第8話 告白前夜
言葉にしないまま積み重なったものは、
ある日、急に重さを持つ。
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それは突然ではなく、
ずっと前からそこにあったものが、
形を持つ瞬間だった。
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二月下旬。
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夜はまだ冷たい。
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「人生の交差点」。
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閉店後。
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あすかはカウンターの中を片付けていた。
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グラスを洗う音だけが響く。
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朝比奈はまだ席に残っている。
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珍しく、すぐには帰らなかった。
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あすかは気づいている。
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今日の空気が少し違うことに。
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言葉が少ないわけではない。
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むしろ、
必要以上に静かだった。
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朝比奈がグラスを見つめながら言う。
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「最近、思うことがあって」
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あすかの手が止まる。
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「はい」
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朝比奈は少し間を置く。
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そして続ける。
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「このままじゃいけない気がしてます」
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あすかは顔を上げる。
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その言葉の意味を、
すぐには理解しない。
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でも、
胸の奥が少しだけ反応する。
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朝比奈は続ける。
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「曖昧なままじゃなくて」
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「ちゃんと向き合いたいというか」
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言葉は慎重だった。
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でも意志ははっきりしていた。
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あすかは静かに聞いている。
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分かってしまう。
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これは関係の話だ。
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二人の関係の話だ。
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沈黙。
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店の時計の音だけが響く。
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朝比奈が言う。
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「来週、時間をもらえませんか」
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あすかは一瞬だけ息を止める。
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そして、
ゆっくりうなずく。
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「はい」
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それだけだった。
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でも十分だった。
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朝比奈は少しだけ安心したように笑う。
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「ありがとうございます」
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その笑顔を見て、
あすかは思う。
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これは終わりではない。
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むしろ、
始まりに近い。
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カラン。
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扉が閉まる。
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朝比奈が帰った後、
店には静けさが戻る。
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あすかはグラスを置く。
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手が少しだけ震えていることに気づく。
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怖いわけではない。
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ただ、
分かってしまったからだ。
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このままではいられない。
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何かが変わる。
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良くなるのか、
壊れるのかは分からない。
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それでも。
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逃げる気はなかった。
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あすかは小さく息を吐く。
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窓の外には、
冬の終わりの気配があった。
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春はまだ遠い。
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でも、
確かに近づいている。
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その夜、
あすかはなかなか眠れなかった。
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何度も思い返す。
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朝比奈の言葉。
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「このままじゃいけない」
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それは責める言葉ではなかった。
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でも、
前へ進もうとする意思だった。
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そしてあすかもまた、
同じ場所に立っていることを知っていた。
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私はこの人が好きだ。
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それはもう確信だった。
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あとは言うだけだった。
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ただそれだけなのに、
世界は少しだけ重く感じる。
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あすかは目を閉じる。
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明日ではない。
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その次の日でもない。
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たぶん、
もうすぐ。
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二人の関係は、
言葉を必要とする場所へ向かっている。
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そしてそれは、
避けられない。
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(第12章 第9話へ続く)




