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あすかの幸せについて  作者: こうた
第3章 何より暑い夏

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第9話 伝えられない言葉

言葉は、心の中にある時がいちばん綺麗だ。



---


口にした瞬間、


少しだけ形が崩れる。



---


そして時には、


戻れなくなる。



---


八月中旬。



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夏はさらに深くなっていた。



---


朝から強い日差し。



---


アスファルトは熱を持ち、


空気が揺れている。



---


あすかは駅へ向かう途中、


何度も深呼吸をしていた。



---


今日は悠真に会う日だった。



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ただ会うだけ。



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それだけなのに緊張している。



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理由は分かっていた。



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伝えたいことが、


少しずつ形を持ち始めていたからだ。



---


「好き」



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その二文字。



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頭の中では何度も言っている。



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でも声にはならない。



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言ってしまったら、


今の関係が壊れる気がする。



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壊したくない。



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でも進みたい。



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その矛盾がずっと胸の中にある。



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「人生の交差点」



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扉を開ける。



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カラン。



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「いらっしゃい」



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マスターはすぐに気づいた。



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「今日はいつもより静かだね」



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「そうですか?」



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「うん」



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あすかは苦笑する。



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隠しているつもりなのに、


全部見えてしまう。



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グラスが置かれる。



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悠真はまだ来ていない。



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それだけで少し落ち着かない。



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最近、


この“待つ時間”が増えた。



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それは悪いことではない。



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でも、


心が先に動いてしまう。



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扉が開く。



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カラン。



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悠真だった。



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「遅れた」



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「いえ、大丈夫です」



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自然なやり取り。



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でもあすかの心は少しだけ騒いでいた。



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今日は言う。



---


そう決めていた。



---


好きだと。



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何度も心の中で繰り返した。



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でも実際に向き合うと、


言葉は喉で止まる。



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会話が始まる。



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仕事の話。



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最近の出来事。



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いつも通りの時間。



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その中で、


あすかはずっとタイミングを探していた。



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でも見つからない。



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普通の会話の中に、


告白を挟む隙間はない。



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時間が過ぎる。



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店の客は減っていく。



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夜が深くなる。



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そして帰る時間が近づく。



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あすかの心臓が速くなる。



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今しかない。



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そう思う。



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でも。



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言えない。



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悠真がグラスを置く。



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「今日は少し疲れた」



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その言葉に少しだけ間ができる。



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あすかは顔を上げる。



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「大丈夫ですか?」



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「うん」



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少し笑う。



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「でもこういう場所来ると落ち着く」



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その言葉が嬉しい。



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同時に苦しい。



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この時間が続けばいいと思ってしまう。



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でも続けるには、


何かを変えなければいけない。



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店の外ではなく、


もっと近い場所へ。



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それを自分は望んでいる。



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帰り際。



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駅へ向かう道。



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夜風は少しだけ涼しい。



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あすかは何度も口を開きかけて、


やめる。



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その繰り返し。



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悠真が気づく。



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「今日、なんか言いたそうだね」



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その一言で心臓が跳ねる。



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「え?」



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「いや、ずっと何か考えてる顔してる」



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見抜かれている。



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全部。



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あすかは立ち止まる。



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今しかない。



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今なら言える。



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でも。



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怖い。



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息を吸う。



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吐く。



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そして。



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言葉を出そうとした瞬間。



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「悠真さん」



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声がかすれる。



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その先が続かない。



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沈黙。



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夜の音だけが流れる。



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虫の声。



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遠くの車。



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そして自分の心臓の音。



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悠真は待っている。



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何も言わずに。



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その優しさが、


余計に苦しい。



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あすかは目を伏せる。



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そして言う。



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「なんでもないです」



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その瞬間。



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心の中で何かが崩れた。



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言えなかった。



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また。



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悠真は少しだけ笑う。



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「そっか」



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それだけ。



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追及しない。



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その優しさが痛い。



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駅が見える。



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別れの時間。



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いつも通り。



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でも今日は違った。



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自分だけが、


何かを置き去りにした気がする。



---


悠真が言う。



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「また明日」



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「はい」



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声が小さい。



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改札へ向かう背中。



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あすかは見送る。



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そして思う。



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伝えられない言葉は、


消えない。



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ずっと残る。



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心の中に沈んでいく。



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好き。



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その二文字は、


今日も言えなかった。



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そしてそれは、


明日もきっと同じだと思った。



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夏はまだ続いている。



---


けれど、


この夏のどこかで、


何かが決定的に変わろうとしていた。



---


あすかはまだそれに気づいていない。



---


ただ、


戻れない場所へ一歩ずつ進んでいるだけだった。



---


第3章 第10話「揺れる距離」へ続く

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