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あすかの幸せについて  作者: こうた
第12章 名前を与える日

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第10話 名前を与える日

人は関係に名前を与えることで、


ようやくそれを「現実」として受け取る。



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曖昧なままでも生きていける。



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でも、


名前を与えた瞬間から、


それは戻れない場所になる。



---


三月中旬。



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春の気配が少しだけ強くなっていた。



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「人生の交差点」。



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いつものようで、


いつもと違う夜。



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あすかはカウンターの中に立っている。



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しかし今日は仕事ではない。



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営業時間は終わっている。



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照明も少し落ちている。



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静かな店内。



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朝比奈が向かいに座っている。



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二人とも、


少しだけぎこちない。



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でもそれは嫌な緊張ではなかった。



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朝比奈が小さく笑う。



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「まだ慣れないですね」



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あすかも笑う。



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「私もです」



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“付き合う”という言葉。



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それはたった一日で、


世界を大きく変える。



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でも生活は急には変わらない。



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距離も。



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会話も。



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沈黙も。



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ただ意味が変わる。



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朝比奈が言う。



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「ちゃんと、嬉しいです」



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あすかは少しだけうつむく。



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そして正直に言う。



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「私も、少し怖いです」



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朝比奈は驚かない。



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むしろうなずく。



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「分かります」



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その一言が、


安心を生む。



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沈黙。



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でもその沈黙は、


もう以前のものではない。



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二人は同じ方向を向いている沈黙だった。



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あすかは思う。



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私はこの人と、


ちゃんと向き合うことにしたのだ。



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逃げるのではなく。



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曖昧にするのでもなく。



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選んだのだ。



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朝比奈がグラスに触れる。



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「これからも、ここに来ていいですか」



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あすかは迷わない。



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「来てください」



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即答だった。



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朝比奈は少しだけ目を細める。



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「ありがとうございます」



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そのやり取りだけで、


関係が静かに固定されていく。



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でもそれは窮屈ではなかった。



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むしろ自由に近かった。



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なぜなら、


隠す必要がなくなったからだ。



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夜が更ける。



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朝比奈が立ち上がる。



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「今日はありがとうございました」



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あすかは首を横に振る。



---


「こちらこそ」



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そして少し間を置いてから言う。



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「来てくれて、嬉しかったです」



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その言葉に、


朝比奈は一瞬だけ固まる。



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そして、


本当に嬉しそうに笑う。



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「それは、すごく嬉しいです」



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カラン。



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扉が閉まる。



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あすかは一人残る。



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静かな店内。



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でも孤独ではない。



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胸の奥に、


確かなものがある。



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名前を持った関係。



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それはもう曖昧ではない。



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恋人。



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その二文字が、


静かに現実になる。



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あすかはグラスを見つめる。



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思う。



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ここまで来るのに、


長い時間があった。



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喪失も。



---


孤独も。



---


再生も。



---


そして今。



---


選んだ未来がここにある。



---


あすかは小さく息を吐く。



---


そして、


心の中で静かに言う。



---


これは、私の幸せの始まりかもしれない。



---


(第13章へ続く)

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