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どうしたの、これは?

 わたしはポロシャツの襟を広げ、自分の胸元を見下ろした。


 そこには依然として、鏡子ちゃんが残した「親友の証」がクッキリと主張している。


「こんなに綺麗な場所なのに……こんな印のせいで、この綺麗なお屋敷の庭の肥料にされるなんて、絶対にお断りだよぉ~!」


 優花里さんがお風呂から上がった。

 ドライヤーの音が止まり、脱衣所の扉が開く音が聞こえる。

 

 わたしは厨房の椅子に座り、まるで借りてきた猫のように背筋を伸ばして優花里さんを待った。


「あら、サキ。気分は良くなったの? よかったわ」


「はい! 優花里さんの優しさのおかげで、すっかり回復しました!」


「そんな、わたしは何もしてないわよ?」


「いえいえ、優花里さんの気遣いが特効薬なんです!」


 調子良く答えながら、わたしはバトンタッチするように風呂場へ向かった。

 脱衣所に入るなり、まずはカチリと鍵をかける。……が、安心はできない。


 温泉はとろけるような泉質で、本来なら何時間でも浸かっていたいほど気持ちがいい。


 けれど、一刻の猶予もないのだ。

(優花里さんのことだ、マスターキーくらい常備していてもおかしくない。あの人の執着心を舐めてはいけない……!)


 わたしは「親友の証」が少しでも薄くなるように、祈るような気持ちで首元と胸元を必死にマッサージした。

 

 「優花里さんが来る前に出る! 絶対に出る!」 名残惜しいが、温泉情緒を味わう余裕などない。


 カラスの行水のごとく風呂を出て、脱衣所へ! 用意していたのは、この豪華なお屋敷には全くそぐわない、中学での体育の時のダサい「長袖のジャージ」。


 これなら襟元がしっかり閉まるし、めくれる心配も少ない。


 髪を乾かそうとドライヤーを手に取った、その時だった。

 ガチャリ、と無慈悲に脱衣所の扉が開いた。


 優花里さんが、右手に銀色に輝くマスターキーを持って立っていた。


(鍵、意味ないじゃん!! しかもなんで最初からマスターキー持ってきてるの!?入ってくる気満々じゃん!! 怖いよ優花里さん!)


「あら、着替え終わったのね。……また長袖? サキは寒がりなのね」


「は、はい! 寒がりなんです! 超絶冷え性なので、夏でもジャージが手放せないんです!」


 心臓が口から飛び出しそうだったが、なんとか一日目のお風呂ミッションは回避した。


 夕食は優花里さんの手作りだったが、これが驚くほど美味しかった。


 アニメの定番なら「お嬢様は料理が壊滅的」というのが相場だが、この人は本当に何をやらせてもそつなくこなす超人だ。


 ヤンデレ気質と恋愛脳を除けば、この人に隙なんて全くないんじゃないだろうか。


 後片付けを二人で済ませ、ついに運命の時間がやってきた。

 優花里さんの瞳が、夜のとばりとともに、より深く、妖しく沈んでいく。


「さあ、サキ。……寝室へ行きましょうか」


 広い寝室の中央に鎮座する、天蓋付きの巨大なベッド。

 優花里さんが先に横たわり、モデルのようなポーズでこちらを見つめ、優雅に手招きをしてくる。


「サキ、いらっしゃい」


「ひゃい!」


 わたしは油の切れたロボットのような動きでベッドに近づく。

 すると、優花里さんの細い腕が伸び、わたしの腕を掴んで一気にグイッと引き寄せられた。


  抗う間もなく、柔らかな唇が重なる。

  背中に回された彼女の腕に促されるように、わたしも優花里さんの背中へそっと手を回した。


「……サキ、会いたかった。8月に入ってから、本当に長かったわ。でも、こうして二人きりでいられるなんて、私、本当に幸せよ」

 吐息が混じるような熱い告白。


「は、はい……わたしも、久しぶりに優花里さんに会えて、幸せです」


 本心だ。キスマークの件さえなければ、今この瞬間は至福の時間だったはず。

 けれど、再び唇が重なり、さっきよりも深く、長い口付けが交わされた後、ついに運命の瞬間が訪れた。


「さあ、サキ……」

 優花里さんの指先が、わたしのジャージのファスナーにかかる。


「ちょ、ちょーっと!!ちょっと待ってください優花里さん!」


「……どうしたの?」


 わたしは優花里さんから目を逸らし、右斜め四十五度下を見つめながら、人差し指を少し噛むような仕草で、必死の演技を繰り出した。

 アニメとかだとこういう感じだよね。


「は、恥ずかしい……です。電気、消してもらえませんか……?」

 

「でも、暗くするとサキが見えないわよ」


「し、心眼で見るんです!!」

 優花里さんが、呆気にとられたような表情になる。


「心眼で見れば、いくら暗くても見えるはずです。好きな人なら、なおさらです!! たぶん!」


「そ、そうなの……? じゃあ、サキが恥ずかしいなら……」


  彼女がリモコンを操作し、部屋の明かりが完全に消えた。

 よし、これで真っ暗だ! 多少目が慣れてきても、この暗闇ならキスマークまでは見えないはず。


 真っ暗闇の中、再び唇が塞がれた。

 そして、ジリジリとファスナーが下ろされていく。

 ……ちょっと待って。今までキスマークを隠すことばかり考えていたけれど、この先はどうなるの? ファスナーが降りきった後、わたしはどうなっちゃうの!?


