第1話 変わらない朝
人は関係に名前をつけたあと、
すぐに何かが劇的に変わると思いがちだ。
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でも実際は違う。
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世界は、ほとんど変わらない。
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三月下旬。
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春の気配がようやく街に混ざり始めていた。
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あすかは朝、
いつも通りの時間に目を覚ます。
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変わらない部屋。
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変わらない静けさ。
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ただひとつ違うのは、
スマートフォンの通知だ。
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> 「おはよう」
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朝比奈からの短いメッセージ。
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あすかはそれを見て、
少しだけ息を吐く。
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自然に、笑っている自分に気づく。
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> 「おはようございます」
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返す。
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それだけで一日が少し整う。
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昼。
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仕事はいつも通り。
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「人生の交差点」。
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カラン。
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扉が開く。
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あすかは反射的に顔を上げる。
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朝比奈だった。
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もう驚かない。
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ただ、少しだけ嬉しい。
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「こんにちは」
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「こんにちは」
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そのやり取りが、
もう“関係の確認”ではなくなっている。
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当たり前になっていた。
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朝比奈は席に座る。
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あすかはグラスを置く。
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何も特別なことはない。
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でも、
その何もなさが心地いい。
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朝比奈が言う。
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「昨日、少し考えてたんですけど」
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あすかは顔を上げる。
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「何をですか」
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朝比奈は少し笑う。
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「このままでいいのかなって」
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あすかは一瞬だけ止まる。
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でもすぐに理解する。
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不安ではない。
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確認だ。
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関係の確認。
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あすかは少し考えてから言う。
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「私は、このままでいいと思います」
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朝比奈は少し驚く。
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そして、安心したように笑う。
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「僕もです」
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沈黙。
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でもその沈黙は、
以前とは違う。
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“成立した関係の静けさ”だった。
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夜。
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閉店後。
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あすかはカウンターに座る。
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朝比奈もいる。
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もう「お客」ではない。
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ただ、隣にいる人だ。
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朝比奈が言う。
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「不思議ですね」
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あすかは首を傾げる。
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「何がですか」
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「特別なことはしてないのに」
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「ああ、でも…」
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朝比奈は少し言葉を探す。
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「安心してる」
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その言葉に、
あすかは静かにうなずく。
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自分も同じだった。
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何も劇的なことは起きない。
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喧嘩もない。
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ドラマもない。
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でも、
それでいい気がしていた。
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あすかは思う。
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恋愛は、
始まる瞬間よりも、
始まった“後”のほうが難しい。
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でも今は、
怖くない。
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朝比奈が立ち上がる。
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「そろそろ帰ります」
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あすかはうなずく。
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「はい」
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そして少しだけ間を置く。
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「また明日」
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朝比奈は少し笑う。
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「はい。また明日」
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扉が閉まる。
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カラン。
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音が消えたあと、
あすかはひとり残る。
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静か。
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でも孤独ではない。
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あすかは思う。
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私は今、
ちゃんと“選んだ側”にいる。
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そして、
それは思っていたよりずっと静かなことだった。
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(第13章 第2話へ続く)




