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あすかの幸せについて  作者: こうた
第3章 何より暑い夏

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第13話 残された夏

夏は終わるのに、気持ちは終わらない。



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それが一番厄介だった。



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距離を置くことになってから、一週間。



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あすかの日常は静かになった。



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静かすぎる、と言った方が近い。



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スマートフォンは鳴らない。



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「お疲れ」



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「暑いね」



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その短い言葉さえ来ない。



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最初は落ち着くと思った。



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考えなくていい。



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揺れなくていい。



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でも現実は逆だった。



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考える時間が増えただけだった。



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会社では普通に過ごせる。



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仕事もこなせる。



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けれど、


帰り道と夜だけが長い。



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「人生の交差点」



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あすかは一度だけ店に行った。



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カラン。



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扉を開ける。



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マスターは驚いた様子もなく、


ただ一度うなずいた。



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「来ると思ってた」



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その言葉に少しだけ救われる。



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席に座る。



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グラスが置かれる。



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悠真はいない。



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それが分かっていても、


少しだけ期待していた自分に気づく。



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マスターは何も聞かない。



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ただ静かに言う。



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「選んだんだね」



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あすかはうつむく。



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「選んだというか……選べなかっただけです」



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マスターは少しだけ笑う。



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「それも選択だよ」



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その言葉が胸に残る。



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選べなかったことも、選んだこと。



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どちらでも同じ結果になることがある。



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夜。



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店を出る。



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一人の帰り道。



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風が少し冷たい。



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夏の熱は確実に薄れていた。



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空気が変わっている。



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季節だけが進んでいく。



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悠真とは会っていない。



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連絡もない。



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終わったのかどうかも分からない。



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ただ“止まっている”。



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それが一番苦しい。



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始まりよりも、


終わりよりも。



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数日後。



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会社の帰り。



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駅のホーム。



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人が行き交う。



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電車を待ちながら、


あすかは無意識に視線を動かしていた。



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いないと分かっているのに。



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その時だった。



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改札の向こう。



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見覚えのある背中。



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一瞬だけ息が止まる。



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悠真だった。



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あすかは動けない。



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距離はある。



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声も届かない。



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ただ見えるだけ。



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悠真は誰かと電話をしているようだった。



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少し笑っている。



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その顔は、


あすかが好きだった顔だった。



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胸が締め付けられる。



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でも同時に安心もする。



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変わっていない。



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何も消えていない。



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ただ、


今は届かないだけ。



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悠真がふと顔を上げる。



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目が合う。



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一瞬。



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ほんの一瞬。



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そして。



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視線が外れる。



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それだけだった。



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あすかは動けなかった。



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声も出せない。



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電車が来る。



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ドアが開く。



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人が流れる。



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あすかはそのまま乗り込む。



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扉が閉まる。



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電車が動き出す。



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窓の向こうに、


遠ざかるホーム。



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悠真の姿はもう見えない。



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それでも、


確かにそこにいた。



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残された夏。



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それは終わった夏ではなく、


終わらなかった夏だった。



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あすかは窓に映る自分を見る。



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少しだけ大人びた顔。



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少しだけ疲れた目。



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でも完全には終わっていない目。



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恋は終わる時、


はっきり終わるとは限らない。



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ゆっくり薄れていくものもある。



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そしてその途中が、


一番苦しい。



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電車は走り続ける。



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外の景色が流れていく。



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あすかは思う。



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この夏は、


何かを失った夏ではない。



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何かを知ってしまった夏だった。



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そしてそれは、


もう戻れない種類のものだった。



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それでも。



---


まだ終わりではない。



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終わっていないからこそ、


残っている。



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その事実だけが、


かすかにあすかを支えていた。



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電車の揺れの中で、


あすかは静かに目を閉じる。



---


夏は終わる。



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でも気持ちは、


まだ終わらないままそこにある。



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そして物語は、


静かに次の季節へ向かい始めていた。



---


第4章 寂しさを思い出す秋へ続く

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