エオンでの攻防!!
午前8時、わたしは目を覚まし、1階へと降りていく。
美嘉はまだ自室で寝ているようだ。まあ、あんなことがあったら眠れなかっただろうからね……
ダイニングに降りていくと、「サキちゃん、おはよう!」と明るい笑顔の鏡子ちゃんが、お母さんと朝食の支度をしていた。
普通に、本当にお母さんと楽しそうに談笑しながら甲斐甲斐しく動き回る彼女を見て、わたしは少しホッとする。
(昨日のあれは、なんだったんだろう? 悪夢? あんな不穏なアニメを立て続けに見たから、変な夢を見ちゃったのかな?)
鏡子ちゃんが手伝ってくれたおかげか、食卓にはいつもより一品多い朝食が並んでいる。
「いただきます!」とさっそく口に運ぶと、これがまた美味しい。
お母さんの料理とは少し違う、繊細な味付けのものが鏡子ちゃんお手製なのだろう。
「鏡子ちゃん、これ美味しいよ!」
「ありがとうサキちゃん、嬉しいよ!」
鏡子ちゃんは満面の笑顔を返してくれた。ああ、やっぱり昨日の夜はただの悪い夢だったんだ。そう結論づけて安堵していた時、美嘉が1階へ降りてきた。
「おはよう、美嘉ちゃん」
鏡子ちゃんが極めて自然に声をかける。すると……。
「ひぃぃぃーーーっ!!」
美嘉はダイニングの入り口で、まるでこの世の終わりでも見たかのように腰を抜かしていた。
(あ、やっぱり昨日の夜は現実だったんだ……)
美嘉のそのガチすぎる拒絶反応を見て、わたしは悟らざるを得なかった。この一週間、果たして美嘉の精神は持つのだろうか? いや、それ以前にわたしの精神と命は無事なのだろうか。
鏡子ちゃんは腰を抜かしている美嘉を不思議そうに見つめながら、
「どうしたの? 足、痺れちゃった?」と首を傾げている。
その無邪気さが、今のわたしには何よりも恐ろしかった。いや、昨日の自分を思い返そうよ……
朝ごはんを食べ終わり、これからの予定を相談することになった。
午前中は学生らしく勉強をし、午後は近くのショッピングモール「エオン」へ行こうということになった。
「美嘉ちゃんも午後、一緒に行く?」
鏡子ちゃんが、怯える美嘉の気持ちをミリ単位も考えずに無邪気に誘う。
美嘉は腰を抜かした姿勢のまま、首を千切れんばかりに左右にフルフルと振った。
鏡子ちゃん! 流石にもう、これ以上の死体蹴りはやめてあげて。
美嘉が持たないよー!
午前中の勉強をこなし、お昼のそうめんを食べてから、わたしたちはエオンへ向かった。
家から歩いて15分。外はうだるような暑さだったけれど、店内に入った途端、強力な冷房で汗がすっと引いていく。
涼しいエオンの入り口で、鏡子ちゃんの手が迷いなく伸びてきた。
今日は絡みつくような「蛇」ではなく、普通の手繋ぎだ。
(優花里さんがいないから、少しは安心なのかな。友人としての鏡子ちゃんなら……)
あ、そうだ! と、わたしはエオンに来た本来の目的(?)を思い出した。
「鏡子ちゃん、いいコスメ教えてくれない?」
「コスメ?」
「うん。この前、海で言われたでしょ? わたし、もう少し垢抜けたいな、と思うんだよ。その方が鏡子ちゃんも……」
「サキちゃんは、今のままがいいよ」
鏡子ちゃんが、わたしの言葉を遮るように静かに、でも断定的に言った。
「え?」
「サキちゃんは今でも十分可愛いんだから。変にお化粧とかしなくても、そのままが一番可愛いんだよ」
「え、えぇ? でも……わたしも、もう少し綺麗になりたくて……」
「ううん、大丈夫だよ! わたしは、サキちゃんにこのままでいて欲しいから」
「は、はあ……」
なんだろう、この既視感。
どうして鏡子ちゃんも優花里さんも、揃いも揃って「そのままでいい」と力説するの? せっかく自分に自信をつけようと思って、一歩踏み出そうとしているのに……。
鏡子ちゃんの繋ぐ手に少しだけ力が入った気がした。
(マズい、サキちゃんが自分に自信をつけてもっと綺麗になろうと考え出している。サキちゃんは今のままでも十分に綺麗で可愛いのに、これ以上彼女が綺麗な蝶へ羽化してしまったら、それだけ周囲からの誘惑が増えてしまう。ただでさえ伊藤先輩がちょっかいをかけてきているというのに。これ以上敵を増やすのは得策ではないし、そうなるとサキちゃんを私一人で守りきれなくなってしまう。だから、彼女には今のサナギの姿でいてもらわないと。私だけのサキちゃんでいてほしい。そのためには、周りから寄ってくる虫たちを、私がすべて排除しないといけないんだ!)
