第9話 言いかけた言葉
人は本当に大切なことほど、
簡単には口にできない。
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言葉になりかけて、
消えていく。
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その繰り返しの先に、
ようやく本音がある。
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十二月三十日。
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今年も残りわずかになっていた。
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「人生の交差点」。
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カラン。
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扉が開く。
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あすかは顔を上げる。
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朝比奈だった。
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その姿を見た瞬間、
胸の奥が少しだけ軽くなる。
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最近では、
それが自然になっていた。
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「こんばんは」
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「こんばんは」
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短い挨拶。
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しかし、
その一言だけで十分だった。
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朝比奈は席に座る。
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グラスが置かれる。
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店内は静かだった。
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マスターも余計なことは言わない。
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もう何も急かさない。
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二人の時間を、
そのまま置いている。
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朝比奈が言う。
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「もう年末ですね」
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「そうですね」
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「早かったですか?」
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あすかは少し考える。
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今年の前半。
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悠真との別れ。
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空白。
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再生。
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朝比奈との出会い。
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たくさんのことがあった。
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それなのに、
今は不思議と穏やかだった。
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「長かった気もします」
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朝比奈は少し笑う。
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「それ、分かります」
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会話が続く。
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自然に。
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無理なく。
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そして、
途切れたあとも気まずくない。
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沈黙。
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しかしその沈黙は、
以前とはまったく違う。
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安心に近い。
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居場所に近い。
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朝比奈がグラスを見つめながら言う。
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「今年、ここに来て良かったです」
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あすかは顔を上げる。
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朝比奈は続ける。
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「本当にそう思います」
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静かな声だった。
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でも、
そこには確かな感情があった。
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あすかは答えようとして、
少し止まる。
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胸の奥に言葉が浮かぶ。
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「私もです」
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それだけではない。
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もっと別の言葉。
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もっと近い言葉。
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でも、
まだ形にならない。
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朝比奈がこちらを見る。
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目が合う。
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いつもより少し長い。
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その時間の中で、
何かを言いそうになる。
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あすかも同じだった。
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「あの――」
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同時だった。
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二人とも言葉を出しかけて、
止まる。
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一瞬の沈黙。
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そして二人とも少しだけ笑う。
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朝比奈が言う。
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「すみません」
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「いえ」
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あすかも笑う。
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その空気が、
妙に心地いい。
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言えなかった。
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でも、
伝わらなかったわけでもない。
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そんな不思議な感覚。
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やがて時間が過ぎる。
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朝比奈が立ち上がる。
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「今年も、あと少しですね」
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「そうですね」
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「また来ます」
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その言葉に、
あすかは少しだけ安心する。
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自然に出た言葉だった。
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「待ってます」
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言ったあとで、
自分でも少し驚く。
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朝比奈も少し驚いた顔をする。
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そして、
とても穏やかに笑う。
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「ありがとうございます」
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カラン。
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扉が閉まる。
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あすかはその音を聞きながら、
小さく息を吐く。
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今日、
何かを言いかけた。
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そして言えなかった。
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でも不思議と後悔はない。
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きっと、
もう少しだけ先でいい。
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そう思えた。
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なぜなら、
二人とも同じ場所を見ている気がしたからだ。
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名前はまだない。
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でも、
確信だけは静かに育っていた。
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(第11章 第10話へ続く)




