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あすかの幸せについて  作者: こうた
第8章 静かな再生

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第3話 夏の終わり

季節は、ある日突然変わるわけではない。



---


気づけば蝉の声が減り、


気づけば夜風が冷たくなり、


気づけば空の高さが変わっている。



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終わった瞬間は分からない。



---


けれど振り返ると、


確かに終わっていたと分かる。



---


九月最後の週。



---


朝の空気は少し冷たい。



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あすかは駅へ向かう道を歩きながら、


空を見上げた。



---


雲が高い。



---


夏の空ではなかった。



---


いつの間にか季節は進んでいる。



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自分が気づかないうちに。



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そのことが少しだけ可笑しかった。



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仕事は相変わらずだった。



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忙しい日もある。



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何も起きない日もある。



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それでも以前と違うのは、


一日の終わりが少しだけ早く感じることだった。



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時間が流れている。



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そんな感覚が戻ってきていた。



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以前は違った。



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悠真との関係が曖昧になっていた頃。



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一日は長かった。



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返事を待つ時間。



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会えない時間。



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考えても答えの出ない時間。



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時計ばかり見ていた気がする。



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だが今は、


時計を見る回数が減った。



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待っているものがないからだろうか。



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それとも。



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別の理由なのだろうか。



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その答えはまだ分からない。



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仕事帰り。



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あすかはコンビニで温かいコーヒーを買った。



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少し前なら考えなかった選択だった。



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冷たい飲み物ばかり選んでいた夏。



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もう終わったのだ。



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カップから立ち上る湯気を見ながら歩く。



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不思議と悪くない。



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そのまま「人生の交差点」へ向かった。



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カラン。



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「こんばんは」



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マスターが言う。



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「こんばんは」



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いつものやり取り。



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席に座る。



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グラスが置かれる。



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店内にはまだ誰もいない。



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静かな夜だった。



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あすかは持っていた文庫本を開く。



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数日前に買った本。



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少しずつ読んでいる。



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以前好きだった感覚を、


思い出すように。



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ページをめくる。



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文章を追う。



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物語に入り込む。



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そんな時間が、久しぶりだった。



---


カラン。



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扉が開く。



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あすかは顔を上げる。



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朝比奈だった。



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そして自分が自然に顔を上げたことに気づく。



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意識したわけではない。



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ただ反応した。



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朝比奈は軽く会釈する。



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「こんばんは」



---


「こんばんは」



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あすかも返す。



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それだけ。



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しかし以前より言葉が自然だった。



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朝比奈は席につく。



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マスターがグラスを置く。



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静かな時間が始まる。



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しばらくして朝比奈が本に気づいた。



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「読書ですか」



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短い言葉。



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あすかは本を閉じる。



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「はい」



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「面白いですか」



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少し考える。



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「まだ途中ですけど」



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それだけ答える。



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朝比奈は小さくうなずく。



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「途中の本っていいですよね」



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あすかは少し首を傾げる。



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「そうですか?」



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「結末がまだ分からないので」



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朝比奈は静かに言った。



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「終わった話より好きです」



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その言葉に、


あすかは少しだけ考え込む。



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終わった話。



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その言葉が胸のどこかに触れる。



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けれど痛みはない。



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ただ静かな波紋だけが広がる。



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悠真とのことを思い出した。



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思い出したが、


以前ほど重くはない。



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悲しみではない。



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怒りでもない。



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ただ過去だった。



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それが少し不思議だった。



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いつからだろう。



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悠真を思い出しても、


苦しくなくなったのは。



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朝比奈はグラスを持つ。



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マスターは何も言わない。



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店内には穏やかな沈黙だけが流れる。



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あすかは窓の外を見る。



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街路樹が風に揺れている。



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夏は終わった。



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たぶん、もう完全に。



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そして。



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自分の中でも、


何かが終わっているのかもしれない。



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終わったからこそ、


少しずつ新しいものが入ってくる。



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本を読むこと。



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季節を感じること。



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誰かと短い会話をすること。



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そんな当たり前のことが、


少しずつ戻ってきている。



---


夜は静かに更けていく。



---


そしてあすかは、


ようやく前を向き始めていた。



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(第8章 第4話「再会」へ続く)

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