お嬢様の気まぐれだったんでしょ!!
夏休み三日目。
もともと鏡子ちゃんと勉強をする予定だった日だ。
朝起きて「みっきん」垢をチェックしてみたが、今日もコアラっ子さんからのリプはなかった。
やっぱり、わたしに興味がなくなっちゃったのかな……?
優花里さんの夏休みの予定も以前聞いていたけれど、リプを返す数分くらいの時間はあるはずなのに。
(まあ、でもまだ二日間だし。名家のお嬢様だし、何か急な用事が入ったのかも……)
そう自分に言い聞かせていると、鏡子ちゃんからRINEが来た。
今日の勉強は鏡子ちゃんの部屋でする事になった。
10時に家を出て、彼女の家に向かう。
鏡子ちゃんの家にやって来たのは、本当に久し振りだ。
玄関でお母様に挨拶をして、昔よく遊びに来ていた頃と変わらない、懐かしい匂いのする彼女の部屋で勉強を始めた。
今日はなるべく優花里さんのことは考えないようにして、目の前の問題集に集中した。
夕食までご馳走になり、すっかり暗くなった道を、鏡子ちゃんと別れて帰途につく。
(鏡子ちゃんは、いつでも変わらずに接してくれるな……)
そう思うと、優花里さんのあの冷たい対応が、余計に深く胸に刺さった。
どうしてあんな態度なんだろう?
鏡子ちゃんとの予定を話しているからといって、それで機嫌が悪くなるとも思えないし、みっきん垢で何か失礼なことを書いたのかと見直してみたけれど、そんな形跡もない。
忙しくて余裕がないのかな?
連絡を取ろうかとも思ったけれど、おとといの対応を考えると、今はわたしからの連絡を迷惑だと思っているかもしれない。
今忙しいのならなおさらだ。
しばらく様子を見よう。
連絡を取れるようになれば、向こうからRINEか、みっきん垢にリプが来るはずだ。
「そうだ、鏡子ちゃんに『今日はありがとう』って送っておこう」
夏休みに入ってからの鏡子ちゃんは、本当に優しい。
毎日こうだったら、美嘉だってあんなに怖がらないのに。
その日も、優花里さんからの連絡はなく、コアラっ子さんのリプも届かなかった。
夏休みが始まって、一週間。
優花里さんからの連絡は、ぷっつりと途絶えたままだった。
これまでは学校に行けば、毎朝その美しい顔を見ることができた。
けれど、夏休みに入ってからは初日の電話以来、一切の接触がない。
こちらからも意地を張って連絡を取らなかったせいもあるけれど、向こうからも全く来ないというのは……やっぱり、わたしに対しての興味がなくなってしまったからなのかな。
最後の電話の、あの冷淡な声。
あの時点で、すでに答えは出ていたのかもしれない。
最初は苦手だと思っていた。けれど、いつの間にか、かけがえのない憧れの人になり、向こうからわたしなんかの事を「恋人」と言ってくれた。
でも、休みに入って少し距離が置かれたことで、優花里さんも冷静になって「付き合う相手」としてのわたしを再考したのかも知れない。
「……少しの間だけだったけど、楽しい夢を見せてもらったってことでいいのかな」
悲しいけれど、もともと住む世界が違う人だ。
お互いに、それぞれの居るべき場所に戻った。ただ、それだけのこと。
無理に自分を納得させようとすると、胸の奥がチリチリと焼けるように痛む。
気分を変えるために、スマホを開く。
「『リリー』の最新話、感想あげておこう。コアラっ子さんも……もう、来ないのかな」
アニメ自体、もう見ていないのかもしれない。
お嬢様は忙しいだろうし、わたしのような平凡なオタクに構っている暇なんてないはずだ。
「おっ、蜜柑ちゃんさん、リプ早いな。この人はいつも変わらないから、なんだか救われるな……おっさんだけど」
画面越しに届く、いつも通りの「おっさん(推定)」の気楽なコメントに、少しだけ口角が上がる。
「付き合いのいい、おっさんだよな」
「へっくちん!」
「……もう、美嘉。またくしゃみしてる」
リビングの向こうで、妹が鼻をすすっている。エアコンの設定温度が低すぎるんだって、何度も言ってるのに。
変わらない日常。変わらない家族。
そして、変わらない鏡子ちゃんとの関係。
それだけが、今のわたしの世界だ。
ただ、優花里さんのいない夏休み。 それがこれほどまでに無味乾燥なものだとは、思いもしなかった。
ここ毎日、鏡子ちゃんと一緒に勉強をしている。
明日も朝から約束をしている。
「……もう寝ようかな」 そう呟いて電気を消そうとした瞬間、スマホが激しく震えた。画面を見て、心臓が跳ね上がる。
「え……? 優花里さん?!」
慌てて通話ボタンを押すと、耳をつんざくような鋭い声が響いた。
「サキ! どうして一週間も連絡をくれないの!?」
「え? でも優花里さんが……」
「わたしがどうであれ、あなたから連絡をくれるのを待っていたんでしょう?!」
「でも……」
「『でも』じゃないわ! いつもあなたから連絡をくれていたのに! ずっと待っていたのに!!」
あまりの剣幕に頭が真っ白になる。待っていた? どういう事?あんな態度だったのに?
