第12話 夏の入口に立つ
季節の入口は、いつも気づかれない。
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ある日ふと、空気が変わっていることに気づく。
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その時にはもう、前の季節は戻らない。
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あすかはそれを、六月の終わりに感じていた。
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六月末。
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春は完全に終わり、街は夏の準備を終えつつあった。
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夜でも湿度が高く、空気が重い。
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「人生の交差点」
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夜。
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扉を開ける。
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カラン。
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マスターは軽くうなずく。
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「もう夏だね」
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あすかは少しだけうなずく。
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「はい」
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それだけだった。
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席に座る。
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グラスが置かれる。
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今日は少しだけ冷たい味だった。
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その冷たさは心地よさではなく、
“距離を保つための温度”に近かった。
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悠真は来ない。
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連絡もない。
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それはもはや説明の必要がない状態になっている。
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マスターは何も言わない。
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ただグラスを拭いている。
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その音が、店の中の静けさを保っている。
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あすかは視線を落とす。
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夏の入口に立つということは、
何かが始まるというより、
何かが終わっていたことに気づくことだった。
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関係はまだ“存在している”ように見える。
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しかし、その実態はもう曖昧だった。
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グラスを飲む。
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味は薄い。
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それでも体はそれを受け入れる。
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やがて店を出る時間になる。
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マスターは軽くうなずく。
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「夏は、少しだけ人を変えるよ」
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あすかは足を止める。
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「変わるんでしょうか」
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マスターは少しだけ考える。
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そして答える。
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「変わるというより、見え方が変わるだけかもしれないね」
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あすかは小さくうなずく。
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外に出る。
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夜の空気は重い。
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でもその重さは、どこか現実的だった。
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駅までの道を歩く。
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人は多い。
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世界は動いている。
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その中で、自分だけが少し遅れているように感じる。
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スマートフォンは鳴らない。
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その沈黙は、もはや違和感ではない。
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電車が来る。
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あすかは乗る。
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扉が閉まる。
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その瞬間、静かに理解する。
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この春は、もう終わっている。
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ただ、それに名前がついていなかっただけだった。
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窓の外に夜が流れる。
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あすかは思う。
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終わりはいつも、
少し遅れて気づかれる。
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そしてその遅れこそが、
人の寂しさなのかもしれない。
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(第7章「新たなる夏」へ続く)