 ジャージが脱がされ、優花里さんが密着するように抱きしめてきた。

 直接伝わってくる彼女の体温は、驚くほど高くて柔らかい。いつの間にか彼女も……。


「サキ……ずっとこうしていたい。あなたの鼓動を感じていたいわ」


「はい、優花里さん……。優花里さん、あったかいです……」


 そのまま何度も唇を重ね、私たちは上半身裸で抱き合ったまま、互いの温もりに包まれて、いつしか深い眠りへと落ちていった。


 ---


「サキ、起きて。サキ」


「んん〜……美嘉、もう、また呼び捨てにして……」


「サキ、サキ」


「なんだよぉ〜、も〜!」


 薄目を開けた瞬間、目の前にいたのは妹ではなく、上半身裸の優花里さんだった。


  寝ぼけた頭で、ぼんやりと思う。


(あぁ……綺麗な胸だな。鏡子ちゃんよりちょっと控えめなくらいか……。……裸? あっ!!!)


 一気に脳が覚醒する。慌てて自分の身体を見下ろすと、絶望の光景が広がっていた。


 朝日がサンサンと降り注ぐ天蓋ベッドの上、わたしの首から胸元にかけて、隠しようのない「証」が散らばっている。


「サキ……これはどうしたの?」


 優花里さんの声が低く響く。

(終わった。終わったよ……。どう説明すればいい? 汗が止まらない。……優花里さん、ごめんなさい。せめて、せめて滅多刺しだけは……!痛くしないでくださいね……)


 ところが、優花里さんはわたしの身体をまじまじと見回しながら、見たこともないほど痛ましそうな、心配げな表情を浮かべた。


「サキ、どうしたの? これは、何があったの? ……アザだらけで……」


「へ……?」


「こんな身体中、小さなアザがいっぱいで……。何か怪我か、まさか皮膚の重い病気なの?」


「へ……?」


「大丈夫なの? もしかして、これが原因で昨日お腹が痛かったの……?」


「へ……?」


 わたしは呆然とした。

(もしかして……これがキスマークだって、知らないの……?)


 いや、言葉くらいは知っているだろう。

 けれど、超お嬢様育ちで浮世離れした彼女のことだ。こういう「生々しい実体験」に結びつく情報には、これまで一切触れてこなかったのかもしれない。


  (……そういえば、わたしも経験ないのになんで知ってたんだろ? アニメでもそんなに出てこないはずなのに……)


 とにかく、目の前の超人は、この跡を「妹との激しい喧嘩」か「恐ろしい病」のどちらかだと本気で信じている。


 どっと疲れが押し寄せると同時に、猛烈な安堵感がこみ上げてきた。


 よかったぁ〜! 庭に冷たくなって埋められる未来は回避されたんだ〜!


「あ、ゆ、優花里さん……これは、美嘉とゲームをしていて……負けた方がつねられるっていう、罰ゲームをしていたんです」


「そうなの……? 痛々しいわね。……今度美嘉さんにお会いしたら、わたしからも、このようなことはやめていただくようにお願いしておくわね」


「や、やめてください!バレるので!!」


「……え?バレる?」


「い、いや! なんでもありません! この事は美嘉もすごく反省していると思うので、優花里さんから言わなくても大丈夫、だと思います!」


「そうなの? まあ、サキの妹さんだものね。サキがそう言うなら……」


「そうなんです、そうなんです!」


 わたしは上半身裸のまま、心底ほっとしてベッドに沈み込んだ。

 知識がないということは、時にこれほどまでに人を救うのか。

 わたしは朝日の中で、九死に一生を得た喜びを噛み締めていた。……けれど、同時に。


(美嘉、ごめん。……君は今日、優花里さんの中で『姉をアザだらけにする凶暴な妹』として登録されたよ……)


 無実の妹に心の中で手を合わせつつ、わたしの別荘ライフは(一応の)平和を取り戻したのだった。


 あ、でもまだ2人とも上半身裸だったよね。


 結局昨日はキスと、裸で抱き合っての添い寝でした。


庭の肥料になる運命を回避したサキ。

もうこれで大丈夫……かな?

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