再生も、
少しずつ形になり始めていた。
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(第8章 第9話「予感」へ続く)




