三姉妹!?
別荘を出て、木漏れ日が揺れる森の中の遊歩道を、優花里さんと二人で歩く。
あらためて驚くけれど、この見渡す限りの緑がすべて敷地内だなんて、一般庶民の金銭感覚ではもう計算が追いつかない。
「昔はね、わたしたちは仲の良い三姉妹だったの」
前を歩く優花里さんが、懐かしむように、けれどどこか寂しげに語り始めた。
「優紀子お姉様と、よくここで虫を捕ったり花を摘んだりして遊んだわ。優魅もいつも、わたしたちの後を一生懸命ついてきて……」
「優紀子お姉様も優しくて、優魅ちゃんも可愛かったんですね」
「ええ。優紀子お姉様には勉強でも運動でも、人付き合いでも……わたしは到底、敵わなかったわ。でも、わたしはそういうものだと受け入れていたの。優魅もお姉様に対してはそうだった」
優花里さんは足を止め、大きなクヌギの木を見上げた。
「だから、わたしは敵わないまでも、お姉様に少しでも近づきたくて頑張ったの。……でも、優魅は違ったわ。お姉様に敵わない分、わたしに勝つことでお姉様に近づこうとしたのよ」
「だから、わたしからおもちゃや、友人を奪うことで、わたしに勝とうとしたのね……」
(優秀すぎる姉妹だと、そんなところが複雑なんだな……。競争のベクトルが歪んじゃったっていうか)
「優紀子お姉様は今でも優しいわ。この別荘だって、本当はお姉様のものだったのだけれど、わたしに譲ってくれたのよ」
「……え。いや、譲るっておもちゃや本じゃないんだから! こんなお屋敷を譲るって、規模が違いすぎますよ〜!」
思わず素でツッコんでしまった。お嬢様界の「おさがり」はスケールが違いすぎる。
「譲るって言っても交換だったのだけれど」
「こ、交換って……お、お姉様は、その交換した別荘を持っていらっしゃるんですか?」
「わたしと交換した国内のと、あとは海外に二つ持っているわ。優魅も、国内に一つ持っているし」
「いや! どこの世界の話ですか! 中学生で別荘持ちなんて、アニメの設定でも盛りすぎですよ!」
まあ、目の前の高校生もこれを持ってるわけだけど。
「そこも優魅は気に食わなかったみたいで、ああやって何かあるとわたしに対抗してくるのよ。優紀子お姉様には何も言わないくせに……」
溜息をつく優花里さんの横顔を見て、わたしは彼女の「ヤンデレ」の根源を見た気がした。
これまで優魅ちゃんに奪われ続けていたから、余計に他に渡したくない気持ちが強くなったんだな。
ずっと奪われ続けてきた彼女にとって、ようやく見つけた「自分だけの色彩」であるわたしは、何があっても死守しなければならない存在なのだろう。
森の奥から、冷んやりとした風が吹き抜ける。
優花里さんの独占欲の重さを再確認しつつ、わたしは彼女の細い指をそっと握りしめた。
優花里さんの話を聞きながら敷地内の森を歩き、別荘に戻る頃にはもうお昼前になっていた。
ちょこちょこ立ち止まって景色を眺めたりはしていたけれど、それにしてもどんだけ広いんだよ! 散歩だけでちょっとしたハイキング気分だ。
別荘に入る前に、わたしは彼女に向き直り、素直な気持ちを口にした。
「優花里さん。わたし、またここに来たいです。……優花里さんと一緒に」
優花里さんは驚いたように少しだけ目を見開き、それから花が綻ぶような、本当に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ありがとう、サキ。ここはわたしの場所であると同時に、あなたの場所でもあるから。……ええ、また必ず来ましょうね」
目を細めて微笑む彼女を見て、わたしは心の底からそう思った。
今回は妹さんの襲来という、とんでもない「不測のイベント」が発生してしまったけれど、今度はもっと、本当にゆっくりと二人きりの時間を過ごしに来たい。
別荘に入り、厨房で最後のお昼ごはんを一緒に作った。
(今度ここに来るまでに、わたしも何か一つくらいは得意料理を作れるようにならなきゃなぁ……)
そんなことを考えつつ、出来上がった料理を囲んで、アニメの話や他愛のない世間話をして過ごした。
今日はのんびりとしつつも、これまでにないほど有意義で、濃密な時間が流れている。
綺麗で、凛としていて、何でもできて、少し(……いや、かなり、相当……?)怖いところもある人。
けれど、その内側にある本当の優しさや、今回見せてくれた不器用で脆い部分。
そのすべてを知るたびに、わたしは「この人とずっと一緒にいたい」という思いを強くしていく。
