第7話 あすかの自覚
気づくというのは、いつも少し遅れてやってくる。
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感情は先にあって、
理解はあとから追いつく。
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二月中旬。
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一週間の出張が終わり、
日常は戻っていた。
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「人生の交差点」。
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カラン。
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扉が開く。
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あすかは顔を上げる。
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朝比奈だった。
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その瞬間、
胸の奥が静かに反応する。
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もう驚かない。
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むしろ安心に近い。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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二人の声は、
自然に重なるようになっていた。
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朝比奈は席に座る。
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グラスが置かれる。
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いつもの流れ。
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いつもの時間。
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でも今日は違う。
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あすかは、
自分の中にある感情を見てしまっていた。
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一週間の不在。
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戻ってきた瞬間の安心。
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「おかえりなさい」と言った自分。
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そのすべてが、
一つの答えになっている。
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私はこの人が好きだ。
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それはもう疑いではなかった。
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事実に近かった。
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あすかはグラスを拭く手を止める。
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朝比奈がそれに気づく。
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「どうかしましたか」
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あすかは少しだけ間を置く。
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そして、
小さく首を振る。
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「なんでもないです」
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本当は違う。
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でも、
今はまだ言葉にしたくない。
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いや、
正確には違う。
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言葉にしたら、
何かが変わってしまいそうだった。
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朝比奈が何かを感じ取ったように、
少しだけ静かになる。
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沈黙。
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しかしその沈黙は、
以前のような曖昧さではない。
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“理解されている沈黙”だった。
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あすかは思う。
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この人といる時間は、
もう安全だ。
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何を言っても壊れない。
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何も言わなくても、
伝わってしまう。
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それは、
少し怖くて、
少し嬉しい。
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朝比奈が言う。
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「最近、少し忙しくて」
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あすかはうなずく。
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「知ってます」
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その一言が出た瞬間、
自分でも少し驚く。
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朝比奈が少し笑う。
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「心配してましたか?」
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あすかは一瞬止まる。
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そして正直に答える。
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「してました」
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その言葉は、
思ったより簡単に出た。
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朝比奈は少しだけ目を見開く。
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そして、
とても柔らかく笑う。
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「嬉しいです」
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その一言で、
胸の奥が静かにほどける。
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あすかは気づく。
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私はもう、
この人のことを“特別な誰か”として見ている。
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友達ではない。
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お客でもない。
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ただの関係でもない。
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もっと曖昧で、
もっと確かなもの。
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朝比奈がグラスを持つ。
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その仕草が、
やけに自然に見える。
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あすかは思う。
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この人といるときの自分は、
少しだけ素直だ。
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無理をしていない。
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取り繕っていない。
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それが心地いい。
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そして同時に、
少しだけ怖い。
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なぜなら、
この関係はもう戻れない場所に向かっているから。
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朝比奈が言う。
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「あすかさん」
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その呼び方に、
胸が少し跳ねる。
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あすかは顔を上げる。
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朝比奈は続ける。
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「また今度、ゆっくり話したいです」
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あすかは迷わない。
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「はい」
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即答だった。
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その瞬間、
二人の間にあった最後の曖昧さが、
少しだけ形を持ち始める。
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あすかは思う。
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私はもう、
この人を失いたくない。
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それは恋だと、
認めていい気がしていた。
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でもまだ言葉にはしない。
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今は、
このままでいい。
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そう思えること自体が、
答えなのかもしれなかった。
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(第12章 第8話へ続く)




