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あすかの幸せについて  作者: こうた
第3章 何より暑い夏

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第12話 選べない距離

選べないということは、まだ終わっていないということでもある。



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あすかはそれを、頭では理解していた。



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でも心は追いつかなかった。



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あの夜から三日。



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悠真からの連絡は少なかった。



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完全に途切れたわけではない。



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でも、


以前のような自然さはなかった。



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『お疲れ』



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『暑いね』



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それだけの短い言葉。



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その間に沈黙が挟まる。



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その沈黙が怖い。



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あすかはスマートフォンを見つめる時間が増えた。



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何か送ればいいのかもしれない。



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でも送れない。



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何を送ればいいのか分からない。



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「人生の交差点」



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その夜も店に来ていた。



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カラン。



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扉を開ける。



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マスターは一瞬だけこちらを見て、


すぐに目を細めた。



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「今日は決めに来た顔だね」



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あすかは小さく笑う。



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「そんな顔してます?」



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「してる」



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席に座る。



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グラスが置かれる。



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いつもより少しだけ冷たく感じた。



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店内は静かだった。



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客は少ない。



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音楽だけが流れている。



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悠真はまだ来ていない。



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あすかはその時間を、


ただ待つことにした。



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逃げないために。



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扉が開く。



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カラン。



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悠真だった。



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目が合う。



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少しだけ間がある。



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「こんばんは」



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「こんばんは」



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いつも通りの挨拶。



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でも、


その“いつも通り”がもう壊れかけているのが分かる。



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座る。



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沈黙。



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会話が始まらない。



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どちらも、


何を言えばいいか分かっていない。



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やがて悠真が言う。



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「少し考えたんだけど」



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あすかの心臓が跳ねる。



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来た。



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そう思った。



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「うん」



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悠真は少し息を吸う。



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「今のままだと、多分うまくいかない気がする」



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その言葉は静かだった。



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でも逃げ場がなかった。



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あすかは黙る。



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「嫌いとかじゃない」



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悠真は続ける。



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「むしろ逆で」



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その言葉に胸が痛む。



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逆。



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それは分かっている。



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でも逆だからこそ難しい。



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「どうすればいいのか、分からなくて」



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また同じ言葉。



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分からない。



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その繰り返し。



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あすかはようやく口を開く。



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「私もです」



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声が少し震える。



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「近づきたいのに」



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言葉を探す。



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「近づくほど怖くて」



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悠真は静かに聞いている。



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否定もしない。



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肯定もしない。



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ただ受け止めている。



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それが余計に苦しい。



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あすかは続ける。



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「でも、このまま離れるのも嫌で」



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そこで言葉が止まる。



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本音だった。



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全部。



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悠真はしばらく黙る。



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そして言う。



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「じゃあさ」



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あすかは顔を上げる。



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「少しだけ距離、置いてみる?」



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その言葉は優しかった。



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でも残酷だった。



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距離を置く。



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それは“続けるため”なのか、


“終わる準備”なのか分からない。



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あすかはすぐに答えられない。



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頭の中が真っ白になる。



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悠真は慌てて続ける。



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「別に終わりたいわけじゃない」



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「ただ、今のままだと苦しいから」



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その言葉は本音だった。



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分かる。



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分かってしまう。



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だからこそ辛い。



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マスターは何も言わない。



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ただ静かにグラスを拭いている。



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その沈黙の中で、


決断だけが浮かび上がる。



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あすかはゆっくり息を吸う。



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そして小さく言う。



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「……分かりました」



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その一言で、


何かが静かに変わった。



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終わりではない。



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でも、


同じ場所にもいられない。



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帰り道。



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駅までの道はやけに長く感じた。



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会話は少ない。



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必要最低限だけ。



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改札前。



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悠真が立ち止まる。



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「じゃあ、また」



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その言葉は今までと同じなのに、


意味だけが変わっていた。



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あすかはうなずく。



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「……はい」



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声が小さい。



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悠真は少しだけ笑う。



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でもその笑顔は、


いつもより遠かった。



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改札を抜ける背中。



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あすかは見送る。



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動けなかった。



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選べなかった。



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距離を縮めることも、


手放すことも。



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ただ立ち尽くすしかなかった。



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夜風が吹く。



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夏の終わりの匂いが混ざっている。



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季節は進んでいる。



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でもあすかの時間だけが、


その場に置き去りにされたようだった。



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恋は選ぶものだと誰かが言っていた。



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でも今は分かる。



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選べないまま進んでしまう恋もあるのだと。



---


そしてその先に、


答えがあるのかどうかも分からないまま、


人は歩き続けるしかない。



---


第3章 第13話「残された夏」へ続く

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