連絡を拒絶するような態度をとったのは、そっちじゃないの!
「前に電話した時に、優花里さんが電話つまらなさそうだったし……」
「だから、わたしがどうであれ連絡をちょうだいと言っているのよ!」
「え? え? 優花里さん、どうしたの……?」
「あなたの勉強の進み具合とか、教えてほしいのに!」
「いや、だって……興味なさそうだったから」
「興味ないわけないじゃない!!」
優花里さんの叫びのような声に、わたしはたじろいだ。
「あ……。鏡子ちゃんと毎日一緒にやってたので、宿題はそろそろ終わりそうです」
「毎日? 一日おきじゃなかったの?」
「優花里さんが、鏡子ちゃんに教えてもらえって……」
「わたし、そんな言い方してなかったでしょ!?」
言い方はどうあれ、ニュアンスはそうだった。
「で、でも……」
「しかも、なんで毎日会っているのよ!?」
「友達だし彼女は頭がいいから……」
「だからって、毎日会わなくても良かったんじゃないの!?」
優花里さんの怒りの矛先が、どんどん理不尽な方向へ向かっていく。
「でも、わたしも勉強が分からないところを教えてもらったし……」
「それならわたしに聞けば良かったんじゃないの!?」
「だから! 優花里さんは忙しいのか、聞けるような雰囲気じゃなくて……」
「それはあなたが勝手に思っていただけじゃないの!?」
「そ、それはそうですけど……。でも……」
「『でも』何? わたしのせいだっていうの?」
その言葉に、胸の奥でずっと抑え込んでいたモヤモヤとした感情が、一気に沸点に達した。
今回の沈黙は、優花里さんが興味を失ったように見えたからだ。
わたしからだけじゃなく、優花里さんから連絡をくれたって良かったはずなのに。
「あなたは、わたしに会えないからといって後藤さんに会っていたの?」
「一人だと勉強が進まないから、教えてもらおうかと思って……」
「あなたは一人では勉強も出来ないの?」
そこで、わたしの何かが、ぷつりと切れた。
「どうせわたしは優花里さんや鏡子ちゃんほど頭が良くないし、優花里さんの様に自分で何でも出来るほど、素晴らしい人間じゃないんです!!」
「サキ……」
「だから、優花里さんに教えてもらったり、分からないことだけを聞きたかったのに! 今まで優花里さんは拒絶してきたじゃないですか!」
「それは、あなたの……」
「どうせ、わたしは優花里さんの暇な時の遊び相手だったんでしょ! 『みっきん』の方にも何のリプもくれないし、わたしのことなんて、もうどうでもいいんでしょ!」
「サキ、待って……」
「優花里さんは違うと言ってくれてたけど、優花里さんとわたしは、やっぱり住む世界が違うんだ! こんな平凡なわたしのことなんか忘れて、あなたは自分に相応しい人たちと仲良くやってればいいんだ!!」
一気にまくしたて、わたしは通話終了ボタンを強く何度も押した。
その後も何度か着信があったけれど、視界が涙で歪んで、画面を見る気も起きなかった。
確かに、あの人にはいろんな経験をさせてもらった。夢のような時間だった。 でも、やっぱりそれは「お嬢様の気まぐれ」だったんだ……
「やっぱりこれって、あの人に少しの間だけいい夢を見させてもらったってことなのかな……?」
優花里の作戦が裏目に出てしまいました。
優花里はこの事態にどう動くのか?