これは鏡子ちゃんの心の声、もちろんわたしは知る由もない。
「あ、でも鏡子ちゃん、このお店可愛らしいコスメとかがいっぱいあるよ。お店の人にちょっとだけ聞いてみてもいいかな?」
どうしても垢抜けへの未練が断ち切れないわたしは、店頭の華やかなディスプレイに視線を送った。
けれど、鏡子ちゃんはわたしの手を離すどころか、パッと明るい声を上げた。
「サキちゃん!向こうのイベント広場で、今週限定の全国有名店のジェラートフェアだって!」
「えっ、ジェラート!?」
限定。全国有名店。その言葉に、わたしの食欲センサーが敏感に反応する。思わずコスメショップからイベント広場の方へ目が行ってしまった。
「じゃあ、向こうでジェラートを食べてから、またこのお店に来ようね」
「……」
「鏡子ちゃん……?」
鏡子ちゃんはわたしの提案には返事をせず、ただわたしの手をグイグイと引いて歩き出した。
「そんなに引っ張っちゃって、鏡子ちゃんもそんなに食べたいの? もう、食いしん坊だなあ」
「サキちゃんと一緒に、早く食べたいんだよ! 急ごう、サキちゃん!」
ぐんぐんと力強く手を引かれながら、わたしは幸せな気分になっていた。
ああ、やっぱり鏡子ちゃんは優しい。
わたしの甘いもの好きな性格をよく分かってくれていて、コスメで悩むより先に楽しいことを提案してくれる。なんて素敵な親友なんだろう。
……背後のコスメショップがどんどん遠ざかり、鏡子ちゃんの足取りが「二度とあのお店には戻らせない」と言わんばかりの速度であることに、お気楽なわたしはまだ気づいていなかった。
(これでもう、余計な羽化のきっかけは潰せたかな……)
鏡子ちゃんの満足げな横顔と、ジェラートへの期待に胸を膨らませるわたしの対照的な温度差。
エオンの賑やかな喧騒の中で、わたしの「垢抜け大作戦」は、冷たいジェラートの甘さの中に霧散していこうとしていた。
ジェラートは最高に美味しかった。
鏡子ちゃんは「これくらい当然だよ」と言って、なんと2つも奢ってくれた。
「鏡子ちゃん、そんなに気を遣わなくてもいいのに」
「ううん、サキちゃんのお家に一週間もお邪魔するんだもん。これだけじゃ全然足りないよ」
そう言って微笑む彼女を見て、わたしは改めていい親友を持ったと感謝しながら、限定ジェラートを頬張った。
「ジェラート美味しかったね、鏡子ちゃん。そう言えば、さっきのコス……」
「あっそうだ! サキちゃん!」
コスメショップのことを切り出そうとした瞬間、鏡子ちゃんが手を叩いた。
「わたし、本屋さんに行きたかったんだ! サキちゃんも行かない? 漫画やラノベ、面白いのがあるかもよ」
それを聞いたわたしの目が光った。
「行く行く! えーっと、本屋さんは上の階だから、このエスカレーターだね!」
鏡子ちゃんに手を引かれ、エスカレーターで3階へ。
本屋に着くと、鏡子ちゃんは参考書や小説の棚へ、わたしは漫画やラノベコーナーへと吸い込まれて行った。
「しまった、このラノベの続巻出てたの忘れてた。あ、漫画の新刊もめっちゃ出てる……」
カゴの中に次々と本を投入していく。鏡子ちゃんを探しに行く途中、ふと雑誌コーナーが目に入った。
そこには最新のコスメやメイク特集の雑誌が並んでいる。
「そうか、こういう雑誌で勉強するのもアリだよね」
わたしは一冊手に取り、立ち読みを始めた。……数分経った頃、ふっと肩に手が置かれた。
「サキちゃん、何見てるの?」
振り向くと、そこには鏡子ちゃんが立っていた。彼女がわたしの手元の雑誌に目を落とした瞬間、空気がわずかに冷えた気がした。
「……レジに行こ」
「えっ、あ、鏡子ちゃん、この雑誌にあったコスメなんだけど……」
「そうそう、サキちゃん、次は今日のおかずだよ! おばさんから、わたし買い物を任されちゃったんだから」
「え? そうなの? じゃあ早くレジに行かないとね!」
母から頼まれているのなら仕方ない。その後、食品売り場を回り、今晩のメニューはカレーにすることになった。
わたしがカレー大好きなのを鏡子ちゃんは知っていた。
やっぱり親友だから、わたしのことには詳しいんだな。
荷物がいっぱいになったので、母に連絡をして車で迎えに来てもらうことにした。
駐車場の出口で車を待っている間、ふと奇妙な感覚に襲われた。
「鏡子ちゃん、わたし、何か大切なことを忘れているような気がするんだけど……」
「たぶん忘れるくらいなんだから、大した事ないんじゃない?また思い出したら、今度来たらいいんじゃない?わたしもついて行ってあげるよ」
「……まあ、それもそうか」
またついて来てくれる。
そう言ってくれる鏡子ちゃんは、やっぱり優しい親友だ。
エオンの入り口にあったあのコスメショップのキラキラした光景が、わたしの記憶の隅っこへ、鏡子ちゃんの笑顔によって完全に押し流されていった。
完全に鏡子の術中にハマったサキ。
彼女が綺麗になる日は来るのでしょうか?




