第13話 残された夏
夏は終わるのに、気持ちは終わらない。
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それが一番厄介だった。
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距離を置くことになってから、一週間。
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あすかの日常は静かになった。
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静かすぎる、と言った方が近い。
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スマートフォンは鳴らない。
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「お疲れ」
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「暑いね」
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その短い言葉さえ来ない。
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最初は落ち着くと思った。
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考えなくていい。
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揺れなくていい。
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でも現実は逆だった。
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考える時間が増えただけだった。
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会社では普通に過ごせる。
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仕事もこなせる。
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けれど、
帰り道と夜だけが長い。
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「人生の交差点」
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あすかは一度だけ店に行った。
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カラン。
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扉を開ける。
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マスターは驚いた様子もなく、
ただ一度うなずいた。
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「来ると思ってた」
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その言葉に少しだけ救われる。
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席に座る。
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グラスが置かれる。
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悠真はいない。
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それが分かっていても、
少しだけ期待していた自分に気づく。
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マスターは何も聞かない。
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ただ静かに言う。
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「選んだんだね」
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あすかはうつむく。
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「選んだというか……選べなかっただけです」
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マスターは少しだけ笑う。
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「それも選択だよ」
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その言葉が胸に残る。
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選べなかったことも、選んだこと。
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どちらでも同じ結果になることがある。
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夜。
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店を出る。
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一人の帰り道。
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風が少し冷たい。
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夏の熱は確実に薄れていた。
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空気が変わっている。
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季節だけが進んでいく。
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悠真とは会っていない。
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連絡もない。
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終わったのかどうかも分からない。
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ただ“止まっている”。
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それが一番苦しい。
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始まりよりも、
終わりよりも。
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数日後。
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会社の帰り。
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駅のホーム。
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人が行き交う。
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電車を待ちながら、
あすかは無意識に視線を動かしていた。
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いないと分かっているのに。
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その時だった。
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改札の向こう。
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見覚えのある背中。
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一瞬だけ息が止まる。
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悠真だった。
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あすかは動けない。
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距離はある。
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声も届かない。
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ただ見えるだけ。
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悠真は誰かと電話をしているようだった。
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少し笑っている。
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その顔は、
あすかが好きだった顔だった。
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胸が締め付けられる。
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でも同時に安心もする。
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変わっていない。
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何も消えていない。
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ただ、
今は届かないだけ。
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悠真がふと顔を上げる。
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目が合う。
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一瞬。
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ほんの一瞬。
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そして。
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視線が外れる。
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それだけだった。
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あすかは動けなかった。
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声も出せない。
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電車が来る。
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ドアが開く。
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人が流れる。
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あすかはそのまま乗り込む。
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扉が閉まる。
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電車が動き出す。
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窓の向こうに、
遠ざかるホーム。
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悠真の姿はもう見えない。
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それでも、
確かにそこにいた。
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残された夏。
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それは終わった夏ではなく、
終わらなかった夏だった。
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あすかは窓に映る自分を見る。
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少しだけ大人びた顔。
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少しだけ疲れた目。
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でも完全には終わっていない目。
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恋は終わる時、
はっきり終わるとは限らない。
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ゆっくり薄れていくものもある。
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そしてその途中が、
一番苦しい。
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電車は走り続ける。
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外の景色が流れていく。
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あすかは思う。
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この夏は、
何かを失った夏ではない。
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何かを知ってしまった夏だった。
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そしてそれは、
もう戻れない種類のものだった。
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それでも。
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まだ終わりではない。
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終わっていないからこそ、
残っている。
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その事実だけが、
かすかにあすかを支えていた。
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電車の揺れの中で、
あすかは静かに目を閉じる。
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夏は終わる。
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でも気持ちは、
まだ終わらないままそこにある。
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そして物語は、
静かに次の季節へ向かい始めていた。
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第4章 寂しさを思い出す秋へ続く