出会った頃には想像もできなかったけれど、この旅はわたしたちの距離を確実に、そして深く縮めてくれた。
その後、お迎えの車が来るまでの間、再びビーチを歩いたり、二人で写真を撮ったりした。
スマホの画面に収まる二人の笑顔。
寄せては返す波の音。
この一分一秒、すべての瞬間を冷凍保存してしまいたくなるほど、大切で愛おしい時間だった。
……けれど、楽しい時間は終わりが来るからこそ、輝くのだ。
別荘の門の向こうから、来た時と同じ車が静かに近づいてくるのが見えた。
車に積み込むために荷物をまとめる。
部屋の入り口まで迎えに来てくれたのは、凛とした佇まいの女性運転手さんだった。
「運びますよ」とわたしが手を差し伸べたけれど、「これも仕事ですから」と柔らかな、けれど拒絶の隙のない笑みで制され、手際よく荷物を運び出されてしまった。
車に乗り込む直前、わたしはふと足を止め、振り返って別荘を眺めた。
初日にここへ着いた時は、鏡子ちゃんにつけられたキスマークの隠蔽工作で頭がいっぱいで、景色を楽しむ余裕なんて一ミリもなかった。
そして二日目は、あの嵐のような優魅さんの襲撃。
結局、心からリラックスしてこの場所を愛でることができたのは、今日だけだったんだな……。
そう気づくと、なんだか可笑しくて苦笑いが漏れた。
(次に来る時は、今度こそ本当にゆっくり羽根を伸ばしに来よう)
そんな決意を胸に、優花里さんとしっかりと手を繋ぎ、後部座席に乗り込んだ。
滑らかに車が走り出し、別荘の白亜の壁が遠ざかっていく。
窓の外を流れる緑を眺めていると、不意に視界が滲んだ。楽しかった、熱を帯びたここでの時間が終わってしまう。頬を伝う一筋の涙。
夏休みも、あともう少しだ。
「……あ」
そこで、わたしは決定的なことを思い出した。
夏休み最後の土日。鏡子ちゃんが、わたしの家に泊まりに来るんだった……!!
(キ、キスマークはもう絶対につけられないように死守しないと。あ、でも今度は同じ部屋に寝るんだったっけ……。で、でも昨日、優魅ちゃんにキスされるところをバッチリ見られちゃったし、少しは「耐性」がついたとか……)
いや、無理だ。
あんなにボロボロになって泣いた優花里さんの姿を思い出す。
耐性がついたどころか、むしろ今まで以上にヤンデレが深化……いや、進化している可能性の方が圧倒的に高い。
(ど、どうしよう……)
「サキ? 手が少し冷たいけれど、体調でも悪いのかしら?」
隣に座る優花里さんが、わたしの手をぎゅっと握り直して覗き込んでくる。
「ひっ!だ、大丈夫、です、よ」
(や、やっぱりわたしの運命は地下室直行便なの……!?)
握り合う優花里さんとの手のひらに、一気に嫌な手汗がじわりと浮かんできた。
とうとう自宅に着いてしまった。
別荘の夢のような、あるいは悪夢のような時間は終わり、現実の我が家の匂いが鼻をくすぐる。
運転手さんが玄関まで手際よく荷物を運んでくれる間、優花里さんも車から降りてきた。
「お邪魔いたします。3日間、サキさんをお連れしまして、申し訳ありませんでした」
「いえいえ、こちらこそ、わざわざ丁寧にありがとうございます。サキがお世話になりました」
母への挨拶は完璧な淑女そのものだったけれど、その隣にいた美嘉に向ける視線が、心なしか鋭い……というか、物理的な重圧を伴っている気がする。
美嘉が、姉の身体にアザ(キスマーク)をつけた犯人だと思い込んでいるからだ。
(……許せ、美嘉。すべては姉の命、もとい自由な生活のためなんだ!)
わたしは心中で、何も知らずに「おー、お姉おかえりー」と呑気に手を振る妹に心の中で手を合わせた。
「それでは、サキ。また夏休み明けに、学校で。RINEもするわね」
最後にそっと握手をした。指先から伝わる彼女の体温は、別荘の夜に感じたものと同じで、少しだけ胸が熱くなる。
優花里さんは名残惜しそうに一度だけこちらを振り返り、車に乗った。
バタン、という重厚なドアの閉まる音。
車が静かに動き出し、ゆっくりと遠ざかっていく。
わたしは、その車体が角を曲がって完全に見えなくなるまで、ずっと、ずっと手を振り続けた。
夕暮れ時の住宅街に、独り取り残されたような寂しさと、それ以上の「これから始まる日常」への恐怖が入り混じる。
「お姉ちゃん、何ボーッとしてるの? ほら、荷物。……あれ、なんか首の絆創膏、位置ずれてない?」
「ひっ!? な、何でもないよ! ほら、中入るよ!」
美嘉の鋭いツッコミをかわしながら家の中へ逃げ込む。
わたしの夏休み、最終決戦(鏡子ちゃんお泊まり会)まで、あと数日――。




