誰が来るの〜?!
ところが、次の瞬間。 彼女の表情からスッと毒気が抜け、驚くほど和らいだものに変わった。
「……あなたたち姉妹は、本当に仲がいいのね。羨ましいわ」
「……え?」
意外すぎる言葉に、思わず拍子抜けしてしまった。
「羨ましい?」と聞き返そうとしたが、それはきっと彼女の家庭……複雑な伊藤家の事情に触れることになる。
わたしはそれ以上、踏み込まないように言葉を飲み込んだ。
ただ、優花里さんはどこか寂しげで、それでいて少しだけ悲しそうな表情を浮かべたまま、実は鏡子ちゃんによって深く刻まれた「裏切りの証」を、まるで宝物に触れるかのような愛おしい手つきで、そっと指先でなぞり続けていた。
「優花里さん」
「なあに、サキ」
「……何か、あるんですか?」
わたしの問いに、優花里さんは少しだけ遠くの水平線を見つめた。
「まあ、色々とね。あなたにも、いつか知っておいてもらわないといけないから……その時が来たら話すわ」
「知っておいてもらわないといけないこと……?」
「そう。わたしとこれからもずっと一緒にいるなら、知ることになるだろうから」
ずっと、一緒に……
まだ先のことは想像もつかないけれど、そうなれたらいいなと心から思う。
わたしは愛おしさを込めて、再び優花里さんをギュッと抱きしめた。
「サキ、一旦、お昼を食べに戻りましょうか」
「はい!」
「お昼はカレーを作ろうと思っているの」
「あ、わたしカレー大好きです!」
「それなら良かったわ。サキも手伝ってね」
「はい!」
わたしたちは「恋人つなぎ」で、真っ白な砂浜を別荘に向かって歩いていった。
別荘へ戻ってから、まずはシャワーとお風呂。
今回は優花里さんが先にキッチンへ向かったので、やっとゆっくりと温泉を堪能することができた。
もう、昼間に入る温泉って、最高すぎる〜!
着替えを済ませて厨房へ向かう頃には、もう「アザ」のことは吹っ切れていた。
どうせ美嘉のせいにしたんだし、と開き直って半袖のTシャツ姿で、首元も堂々と出している。
「サキ、野菜はこれくらいでいいかしら?」
「はい! バッチリです!」
わたしはあくまで「お手伝い」の範囲で調理を進めていると、ふと、調理台の上に置かれた優花里さんのスマホが光るのが見えた。
「優花里さん、スマホ、何か通知が来てるみたいですよ」
「あら、ありがとう」
スマホを受け取り、画面を覗き込んだ優花里さん。
その瞬間、彼女の表情がみるみるうちに険しく、冷たいものへと変貌していった。
(……え? なに? まさか鏡子ちゃん? いや、流石に優花里さんの連絡先も知らないはずだし……)
「サキ、ごめんなさい。ちょっとこのお鍋を見ていて。焦がさないように時々かき混ぜてくれたらいいから」
「あ、はい」
優花里さんはそれだけ言い残すと、険しい顔のまま、何かに取り憑かれたような足取りで廊下へと走り去ってしまった。
カレーの食欲をそそるいい匂いに包まれながら、わたしは一人、お玉で鍋をかき混ぜる。
……今の優花里さんの顔、出会った頃の「風紀委員長」より、もっとずっと怖かった。
一体、誰から、どんな連絡が来たんだろう?
幸せだったビーチの空気は一変し、厨房にはカレーの湯気とともに、不穏な気配が立ち込め始めていた。
「何で来るの!? ここはわたしの別荘でしょ! あなたが来る必要なんてないの!」
廊下の向こうから、優花里さんの鋭い怒鳴り声が聞こえてくる。
あんなに荒々しい彼女の声を聞くのは初めてだった。
何があったんだろう。……いや、たぶん今のわたしが聞いちゃいけない内容なんだ。
複雑な気持ちでカレーをかき混ぜる。けれど、混ぜれば混ぜるほど不安がとろみを持って心にまとわりついてくる。
(……まさか、これで今回の旅行、中止になっちゃうのかな。せっかくさっき海であんなにいい雰囲気で、ずっと一緒だって、そう思えたのに……)
「優花里さん……」
思わず涙が溢れそうになった。
まだ決まったわけじゃない。
わたしの勝手な思い込みかもしれない。
けれど、あの優花里さんの怒りようは、尋常な事態ではないことを物語っていた。
しばらくして、優花里さんが厨房に戻ってきた。
その顔は、隠しきれない不機嫌さと、どこか焦燥感に満ちている。
「あ、あの……優花里さん……」
「……ああ、サキ、ごめんなさいね。驚かせてしまったわね」
彼女は無理に微笑もうとしたが、その表情はどこか痛々しかった。
彼女はわたしの隣に立ち、鍋から立ち上るカレーの湯気を見つめながら、重い口を開いた。
「実はね……」
「はい」
「今朝、私には姉と妹がいるって話したわよね」
「はい……」
優花里さんは、まだ怒りの余韻を瞳に宿したまま、苦々しげに言葉を絞り出した。
「その……妹の優魅がここに来るって言って、もう近くまで来ているそうなの」
「妹さん? 美嘉と同い年の?」
「そう。私は絶対に来ないように言ったのだけれど……サキ、あなたのことをどこかで聞きつけたみたいで。どうしても会いたいって聞かないのよ」
そんなことだったんだ。
けれど、電話でのあの拒絶ぶりを見る限り、ただの「妹が遊びに来る」という微笑ましいレベルの話ではないことは確かだ。
「わたしは構いませんけれど……」
「でも、あの子はあなたに迷惑をかけると思うわ。……わたしにも」
優花里さんの表情は、かつてないほど沈んでいる。
(中3……美嘉と同い年。でも優花里さんとは上手くいってないのかな。伊藤家だし、もしかして、とんでもないツンデレ妹とか? それとも、超絶わがままなお嬢様キャラ……?)
「サキ、ごめんなさいね。あの子はきっとあなたに色々と言うと思うけれど、気にしないようにね。適当に話半分で聞き流しておけばいいから」
「……? わかりました、わたしは大丈夫ですよ」
「サキ」
不意に、優花里さんがわたしの肩を掴んだ。その指先には、微かな震えが混じっている。
「お願い……私から離れていかないでね」
「??? そんなことあるわけないじゃないですかー! わたしは優花里さんが大好きなんですから!」
全力で、本気で答える。
けれど優花里さんは、わたしの言葉に救われたような、それでもどこか予断を許さないような、複雑な顔でわたしの首元を見つめた。
「そう……。でも、油断しないでね」
「油断」って、中学生の女の子に何を油断すればいいんだろう?
カレーの鍋から漂うスパイスの香りが、なぜか今はひどく不穏なものに感じられた。
その時、別荘の重厚な玄関ベルが、静寂を切り裂くように鳴り響いた。
次回優花里さんの妹登場です。
どんな子でしょうか?




