第10話 揺れる距離
距離は、縮まるほど不安定になる。
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近いからこそ、
少しのズレが大きく感じられる。
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八月下旬。
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夏の終わりが少しだけ見え始めた頃。
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それでも暑さはまだ強かった。
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あすかは仕事帰りにスマートフォンを見ていた。
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悠真からの連絡はない。
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いつもなら気にならない。
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少し前までの自分なら。
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でも今は違う。
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既読も未読も、
意味を持ってしまう。
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自分でも面倒だと思う。
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それでも止められない。
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「人生の交差点」
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扉を開ける。
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カラン。
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「いらっしゃい」
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マスターはすぐに気づいた。
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「今日は不安そうだね」
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まただ。
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何も言っていないのに見抜かれる。
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あすかは小さく息を吐く。
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「そんな顔してます?」
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「してる」
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即答。
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席に座る。
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グラスが置かれる。
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少しだけ苦味のある味だった。
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今の気持ちに似ている気がした。
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悠真はまだ来ていない。
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最近、
こういう日が増えていた。
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会える日と、
会えない日。
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その差が気になるようになった。
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扉が開く。
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カラン。
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悠真だった。
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「遅れた」
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少し息を切らしている。
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「大丈夫です」
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あすかは笑顔を作る。
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でもどこかぎこちない。
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悠真はすぐに気づいたようだった。
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「なんか怒ってる?」
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その言葉に驚く。
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「怒ってないです」
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即答する。
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でも本当は少し違った。
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怒っているのではない。
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不安だった。
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理由の分からない不安。
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会えない時間。
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連絡の間隔。
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小さな変化。
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それだけで心が揺れる。
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恋はこんなに不安定だっただろうか。
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それとも、
相手が特別だからなのか。
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会話は始まる。
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でも今日はどこか噛み合わない。
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いつもなら自然に流れる言葉が、
少しだけ止まる。
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悠真が言う。
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「最近さ」
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あすかは顔を上げる。
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「仕事ちょっと忙しくて」
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「そうなんですね」
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それだけの話。
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でもあすかは安心できなかった。
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忙しい。
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その言葉の裏に、
距離がある気がした。
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勝手な想像だと分かっている。
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それでも止められない。
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沈黙が増える。
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店の音楽だけが流れている。
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マスターは何も言わない。
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ただ静かに見ている。
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帰り道。
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駅へ向かう。
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夜風は少し涼しい。
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それが余計に寂しく感じる。
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あすかは何度も話しかけようとして、
やめる。
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悠真もいつもより静かだった。
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「今日、なんかあった?」
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悠真が言う。
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あすかは少し驚く。
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「いえ」
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即答する。
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でも違う。
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何もないわけじゃない。
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ただ、
説明できないだけ。
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悠真は少しだけ考える。
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そして言う。
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「俺さ」
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あすかの心臓が少し速くなる。
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「ちょっと距離近すぎるのかなって思う時ある」
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その言葉に空気が止まる。
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あすかは言葉を失う。
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距離。
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その単語が胸に刺さる。
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「そう思わせてたなら、ごめん」
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悠真は続ける。
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落ち着いた声だった。
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責めるわけでもない。
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ただの事実のように。
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あすかは必死に考える。
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違う。
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違うと言いたい。
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でも何が違うのか分からない。
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近づきたいと思っていた。
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でも近づくことが怖かった。
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その結果、
中途半端な距離になっていたのかもしれない。
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「私は……」
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声が震える。
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でも続かない。
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悠真は静かに待っている。
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その優しさが苦しい。
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やがて悠真は笑う。
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少しだけ。
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「まあ、悪い意味じゃないから」
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その言葉が余計に刺さる。
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悪い意味じゃない。
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つまり、
良い意味でもない。
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曖昧な距離。
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今の二人そのものだった。
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駅に着く。
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改札前。
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別れの時間。
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いつもなら自然に言える「また」
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それすら言いにくい。
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悠真が言う。
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「また連絡する」
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あすかはうなずく。
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でも声が出ない。
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悠真は改札へ向かう。
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途中で一度だけ振り返る。
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軽く手を上げる。
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あすかも小さく返す。
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それだけ。
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それだけなのに、
胸が痛い。
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距離は縮まるほど揺れる。
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そして今、
その揺れが限界に近づいている気がした。
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夜の駅。
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人が流れていく。
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あすかはその場から動けなかった。
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何かが崩れる前の、
静かな予兆のような時間だった。
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第3章 第11話「言えなかった答え」へ続く




