第7話 名前のない関係
名前がないものほど、扱いは難しい。
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呼び方が決まっていない関係は、
その都度、意味が揺れる。
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あすかはそれを、少しずつ実感していた。
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「選び直す」という言葉から数日。
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悠真との距離は、確かに変わった。
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会う頻度が増えたわけではない。
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むしろ少し抑えられている。
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お互いに慎重だった。
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踏み込みすぎないように。
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でも離れすぎないように。
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その微妙な均衡の中にいた。
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メッセージは以前より丁寧だ。
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けれど、どこか探り合いでもある。
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『今度の休み、どうする?』
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『無理してない?』
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そんな言葉が増えた。
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気遣いは増えたのに、
安心はまだ増えない。
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「人生の交差点」
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夜。
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あすかはいつもの席に座っていた。
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カラン。
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扉が開く。
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マスターは一度だけ目を上げる。
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「不思議な顔してるね」
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あすかは少し笑う。
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「どんなですか」
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「近いのに遠い顔」
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その言葉に、少しだけ息が詰まる。
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図星だった。
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悠真はまだ来ていない。
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でも今日は遅れて来ると連絡があった。
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それだけで少し救われている自分がいる。
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待つことに理由があると、
不安は少しだけ軽くなる。
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扉が開く。
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カラン。
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悠真が入ってくる。
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「遅れてごめん」
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「大丈夫です」
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自然なやり取り。
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でも、まだ完全に自然ではない。
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座る。
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沈黙。
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以前のような鋭い沈黙ではない。
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ただの“間”に近い。
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悠真が言う。
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「この前の話なんだけど」
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あすかは顔を上げる。
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「うん」
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「名前、決めた方がいいのかなって思って」
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あすかは少し固まる。
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名前。
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関係の呼び方。
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恋人。
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友達。
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曖昧なまま。
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そのどれでもない状態。
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あすかはすぐに答えられない。
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悠真は続ける。
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「ちゃんとした方が安心するのかもしれないし」
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でも、
そこで言葉が止まる。
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安心。
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そのための名前。
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でも名前をつけた瞬間に、
壊れるものもある気がした。
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あすかはゆっくり言う。
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「私は……まだ分からないです」
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正直な言葉だった。
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悠真はうなずく。
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「俺も」
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少しだけ笑う。
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「分からないまま、ここまで来てるしな」
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その笑いは軽かった。
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でもどこか現実的だった。
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マスターは何も言わない。
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ただ静かにグラスを拭いている。
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それが答えのようにも見えた。
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帰り道。
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二人は並んで歩く。
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距離は近い。
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でも名前はまだない。
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それが少し不思議だった。
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悠真が言う。
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「名前ってさ」
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あすかは顔を向ける。
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「必要なのかな」
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あすかは少し考える。
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そして言う。
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「必要かどうかは分からないです」
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「でも、あったら楽になる気もします」
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悠真はうなずく。
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「だよな」
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駅が見える。
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別れ際。
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以前よりも自然に手を振る。
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でも言葉は少ない。
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まだ決まっていない関係だからだ。
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あすかは思う。
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名前がない関係は、
自由でもあり、不安でもある。
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どちらにも振れる。
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どちらにも落ちる。
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その途中にいる。
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改札を抜ける悠真の背中を見ながら、
あすかは静かに息を吐く。
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この関係はまだ途中だ。
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終わっていない。
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でも完成もしていない。
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ただ、
選び直したばかりの未完成だった。
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秋の夜は静かに深くなる。
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そして二人の関係は、
名前のないまま続いていく。
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第4章 第8話「揺れる確信」へ続く




